“東方”という名の宇宙船(2)


「とにかく大変な一日だった。きのうの午前十時、ラジオのスイッチを入れるといつもと調子が違っていた。“ご注意願います。タス声明をお伝えします”とアナウンサーの声も重々しかった。支局にあるタスのテレタイプもガタガタと鳴り出した。トタンにこれは人間衛星の打ち上げだと感じた…」(熊本日日新聞・昭和36年4月14日)

これは、当時の共同通信モスクワ支局長・万氏の生の声である。ガガーリンの地球周回成功は全世界のメディアが大々的に報じた。我が国のメディアも例外ではなく、新聞各社が連日報道を続け、国民は釘付けになったのである。

その反響は如何ばかりのものだったのか…それを知るべく筆者は図書館へ赴き、当時の新聞アーカイブを検索することにした。当初、主要全国紙のいくつかを見せてもらうつもりであったが、あろう事かその前後のそれら(読売・朝日・毎日)全てが欠落しているということで、地元紙(筆者の実家のある熊本)を見せてもらうことになった。地方紙とはいえ、国際関係は通信社配信の記事が殆どだから、全国紙と大差ないだろう。

古新聞を見るのは、とても楽しい。畳を裏返したり、押し入れの底を掃除したりすると古新聞に出くわす。そんなとき、つい読みふけってしまい、本来やるべき掃除を忘れてしまう経験をしたことのある人も多いはず…特にテレビ欄はそうだ。ああ、こんな番組があったなぁ…懐かしさで時の経つのも忘れてしまう。

カウンターでマイクロフィルムを借り、スキャナにかける…大体、ボストークの報道を調べて帰れば終わりのはずが、ついつい他の記事にも目が移り、何時間と居座ってしまった。だがそれは、ごく僅かとはいえ当時の世界に自身がタイムスリップした感覚を引き起こし、そうして触れるボストークの記事は書物や雑誌で読むのとはまた違う、よりリアルで格別なものであった。

ボストーク1号が打ち上げられたのは1961年4月12日である。1961年=昭和36年 … 当時の我が国の情勢を少しばかり振り返っておこう。


昭和36年、終戦から16年。サンフランシスコ講和条約締結で独立を回復してからちょうど10年…その少し前には「もはや戦後ではない」(1956年)という言葉を生んだ「神武景気」に潤い、社会制度の整備にもメドがつき、ようやく明るい未来が見えてきた。しかも、東京オリンピックの開催(1964年)が決定している。時の首相・池田勇人は前年末「所得倍増計画」を発表、これは皆の頭上にきらきらと輝き、大きな夢と希望をもって迎えられた。

この「所得倍増」という言葉、これが何よりも生き生きしている。開発の可能性を秘めた国土を前に、人の胸に与える希望のスケールが違う。それはその場しのぎの思いつきプランではなく、官僚・学者から現場の実業家まで巻き込み緻密に計算されたものであった。

鉄道網はほぼ唯一の大量輸送手段として整備が行き届いていたが、しかし、道路網の整備は未熟も未熟、大体、道路交通法が制定されたのが1960年6月のこと。今では身近な高速道路も全くなく、初めて自動車専用道路が指定されたのは1961年8月のことだ。首都高速道路1号が開通するのが翌62年であり、これが初の都市高速道路。高速自動車国道…いわゆる高速道路…が最初に開通するのは1963年7月である(名神高速道、一部開通)。

まあ、高速もさることながら、一般道に至っては幹線道路以外、地方では幹線道路でさえ、舗装すらまともにされていなかったのが実状だった。そもそも車が少なかったのだからそれでもよかったのだが、車社会の到来は現実のものとなりつつあり、これが経済を押し上げる機動力となるのは明らかだった。

一方、メディアはどうだったか。1953年(昭和28年)にNHKおよび日本テレビ放送網がテレビ放送を始めていたが、一般人に受像機が買えたものではなく、街頭テレビに群がるのが一般的だった。ちなみに米国では翌年、カラーテレビの本放送が始まっている。筆者の手元に1956年のテレビ用真空管技術カタログ…洋書を翻訳したもの…があるが、そこにはカラーテレビで使用する真空管も記載されている。当時の日本ではカラー放送はまだだったのを皮肉に思ったことがある。

1961年当時のテレビ放映の状況は、NHKは全国網が出来上がっていたが、民放は地方県では1つあればよい方であった(補足1参照)。その上視聴できるのは送信所が置かれた中核都市(大体、県庁所在地)とその周辺のみであり、郡部や山間部では無理なのが当たり前だった。

右は、1961年4月14日の熊本日日新聞に記載されていた番組表である。ラジオ番組が、現在のテレビ欄のように大きく幅を効かせているのが特徴的だ。小さくてよく見えないが、中央には「ニッポン放送」や「東京放送」の番組表もはいっている。ラジオ送信所が少なかった当時は混信も少なく、夜間は長距離のラジオ局も楽に聴取できた。これはそれも意識して記載されていたものだろう。

テレビであるが、民放はRKK熊本テレビが1局と、NHK総合の1局、計2局。NHK教育はまだ放映されていなかった(教育は59年に開局したばかり)。しかもその民放も、お昼は休止していたのである。RKKテレビは午後1時15分に「お知らせ」のあと停波、4時間の休止を挟んで午後5時半にテストパターンで再開している。一方のNHKにはお昼休みはなく、朝6時半から夜11時過ぎまで通して番組が流されていたが、一部、現在の教育で放映されているような番組(語学教室等)が組み込まれている。(ただし民放は、関東圏など大都市圏では間もなく全日放送に移行した)。

テレビ(白黒)はいわゆる「三種の神器」の中で最も早く普及したものとなり、普及台数は1960年に500万台を突破、その倍の1000万台に達するのは僅か2年後の1962年3月である。1959年に執り行われた現・天皇陛下と美智子皇后の婚礼パレード中継は普及に貢献したと言われるが、しかし、全体に対する比ではまだまだ小さかった。最大の牽引力になったのは東京オリンピック(1964年)であったが、それを支えていたのは右肩上がりの日本経済、そして番組コンテンツそのものの進化であったことは言うまでもない(補足1参照)。

ちなみに当時は“NHKラジオ受信料”も存在した。これが廃止されるのは1968年5月であるが、この時のテレビ普及率は96%(うちカラーは5%)であった。

通信手段であるが、郵便や電報が主流であり、電話は一部の裕福層が持っているのみ。当然、衛星回線など無い時代だから、通信社でさえ海外からのニュースは国際電話やテレックスがメイン。短波通信による回線も利用されていたから、電波状況の悪いときは途中で切れることもあった。

さて、前置きが長くなったが、つまりガガーリンが周回飛行に成功したときの日本の情報・交通インフラ、娯楽はそのようなものだった。都市部では「レジャーブーム」という言葉も生まれたが、国土の殆どを占める地方ではそう簡単にあちこち行き来できるわけではなく、ニュース、そして娯楽は新聞とラジオに全面的に依存していたのである。“宇宙開発”など実感できるものではなく、そもそも概念すら庶民にはなかった…SFもしかりで、“宇宙人”もいなかったのである。だがそれを打ち破ったのはソ連のスプートニクとその後に続いた一連の犬実験飛行であり、ボストーク。それは米ソ宇宙レースを生み、庶民の間にも“宇宙・SFファン”が確実に増えていったのである。

このレース、序盤でドカンと大きいことをしでかしたのは言うまでもなくソ連だが、それは世間を熱狂させた。宇宙開発に関するソ連タス通信の公式発表は、もはや一種の“娯楽”になっていたと言ってもいいだろうか。しかしそれは単なる娯楽ではなく、世界観を一変させるものだったわけだが…。


静かな図書館で一人タイムスリップ気味の筆者は、当時の報道を目の前に、正直、興奮を隠せなかった。それは4月12日にいきなり始まったのではなく、その前日の“うわさ話”から始まったのである。4月11日夕刊の一面中央に、それは躍った。

 ソ連、人間衛星打ち上げか 公式の確認待つ 活気づく各国特派員

【モスクワ十日UPI=共同】信頼できる筋が十日夜述べたところでは、ソ連は最初の人間宇宙飛行を実施し、生きたまま回収したかもしれない。数千人のソ連人はこの報道が事実だと信じているが、ソ連当局の公式な確認ないし否定はまったくない。

過去数週間ソ連は大体いまごろの時期−おそらくはメーデーにひっかけて、最初の人間の宇宙打ち上げを行うだろうとの兆候が何回となくみられた。フルシチョフ・ソ連首相自身先週、ソ連人がはじめて宇宙を征服する日は“そう遠くない”といったばかりである。

モスクワは重要発表が多分十日夜おそく行われるだろうとの示唆があるので活気づいている。モスクワの各国記者はいつ発表があってもいいように待機し、ソ連のラジオ・テレビも二十四時間の準備態勢にはいっている。公式の確認はないが、宇宙飛行家は無事生還してソ連医師の身体検査を受けているかもしれないという風説が流れている。

モスクワ放送待機

【モスクワ十日UPI=共同】ソ連はきょうにも人間を宇宙に打ち上げるらしいといううわさが十日モスクワに強く流れている。確認はされていないが、何か近づいているとの兆候がある。モスクワ中央電報局にはテレビ・カメラマンの一群が待機しているが、これは重要な事件が起こったときの外国特派員の動きを撮ろうとしているようだ。モスクワ放送の職員は二十四時間警戒態勢にはいっているという。ソ連記者も外国特派員も大事件を予期して興奮している。外人観測筋はこれは人間の宇宙飛行に関連あるものと推測しているが、当局はこれについて何の確認も与えていない。

“人間だよ”とソ連カメラマン

【ニューヨーク十日AP=共同】米CBS放送は十日、同社のカーブ・モスクワ特派員がソ連は同日朝人間を宇宙に送るはずだったが、これは明らかに延期されたと伝えてきたと発表した。同特派員の連絡放送はところどころ聞こえなかったが、内容次のとおり。

ソ連の人間宇宙打ち上げ発表は午後三時(日本時間午後九時)と予想されていた。予想発表時間の直前には、モスクワ中央電報局はソ連カメラマンでいっぱいになた。彼らのうち一人はなぜ集まったのかとの質問に対し、ちょっとためらったあと“ムシテナ”(人間)といった。時計が午後三時を打ったとき、モスクワ放送は一時放送を中断した。それからモスクワ時間午後四時には重要なニュース発表があるとの短い発表…以下聴取不能。

運転手の早合点か

【モスクワ十日ロイター=共同】ソ連の人間衛星打ち上げのうわさがモスクワ市内に流れたのは十日昼食時間後、モスクワ放送、テレビのカメラマン、技術者らが中央電報局に到着したのがきっかけだった。これまでのソ連の宇宙ロケット打ち上げの場合、ニュースを打電に来る西欧特派員たちはよく電報局の前でラジオ、テレビのインタビューをうけた。しかしこの日は午後四時すぎ、ソ連人は突然器械を荷造りして立ち去ってしまった。また同日午後、一人のモスクワ市民がタクシーに乗ったところ、運転手は興奮しながら「ソ連人が宇宙に打ち上げられた。地球を五回まわって無事に帰還した」と話した。運転手は、どうしてそのニュースを知ったのかと質問されると「数人のソ連人ジャーナリストを乗せたばかりだが、彼らは興奮のあまりぶるぶるとふるいえていた」と答えた。ジャーナリストたちは「ニュースがあるから出社しろという知らせをうけた」といった。なお、ソ連はことしに入ってから五回宇宙船を打ち上げ、科学者たちはソ連人が最初の宇宙飛行家となるだろうと繰り返し強調しているが、同時に飛行と帰還の安全が完全に保障されるまでは人間は打ち上げないことも強調している。

日本で電波 観測されず

東京国分寺の郵政省電波研究所は十九・九九五メガサイクルの電波を二十四時間連続モニターしているが、十日以後外電の伝えるような“人間衛星”らしい電波は受信していない。同研究所では、これまでの一連のソ連宇宙船衛星が出していた周波数とまったく違うものでないかぎり、まだ“人間衛星”は打ち上げられていないと推定している。

                      【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月11日(火)夕刊 一面】


「人間衛星打ち上げか」「公式の確認待つ」「活気づく各国特派員」…記事中、「生きたまま回収したかもしれない」、「確認はされていないが、何か近づいているとの兆候がある。」という表現にふるえを感じずにはいられない。まるで動物実験のような言い回しだが、「生還した」という言い方よりもリアリティに溢れている。何かが近づいている…それは、五感を超えた本能だ。嵐の前の静けさ、ではない。ざわついている、人々が神経をとぎすませている…見えないが、何かがそこまで迫っている。

「運転手の早合点か」などという小見出しが、ファニーであり、かつシリアスだ。郵政省電波研究所(現在の総務省情報通信研究機構)ではソ連宇宙船シグナルを常時ワッチしていたことがわかる。


4月12日。この日、ボストークは打ち上げられるわけだが、朝刊は「メーデー直前説が有力」と記事を記載している。

 人間衛星はまだ メーデー直前説が有力

【モスクワ十一日万共同特派員】モスクワ市民は人間衛星の成功が間近に迫っているとの期待に胸をふくらませているが、まだこれが実現したとは信じていない。観測筋一般の予測では、メーデー直前に実行され、最初の宇宙旅行者が赤い広場のパレードで花々しく壇上にのぼるのではないかとの説が有力である。最近科学アカデミーでの記者会見で、これまで宇宙を飛んだ犬が全部披ろうされたことから、次は人間だとの観測が強まり、この可能性を疑うものはいない。八日いらい、もう成功したという風評が聞こえ始め、外国特派員の気をもませている。

十日にはちょうど電報局に映画撮影カメラが数台持ち込まれ、照明の用意が整えられ、驚いた特派員たちがなにを映すのだと聞いたところ、係員の一人が「諸君が人間衛星の打電をするところをとるのだ」と冗談をとばしたため、真に受けた一部特派員はあわててフラッシュを飛ばすというひとくさりもあった。ソ連のやり方としては映画の撮影にこんなことを予告させるはずがないのに、一時的にも真に受けられたということは世紀のニュースを待ち受けるモスクワの緊張ぶりを物語っている。
                       【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月12日(水)朝刊 二面】

一連の記事からわかるのは、ソ連のジャーナリストも意外とフランクだったということ、そして、人間だったということだ。先の記事の「彼らは興奮のあまりぶるぶる震えていた」ということや、冗談を飛ばすことなど、血の気の通った人間らしさを感じさせる。門外漢にはソ連のジャーナリストというと、常にKGBに監視され、決められたことしか言わないコチコチの連中というイメージがある。確かにそうではあるが、四六時中そうだったわけではなかったのである。

 英紙、人間衛星成功と報道 地球を三周して回収 
     発表せぬ理由 乗員に重大障害?


【ロンドン十二日篠田特派員】十二日付のデーリー・ワーカーはソ連が人間の宇宙飛行に成功したとの記事を大々的に掲げている。これはここ二十四時間の間、憶測を生んでいたソ連の人間打ち上げをスクープした形となっている。

この記事は、ソ連はこれまで数回にわたり犬で実験を続けてきた重さ四・五トンのカプセルに宇宙飛行士を入れて打ち上げ、高度三百二十キロで地球を三回回ってから地上からの信号により無事に地上に連れ戻した、と報じている。しかし飛行士はこの宇宙飛行でかなりの影響を受けたようで、医師たちや宇宙科学者たちが絶えず彼の容体を見守っているという。デーリー・ワーカー紙はこの記事のほか宇宙旅行についての一般的な説明を行ない、派手にこの記事を扱っているが、肝心の点についてはこれ以上何もふれていない。十二日真夜中まではソ連からは何の確報もなく、果たしてデーリー・ワーカー紙の記事が真実かどうかなおはっきりしない点が残されている。

モスクワから西方新聞通信社の特派員が伝えているところによれば、ソ連当局は明らかに何か重要なことを発表するための態勢を整えていたが、何の説明もないままにこの待機態勢は解かれたらしいといわれる。すでにソ連は犬を使って人間衛星打ち上げについては充分な準備を整えているので、ソ連がいつ人間を打ち上げてもおかしくないだけに、ソ連当局が新聞、ラジオに注意するようにとの発表を行った時こんどこそ人間衛星の打ち上げだとうわさされ、これを裏付ける様な断片的な情報も流れていた。これほどの大ニュースがソ連当局からではなく鉄のカーテン外の共産党機関誌によってすっぱ抜かれたことはこの間に何か隠された事情を思わせるものがある。当地では考えられるケースとして次のようなものをあげている。

一、実際に人間が打ち上げられたが、地上連れ戻しに失敗し、発表できなくなった。

一、飛行士は地上に戻ったものの何らかの強いショックを受けており、テレビ・ラジオその他で大衆の前に姿を見せる   ことができない状態にあり、飛行士が元気になるまで発表を延ばしている。

一、宇宙旅行など全く行われず全然別の重要なことを発表するはずであった。

このうち、もし回収に失敗していた場合にはこんごも発表は何もなく、次の打ち上げに成功した場合大々的に宣伝することであろう。宇宙飛行士が何らかのショックを受けていた場合には近い将来に元気を回復できる見通しがあればそれを待って正式発表があるだろう。第三の点すなわち宇宙飛行以外で何らかの発表が予定されていたということはソ連の政治経済制度からいって全くその可能性がないわけではないが、いまのところ思いあたることは何もない。以上のような理由で近く発表が行われる可能性が残っている。

内外記者団、公式発表を待機

【モスクワ十二日AFP】ソ連の新聞記者および外国の新聞記者はソ連政府が人間の宇宙打ち上げ成功を発表するのを待機中である。公式発表はまもなくあるものと予想されるが、当局筋はまだ依然絶対の沈黙を守っている。

タス通信は否定

【モスクワ十二日AP=共同】ソ連のタス通信スポークスマンは十一日、英共産党機関紙デーリー・ワーカーが報じた人間衛星成功の記事の信憑性について質問を受けたのに対し「この報道は全く検閲を受けていない筋からのもので、これについての公式声明は考慮されていない」と言明した。同スポークスマンは飛行が行われたことを頭から否定しなかったが、ごく最近にこの種の発表はないむね強調した。

                      【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月12日(水)夕刊 一面】


夕刊の記事〆切はお昼過ぎであり、残念ながらガガーリン打ち上げの第一報を載せることはできなかった。夕刊が各家庭に配達されたときには、全世界は大騒ぎになっていたのである…日本でも、ラジオやテレビで速報されたはずだ。ここに記載されている英共産党機関紙のまったくデタラメ記事は色あせたものでしかなくなっていた。


4月13日。新聞一面は昨日のボストーク1号成功を大々的に掲載した。朝刊は全8面中、1面〜4面、7面で大きく扱い、ボストーク一色だ。まるで“ボストーク総力特集号”と言ってもよい。「不滅の金字塔」というフレーズがこの後数日にわたり、頻繁に用いられる。

  ソ連、人間宇宙船に成功 人類初の偉業 地球を一周して生還

   宇宙人ガガーリン少佐  ウォストーク(東方)と命名

【モスクワ十二日万共同特派員】ソ連は十二日ついに人間宇宙船打ち上げと回収に成功、文明史上不滅の金字塔を打ち立てた。タス通信の発表によると宇宙船は同日午前九時七分(日本時間午後三時七分)発射され、初の宇宙人ガガーリン少佐は、恐ろしい発射時の衝撃と宇宙での無重力状態にたえ、地球を一周し同日午前十時五十五分(日本時間午後四時五十五分)ソ連領内の予定された地点に無事着陸した。ソ連政府は宇宙船を「ウォストーク」(東方)と命名した。

五七年秋ソ連スプートニク第一号の打ち上げで火ブタを切った米ソ宇宙戦争は、ソ連のリードのうちに、ことしはいよいよ人間の宇宙旅行に焦点がしぼられていた。米国もマーキュリー計画で“近い将来に人間を大気圏外に送り、年内には人間衛星を軌道に乗せる”と公約していた。ソ連国民はしかし絶対の自信を持ってこの日を待ち受けていたわけだ。マクミラン英首相に次いでアデナウアー西独首相がワシントンを訪問しているとき、大気圏外高く世界を回る人間宇宙船−そこには必ずしも政治的なタイミングのねらいはなくとも、ソ連科学者たちの偉業が世界のかっさいとともに、国際社会に大きな反響を呼ぶことは間違いない。

無傷で気分も良好 船の重さ 四・七トン

【RP=共同】タス通信の第一回発表内容次のとおり。

一九六一年四月十二日ソ連において地球を回る軌道に世界最初の人間を乗せた人工衛星宇宙船「ウォストーク」(東方の意味)が打ち上げられた。「ウォストーク」の宇宙飛行士はソビエト連邦の市民であるユーリー・アレクセイビッチ・ガガーリン少佐である。多段式ロケットの発射は成功のうちに行われ、第一宇宙速度を保って運搬ロケットの最終段から切り離されたのち、衛星船は地球を巡る軌道を自由に飛行し始めた。予備的資料によると地球を回る人工衛星宇宙船の周期は八十九・一分、地球表面への最近接点(近地点)は百七十五キロメートル、遠地点は三百二キロメートルである。赤道表面との軌道の傾斜角度は六十五・0四度である。

宇宙飛行士を乗せた人工衛星宇宙船の重量は四千七百二十五キロであり、これには運搬ロケットの最終段の重量は入っていない。

宇宙飛行士ガガーリンによって往復の無線通信が開始され継続されている。宇宙船短波送信機の周波数は九・九一0メガサイクルと二0・00六メガサイクルであり、また超短波域では一四三・六二五メガサイクルである。

ラジオテレメーター装置およびテレビ装置によって飛行中の宇宙飛行士の観察が行われている。人工衛星宇宙船「ウォストーク」が軌道に乗る時期を宇宙飛行士ガガーリンは満足すべき状態でたえぬいた。そして現在ガガーリンは良好な気分でいる。人工衛星船の船内で必要な生活条件を確保する装置は正常に働いている。

なおモスクワ放送はこのタス通信発表を三回繰り返し放送した。また十二日のモスクワ放送は、十二日午後零時二十三分(日本時間午後六時二十三分)ニュースの時間を中断して、人類史上最初の宇宙飛行者ユーリー・アレクセイビッチ・ガガーリン少佐が成功のうちに地球に帰還したことについて全文次のような二回目のタス通信発表を伝えた。

予定の研究を成功のうちに行い、飛行計画を遂行した後、一九六一年四月十二日モスクワ時間午前十時五十五分(日本時間午後四時五十五分)ソ連の人工衛星宇宙船「ウォストーク」はソ連の予定の地域に無事帰還を完了した。

宇宙飛行者ガガーリン少佐は次のように告げた。「党と政府ならびにニキタ・セルゲービッチ・フルシチョフに対し、着陸は正常に行われたことを報告するようお願いする。気分は良好であり、外傷、打撲等はない」宇宙空間への人間の飛行の実現は人類による宇宙征服の壮大な見通しを開くものである。

日本では受信できず

郵政省電波研究所(東京都下国分寺市)の電離層研究室は、十二日午後ソ連の人間宇宙船の電波をとらえようと努力したが、結局受信できなかった。ソ連からの発表からみて人間宇宙船は同日午後三時ごろから数十分、二0・00六メガサイクルの電波を受信できるはずであった。同研究室では、宇宙船からはソ連の観測所、観測船だけに受信できるように発信したのではないかとみている。

ケ大統領が祝福の声明

【ワシントン十二日ロイター−共同】ケネディ米大統領は十二日、ソ連の人間宇宙飛行の偉業を祝福する次のような声明を発表した。

ソ連の偉業は、すばらしい技術上の成長である。われわれはこの偉業を可能にしたソ連科学者と技術者に祝福を述べたい。太陽系の探検は、ソ連だけでなくわれわれ全人類の希望であるが、ソ連の今回の成功はこの目標への重要な第一歩である。米国のマーキュリー計画も同じ目標を追うものである。

モスクワは興奮の渦 笑い、叫ぶ市民の大行列

【モスクワ十二日万共同特派員】ソ連は十二日、ついに人類初の宇宙旅行に成功、選ばれた宇宙旅行家ガガーリン少佐は宇宙船「ウォストーク」から無事ソ連領内に着陸した。米国との宇宙競争でシノギを削りながら常に一歩先んじてきたソ連から、宇宙人第一号が誕生するだろうとは予想されていた。しかし成功の時期の点から見てその偉業には改めて驚嘆せざるを得ない。 (中略) 市中央のボリショイ劇場前の革命広場も喜びの大群衆で埋め尽くされ、景気のよい音楽がラウドスピーカーを通じて絶え間なく流されるなど、盆と正月どころか一年中の祭日がいっぺんにきたような底抜けの明るさだ。

(中略) しかしソ連はこの興奮のなかから、冷静に西側との交渉のうえで新たに獲得した力の有意を最大限に利用しようと計算しているに違いない。ソ連が人類文明史上に打ち立てたこの金字塔は、科学のうえでの輝かしい功績であるだけでなく、現在の東西冷戦にも一つの転機をもたらすかもしれない。

28日に実現か 米の人間ロケット

【ワシントン十一日UPI=共同】NASA(米航空宇宙局)のドライデン次官は十一日、下院宇宙委員会に出席、次のように語った。

順調に進めば、米国は二、三週間以内に、人間を宇宙に打ち上げることになろう。最も楽観的にみた日付としては四月二十八日が考えられる。人間衛星については本年末までに実現できるよう望んでいる。

月、火星へ進出も間近 政治、文化は新次元へ

[解説] 世界注視の的であった人間衛星の回収実験が、ソ連科学技術陣の手でついに成功を収めた。この壮挙は、単にニュースとしてのベスト・テンの第一位を占めるばかりでなく、全人類の歴史に輝かしい一ページを書き加えた。一九六一年四月十二日という日は、人間が実験に宇宙空間に第一歩を踏み出した日として、世界史上に永久に書きしるされることになろう。

まず第一に注目されることは、スプートニク一号の発射(一九五七年十月)いらいわずか三年余の間に、今回の壮挙をなしとげるに至った科学技術の驚くべき進歩の早さである。

限りない未来図

米ソの実力差、ミサイル・ギャップ−といった見方を離れて、人類全体の事業としての宇宙開発の姿をながめるとき、過去の進展の速さから、その未来図の限りない豊富さを思い知らされる。月へ、火星へ、人間が進出する日はもう間近に迫っているといっていいすぎではあるまい。

もちろん、そのためには未だ解決を必要とする技術的問題点は多い。それは単にロケット工学の分野ばかりでなく、医学、栄養学、電波工学、建築工学などの広い分野に山積みしている。しかし少なくとも宇宙パイロットの地球基地からの発進と、惑星を回る人工衛星軌道からの回収−つまり地球への帰還の問題は、今回の成功によって大きく解決に近づいたと考えられる。人間が実際に宇宙空間に一歩を踏み出し、そして帰ってきたという意義がここにある。

次に注目しなければならないことは、今回の壮挙が人間社会に及ぼす影響である。人工衛星軌道とはいえ、地球を一歩離れてただ一人宇宙を飛ぶパイロットの姿、それは地球上の極地探検などとはまた違った心理と生活を人間に要求する。おそらく「孤独」などということばではいい表せないものがその中にあるだろう。それはまた宇宙船の制御をはじめとする各種の技術、これらの仕事に従事している多くの人間への絶対的な信頼感の上に初めて成り立つものといえる。

一方、宇宙へ初めて人を送り出した人間社会の面でも全く新しい信頼と友情とが生まれてくるに違いない。こうして人間社会は「宇宙進出」という新しい事態を前にして、大きく組み替えを要求されているといえないだろうか。

                       【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月13日(木)朝刊 一面】


大見出しはともかく、「宇宙人ガガーリン少佐」という小見出しが目を引く。ガガーリンこそ、宇宙人だったというわけだ(笑)…というのはおいといて、当時“宇宙飛行士”という言い方もまだ完全には定着しておらず、“宇宙人”という表現が用いられてしまっている。昔、筆者の祖母が「“宇宙人”はガガーリンことを指した」と言っていたのを思い出す。異星人としての使用はまだ後のことだったのだ。

「ソビエト連邦の市民であるユーリー・アレクセイビッチ・ガガーリン少佐である。」この瞬間、彼は人類史に永遠に名前を残すことになった。

ところで「月、火星への進出も迫っている」と解説がなされているが、現実にはどうにか月まではたどり着いたがそれも一過性のもので、あと数年でガガーリンから半世紀が経とうとしているのに、火星などまだまだ先の話だ。しかし記事の中には重要なことが指摘されている。「宇宙船の制御をはじめとする各種の技術、これらの仕事に従事している多くの人間への絶対的な信頼感の上に初めて成り立つものといえる。」という行だ。宇宙開発は個人プレーではなく、チームプレーであること、絶対的な信頼の上に成り立っているのである。

この他にも、宇宙開発の本質全てが浮き彫りにされているが、あえて拾って強調する必要はないだろう。国としてはまだまだ未熟だった日本でも、その意義や本質は、認識されるべきところでしっかりと認識されていたのである。

なお、ガガーリンの左に描かれた地図、バイコヌールの位置と帰還地点をかなり正確に表現している。ソ連は建前上は、バイコヌールの位置を秘密にしていたのだが…。なお、「ボストーク」は、正確に近い発音は「ヴァストーク」である。他、「ヴォストーク」と記されることもあるし「ウォストーク」とされることもある。報道では「ウォストーク」とされている。

 “すばらしい偉業” 人間宇宙船成功 米、英も称賛

新聞も超特大見出で

【ロンドン十二日岩永共同特派員】ソ連の人間宇宙船打ち上げ成功は、英国でも大センセーションを起こしている。十二日夕刊早版はソ連科学の偉業をたたえる超特大大見出しで塗りつぶされ、BBC放送は朝の臨時ニュース以後引き続き人間宇宙船の経緯を詳しく報じている。(以下略)

政財界の反響

科学の驚異的発展示す

▽自民党益谷幹事長談 今回のソ連の人間宇宙船打ち上げ成功は、人類の科学技術の驚異的発展を示すもので、その意義はきわめて大きい。われわれは人類の英知がこのような科学技術を人類の平和と幸福のためにだけ利用することを切望する。また強大国が国際緊張の緩和と真の絶対平和の達成のため、誠意をもって対処することを念願してやまない。

世界平和への大きな力

▽社会党成田政審会長談 人間宇宙船打ち上げのの成功は人類多年の夢だった宇宙旅行がいよいよ現実のものになったことを示すもので、ソ連科学技術の輝かしい業績に敬意を表する。この科学の勝利を人類の幸福のために利用することをソ連政府と国民に期待する。この偉大な科学の進歩は、戦争が不可能になったことを証明するもので、各国政府はいまこそ核兵器禁止、完全軍縮の道を歩み、平和と生活向上を希望する全人類の期待にこたえるべきである。

▽民社党佐々木副書記長談 ソ連の人間宇宙船打ち上げでいまや世界人類が新しい宇宙時代の入り口に立っていることは否定できない。米国のケネディ新政権の発足と時を同じくして行われたことに、とくに重大な関心を示さざるをえない。この事件が米ソ両陣営の冷戦緩和への大きな力となることを期待し、また池田政府もこの事件を正統に評価して新しい時代感覚に立って世界平和への感心をいっそう強めるよう希望する。

平和利用面で喜ばしい

▽日本化薬社長原安三郎氏 平和利用の面では喜ばしい。軍事面でいえば人間宇宙船の成功で、武器としてのミサイルの価値が落ち、アメリカがナイキジュースでミサイルを打ち落とすということもだめになった。しかしソ連がこれを背景として国際政治の舞台で「おどす」ということはないだろう。アメリカにはショックだろうが、アメリカも半年か一年のうちには実現するだろう。社会主義の勝利とはいえぬ。

新技術の開発を真剣に

▽経団連防衛生産委員会委員長岡野安次郎氏 宇宙科学開発の総合機構の打ち立てに成功したものだ。政府としても新技術の開発について真剣に取り組まねばならぬ。アメリカも今年末にはマーキュリー計画で地球を三回まわる人工衛星を打ち上げる予定で、英、独も人工衛星に積載する電子機器開発に突き進んでいるので、新しい科学の面で世界のすう勢に適応していくことが日本経済の行き方だ。

     

解決された回収技術 成功した人間宇宙船
      宇宙医学にもほぼ確信

[解説]人間衛星はついに実現した。昨年八月、ソ連が第二号宇宙船衛星で初の“宇宙犬”生還に成功したとき、この日の近いことは予測されていた。しかしその後さらに三回の“犬衛星船”回収実験(うち一回は失敗)を繰り返し慎重を期した。これはやはり人間を乗せたときの安全性に確信を持つためだった。そのむずかしさは大きくわけて回収技術の問題と宇宙医学の問題だといえる。

○…地球を回る軌道から衛星を回収するには、まず秒速約八キロの軌道速度を逆推進ロケットで一、二パーセント落としてやる。すると衛星は軌道からはじき出され、重量に引かれて地球に向かって落下しはじめる。ここでもっともむずかしい問題は姿勢の制御と逆推進ロケットによる減速率である。軌道から落下しはじめた衛星は弾道学と航空力学の法則に従って一定のコースを飛び地球上の一定の地点に到達する。

○…だから逆ロケットの噴射方向を決める姿勢制御と減速率のどちらかでも狂えば軌道からはじき出される角度が狂い、予定地に着陸できない。もし大きく狂えば濃密な大気圏にはいったとき速度が早すぎ空気との摩擦で燃え尽きてしまうか、また回収どころか加速されてさらに高い軌道にのってしまうわけだ。第一号と第三号の宇宙船衛星はこうして回収に失敗している。正常な回収コースにはいったときでも大気による摩擦熱は大きな問題で、衛星船内が過熱しないよう外装に耐熱材を用いる必要がある。

○…しかしこれら回収技術の問題点は五号衛星船までのあいつぐ実験でほぼ完全に解決されたとみていい。宇宙医学の面では、発射と帰還の際の恐ろしい加速度や軌道上での無重力状態による肉体的、心理的障害が問題だ。こんどの“人間宇宙船”の成功でわれわれ人類も十分その悪条件に耐えられることが証明されたわけだが、これにはこれまで生還した米ソの“宇宙動物”たちのデータが貴重な手がかりになった。

人工衛星が地球を飛び出す速度は秒速八キロに達する超高速だが、高速そのものは人体になんの害もない。問題はその急激な変化である。発射されて軌道にのるまでの数分間にロケットは急速に加速され、内部の人間は進行方向の逆に大きな力で押しつけられる。これは地上に帰るため急に減速するときも同じである。地表面でふつうに受ける重力の加速度は一Gで表されるが、軌道にのるまでには十−十五G、大気圏再突入時には三十−五十Gもかかるといわれる。(以下略)

                        【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月13日(木)朝刊 二面】

※「ナイキジュース」とは、当時米国が開発・配備を目指していた対ICBM迎撃ミサイル

新技術の育成と発展の必要性が謳われる一方、宇宙開発=平和利用が切望されているのがわかる。また、記事の質の高さも伺える。有人宇宙船でカギとなるのは帰還技術だが、その原理と克服すべき問題点が簡潔かつわかりやすく描かれている。「秒速八キロに達する超高速だが、高速そのものは人体になんの害もない。問題はその急激な変化である。」という行など、非常に明快だ。

それに、見逃してならないのは中央の戯画だ。「場外ホームラン」という題で描かれている…ボールの中に宇宙服を着た飛行士が膝を抱えて座っている絵だ。特に気にも留めずに流してしまいそうだが、この時、ボストークが球体であることなど一切発表されていなかったことに注意したい!「場外ホームラン」というお題でこのような絵になったのだろうが、もしソ連関係者が見ていたら一瞬でもドキッとしたかも知れない。

まさかこの姿が、現実に最も近い姿だとは、誰が思い描いただろうか…。

続いて、「科学座談会」が催されている。「惑星間飛行へスタート」と、心は早くも太陽系進出だ。一般紙では意外に詳しく、Gの問題点やガガーリンの年齢に言及しているのが興味深い。

 ついに宇宙人誕生(上) 惑星間飛行へスタート “思いやられる”将来の発達

ソ連はついに人間宇宙船の回収に成功した。まさに歴史的な壮挙である。これで人間は“宇宙的人間時代”へ大きく踏み出したわけだが、本社は回収発表と同時に権威者による座談会を開き、人間宇宙船成功の意義、宇宙医学、これからの人間社会のあり方などについて語ってもらった。

出席者
防衛庁医学航空実験隊長 大島正光氏
東京天文台技官 関口直甫氏
技術評論家、立大教授 武谷三男氏
科学評論家 井戸剛氏
東京工大教授 岡本哲史氏
評論家 荒正人氏

人間が宇宙へ出た

−まず人間宇宙船の成功の意義からおうかがいしましょう。

武谷 コロンブスの米大陸発見、リンドバーグの大西洋横断、原子力の解放などとは比較できない画期的な事件ですね。何しろいままで束縛され続けてきた地球から離れたわけですから。当面の利用の方はどうなのだろうか。

関口 すぐに役立つというよりは、人間が宇宙へ進出したという意義が一番大きいと思う。

武谷 人工衛星の成功からわずか三年半、科学技術の発達の速さに驚かされるね。この調子だと将来が思いやられるよ。(笑い)

井戸 こんどの成功は昔未開の人がカヌーでこわごわ大洋へ進出したときと似ている。これで惑星間飛行へのスタートが切られたことになる。カヌー、帆船、汽船と発達するのは時間がかかったが、これからは早いですね。ただ、将来の惑星間飛行には克服しにくい困難もありそうだが…。

大気圏外の人間

−大気圏外の人間はどういう条件に置かれるのですか。

大島 ひと口にいうと発射の際の加速度飛行中の無重力宇宙線などの影響、狭い居住性、大気圏への再突入のさいの加速度などです。最初の“生か死か”というような条件から快適な宇宙旅行ができるような条件が与えられるように私たち宇宙医学者は努力しているわけです。こんどの成功もパイロットにとっては相当きびしい条件を受けたはずで、これを克服したことは画期的で祝福されるべきですね。

(中略)

予想外だった“27歳”

武谷 地球から出るときは何G(Gは重力の加速度の単位、地上は一G)ぐらい?

関口 9G、つまり地上の重力の9倍ぐらい、時間は数分でしょう。

武谷 地上でも実験できるわけだが。

大島 私のところにある遠心力発生装置では最高三〇Gまでできる。時間は一秒間に三Gです。

−どれくらいのGまで耐えられるか。

大島 加速度のかかる方面で違う。ジェット機では頭から足へかかるので五Gぐらい。

井戸 ロケット・ソリで四十二Gが最高。

大島 それは衝撃実験ですね。

−それに耐えるのには何歳ぐらいの人間が適当か。

大島 医学的には三十歳から三十五歳が最適と思っていたのですが、二十七歳とは予想外だった。

−犬の実験からすぐ人間に移ってきましたが。

大島 ソ連はいままで犬で実験を重ねてきたが、犬と人間との比較は地上で実験できる。大丈夫と判断したわけでしょう。

特攻魂ではダメ 精神の不安除いて確信

−人間が大気圏外へ出ると精神的にどんな影響が考えられるか。
   
井戸 米国の宇宙医学研究所をたずねたさいに聞いた話では、おそらく大変な虚無感というか孤独感に陥るのではないかということだった。こんどの場合は二、三時間の経験だが、これが一年七ヶ月もかかる火星まで行くとなれば、仮に二−三人で行くにしても狭い場所で、同じ顔ぶれで、しかも長途だから、精神的には大変な問題だと思う。

武谷 女性の方が宇宙旅行にはむいているのじゃないか、などということも言われてましたね。

大島 退屈さに耐えるということが高く評価されているんでしょうね。

−こんどの場合、特攻隊的精神でやったという感じがありますか。

井戸 そうは思いませんね。この前米国のケープカナベラルで、無人のカプセルが爆発したことがありましたね、あれが与えた心理的衝撃は大変なものだった。そういう例からみても打ち上げる前に相当な自信がなくて特攻隊的な気持ちでは、とうてい実現は不可能だと思う。そういっては悪いけど自衛隊の飛行訓練などはどうも昔の頭でやっているように思います。米国などを見ても機械に対する信頼感を植え付けるためには、エレクトロニクス(電子工学)の開発以上の努力を傾けているようだ。こんどの人間衛星は心理的な不安を与えないという確信があって初めて実現できたことでしょう。

     

                        【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月13日(木)朝刊 四面】


特攻隊魂ではダメだと強調している点も、ツボを押さえている。米国は飛行士の育成に電子工学の開発以上に努力を注いでいると指摘している点など、的確にものを見ている。ただどうも、ソ連に対しても同じ類推をしていたようである…現実には機械至上主義であったわけだが。「女性の方が宇宙旅行に向いているのじゃないか」と当時言われていたことも伝えており、興味深い。

続いて、13日夕刊より。ガガーリンはフルシチョフと電話対談を行い、ガガーリンは宇宙飛行の感想を、フルシチョフは偉大な勝利を称えている。しかし注目すべきは中央の記事「総力で主導権奪回へ」だ。米ケネディ大統領は12日朝(米東部時)に祝辞を述べたが、夕方の会見では質問攻めにあっている。ここでは遅れをとっていることを素直に認めつつも、長期的には勝てるものと確信していると述べている。

 “快適だった初の宇宙旅行” ガ少佐、フ首相と電話対談

【ACH=共同】十二日夜のモスクワ放送によると、フルシチョフ・ソ連首相は十二日衛星船ウォストークの打ち上げ準備、打ち上げおよび世界最初の宇宙人ガガーリン少佐の宇宙飛行の成り行きを注視していたが、ガガーリン少佐の無事着陸の方がはいると間もなく(モスクワ時間午後二時、日本時間午後七時)同少佐と電話で対談した。

(中略)

総力で主導権奪回へ 米の宇宙計画 話題さらう宇宙船

【ワシントン十二日仲共同特派員】米政府は十二日、ソ連人間宇宙船の劇的成功を実務的な冷静さで受け取るとともに、自由世界の総力を結集することによって長期的には宇宙開発の分野で主導権を奪回できるとの希望を表明した。ケネディ大統領は十二日朝、フルシチョフ・ソ連首相にていねいな祝辞を送ったが、午後四時からの記者会見では質問に答えて(1)人間衛星分野でソ連に追いつくのは多少の時間がかかるだろう(2)この分野でソ連の優位はここ当分続くと思う(3)今後は重量級のブースターのサターンやセントールの開発、原子力ロケット研究などによって長期的にはソ連に追いつけると思う。−などの見解を明らかにした。

この日の記者会見は三週間ぶりで行われ、しかもソ連人間衛星の成功、マクミラン、アデナウアー両首相との会談、中共、ラオス、キューバ問題の微妙な動きなどもあってケ大統領就任いらいという四百二十六人の記者団が詰めかけた。このなかで一記者は“歴史的問題”と銘うって、“ソ連はいくつかの分野、とくに最近、宇宙開発の分野で急速に進出してきているが、これはソ連のいうように社会主義体制が自由主義体制よりも永続するものであることを示しているか”と質問した。これを受けてケ大統領は“共産主義は独裁体制の利点により短期間に目ざましい科学的成果をあげているが、西側諸国は民主主義制度のもとで、長期的には最も人類の福祉に役立つ成果をあげるものと確信している”と答えた。

人間衛星の成功は過去十二時間にわたってくまなく全米の話題をさらっており、新聞各紙の全段抜き見出しはいうまでもなく、ナショナル・プレス・ビルや国務省のニュース・スタンドから夕刊が売り切れて姿を消すという前例のない現象さえみせている。

この日議会では審議を一時中断して人間衛星論がひとしきり戦わされたが、ほとんどの質疑がマーキュリー計画をはじめとして、米宇宙計画の画期的促進を要求し、ケネディ政府の宇宙計画予算増額を提案する声も多かった。

ソ連人間宇宙船の成功で最も打撃を受けたのは、月末にも必至と予想されているパイロットを一八四キロの航空に打ち上げるマーキュリー・レッドストーン第三次計画で、この日を目指して最後の訓練設備に入っているグレン海兵隊中佐ら三人の宇宙パイロットは一斉にソ連科学に敬意を表明しながらも口惜しさを満面に現して大きな失望を表明している。しかし宇宙局当局がソ連の成功にあおられて、この計画自身のテンポを早めることは人間の生命に関係があるだけにまったく予想されていない。

     

                       【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月13日(木)夕刊 一面】


次の記事には挿絵が入っている…「こりゃマーキュリーじゃないか」と思いきや、実はボストークの想像図だというから笑ってしまう。これまた英共産党機関紙「デーリー・ワーカー」が記載したものとのことだが、想像の範囲がマーキュリーの域から脱していない。先の戯画「場外ホームラン」の方がよっぽど真実に近い(笑)。

 花開く宇宙開発 数年後には月旅行へ 今世紀中に火星・金星も

       

                       【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月13日(木)夕刊 三面】


記事の下には私鉄バス半日ストの報道が挟み込まれている…“花開く宇宙開発”の後は、現実世界に引き戻される…。


4月14日。新聞一面には、12日のモスクワの様子を伝える第一報が記載された。共同通信本社はモスクワ支局長の万氏に国際電話をかけ、当日のモスクワ市民の様子を伝えてもらった。

 空を仰ぎ、肩を叩き “名文句だネ” ガ少佐の第一声

人類史上に不滅の金字塔を打ち立てた“人間宇宙船”の偉業は、文字どおり世界の話題をさらっているが、とくにモスクワをはじめソ連全国は感激と興奮に沸き立っている。本社では十三日早朝モスクワ万支局長を国際電話に呼び出し、なまの現地の表情をきいてみた。

本社 まずモスクワの様子を聞きたい。

 とにかく大変な一日だった。きのうの午前十時、ラジオのスイッチを入れるといつもと調子が違っていた。「ご注意願います。タス声明をお伝えします」とアナウンサーの声も重々しかった。支局にあるタスのテレタイプもガタガタとなりだした。トタンにこれは人間衛星の打ち上げだと感じた。

本社 発表を聞いたあとはたいへんだったろう。

 軌道に乗ったという発表があってから電報を打ちに町に出たが、町は案外に静かで平常とあまり変わりはなかった。どの商店も相変わらず買物客でごった返しているし、歩道の人通りも全く普段と同じだった。でもよくみると友人同士が肩をたたきあったり、手を握りあったりし、興奮した口調で語り合っていた。モスクワっ子の足どりも誇らしげに感じられた。

本社 ガガーリン少佐が無事に帰還したという発表のときはどうだ。

 軌道に乗ったという発表のときはどんより曇り零下二度で雪がチラついていたが、回収成功が伝えられた昼過ぎには晴れてきて春の陽射しが町に満ち、足をとめて青空を仰いでいる人もみられた。きっと「あの空を」といった感慨にとらわれていたのだろう。東京の銀座に当たるゴーリキー通りではラジオのスピーカーがニュースをふりまいていた。これはいつも騒音防止が徹底して自動車の警笛も禁止されているモスクワとしては珍しいことだった。

本社 ガガーリン少佐の人気はたいへんでしょう。

  ガ少佐は一夜のうちに世界一の有名人になったが彼の出身地であるモルダビアの首都キシンヨフ(ソ連の西南地区でルーマニア国境に近い)では目抜き通り名前を“ガガーリン通り”とすると決めたそうだ。ガガーリンが無事に着陸して語った“気分はよい。ケガどころかカスリ傷もない”の第一声はなかなか名文句だと評判だ。

二十七歳の若さだが、そのおいたちといい、家庭といい、典型的なソ連飛行士で、第一回の宇宙飛行に選ばれたという点を除けば他のソ連人と少しも変わらない。とにかく彼はいま一時間四十八分の宇宙飛行を体験したあと病院で精密な身体検査を受けているということだが、いずれはモスクワに現れて記者会見かテレビ放送にでるだろう。いまからその日の騒ぎが思いやられる。

本社 新聞などの調子はどうか。

 新聞はほとんど全ページをこの報道にさいている。十二日の夕刊の「ソ連人宇宙へ」という全段抜き見出しが題字の上に掘られ「わが国が人類の歴史に新時代を開く」「世界をゆるがせた百八分」とかの大見出しでタス通信声明、内外の反響をのせている。もう少しするとメーデーのための飾りつけが始まるが、おそらくことしのメーデーではこんどの人間宇宙飛行が大々的にうたわれるだろう。

本社 今回の成功の意義についてそちらの見解が聞きたい。

 中央委、最高会議幹部会、閣僚会議のアピールのように、ソ連は今回の成功を社会主義の勝利としている。単にソ連科学の成果ではないというわけだ。いずれにしても文字どおり画期的な出来事だけに、その意義の大木債を誇張しすぎるということはないと思う。問題は国際情勢にどうはね返るかということだが、ソ連ないし社会主義陣営の威信があがったとはいえるだろう。アピールはこれが全面軍縮の実現、世界平和の確保に役立つよう全世界の国民と政府に努力を要望している。しかし、この分野におけるソ連の優位は以前から認められていたところで、人間宇宙船も時間の問題とされていたことを考えると、そのこと事態は非常にショッキングなことだが、国際関係における力のバランスがこれまでと違ってきたとはいえない。

本社 ソ連の国内情勢への影響はどうか。

 人間宇宙船が成功したからといって、ことしの農産物が豊作になるわけでもない。そのへんのことはソ連の首脳部は百も承知のことだろう。モスクワにいるとソ連の良い面も悪い面も目につくが、科学分野での進歩を今後はもっと他の面にもおよぼしてゆけば、さらに強い自信をもつ国となるだろう。それが国際情勢に良い影響を与えることになる。


〔政界談話室〕 宇宙開発予算で吊し上げ

▽…十三日の衆院内閣委は池田首相を呼んで防衛二法案を審議したが、ソ連の人間宇宙船が飛んで毒気を抜かれた直後だけに質問も気の抜けたような調子。野党側は宇宙時代にこんな古い戦力を論争するのは恥ずかしいといった表情だった。それでも林法制局長官はぶ厚い六法全書を手にして、憲法九条の解釈をトウトウと説明。これにはさすが議論好きの社会党の面々も「政府の憲法解釈はきのうの雨に打たれて色あせた桜のようなもの」とソ連の宇宙船成功と対比して防衛二法案の古さを皮肉っていた。

▽…科学技術者の養成をめぐって池田科学技術庁長官と荒木文相の意見が対立しているが、十三日の参院文教委で社会党の八島三義氏がこの問題を取り上げた。なにしろ“ヤカマシ三義”といわれるだけあってなかなか激しい調子。それに日教組代表がたくさん傍聴しているのに気を良くしてか、荒木文相、水田蔵相、大平官房長官などをつるし上げた。特に水田蔵相には「予算が少ないからこんなざまだ。ソ連の人間宇宙船をどう思うか」とただしたところ「世紀の壮挙だと思う」との答えに矢島氏「壮挙だといいながら宇宙開発の予算が七千三百万円とは大笑いだ」

▽…こうして人間宇宙船はあちこちで話題になっているが、衆院議院運営委員会の社会党議員から人類の偉大な成果をたたえて本会議で“祝意”を決議してはどうかと持ち出した。しかし自民党はこの決議に気のりうすで「国内的には低開発、所得格差、国際的に見ても後進国開発などたくさんの問題がある。地球も開発されていないのに宇宙開発はピンとこない」との声がある。

         

                       【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月14日(金)朝刊 一面】


「とにかく大変な一日だった。きのうの午前十時、ラジオのスイッチを入れるといつもと調子が違っていた。「ご注意願います。タス声明をお伝えします」とアナウンサーの声も重々しかった。支局にあるタスのテレタイプもガタガタとなりだした。トタンにこれは人間衛星の打ち上げだと感じた。」

まるで映画のワンシーンを見ているようだ。ラジオのスイッチを入れる万氏、すると重々しい雰囲気でタス声明を読み上げるアナウンサー。と同時に、部屋の一角に置いてあるテレタイプがガタガタと文章を吐き始めたのだ。「…!? ついにやったか!!」ラジオの傍で、騒々しい音を立てるテレタイプを見つめただろうか…歴史の始まる瞬間を、こんなに簡潔で臨場感溢れた表現で描写している。想像するとこちらまで興奮してくる。

続いて、冷静な中にも喜びを隠せないモスクワ市民の様子が描かれている。早くも目抜き通りに「ガガーリン通り」と名付けることを決める町も出てきたことなどを伝えているが、その一方では「人間宇宙船が成功したからといって、ことしの農産物が豊作になるわけではない…」と、宇宙開発の位置づけも冷静にまとめられている。

一面右下には「政界談話室」と称して国会の動きがレポートされているが、13日の委員会は気の抜けたものだったようだ。当時の宇宙開発予算が7300万円だったというのも興味深い。また「国内的には低開発、所得格差…」とあるのも注目に値する。経済の発展と共に所得格差は広がりつつあり、特に農村部と都心部との差が際だっていた。いわゆる「集団就職」がそれを象徴しており、都市はますます発展し、農村は過疎化への一歩を踏み出していた。

先に記載した4月11日夕刊の左上に「考える婦人たち」と題する連載コラムが記載されているのだが、そこでは「農業は私一代だけ」「月給とりにかける夢」という文字が目を惹きつける。文中には「これからは上級学校に出さんことにゃ、どうにもならんですけん」といった農家の主婦の声がならぶ…今や死語となった「月給取り」という言葉には夢や希望が託され、衰退の影が忍び寄る第一次産業、興隆の躍動盛んな第二次、三次産業の現実がそこには描かれている。

続いて、二面には昨日の「科学座談会」の続きが記載されている。これまた非常に重要な認識が行われているので、一部引用してみよう。

 ついに宇宙人誕生(下) 国際協力の促進へ 日本でイニシアチブを

出席者
防衛庁医学航空実験隊長 大島正光氏
東京天文台技官 関口直甫氏
技術評論家、立大教授 武谷三男氏
科学評論家 井戸剛氏
東京工大教授 岡本哲史氏
評論家 荒正人氏

ソ連の技術は高水準

−技術史の上から見てどの程度の意義があるか。

岡本 科学のいろいろの分野の協力がなければ実現は不可能だったと思う。技術力、資金、組織力、それらすべてを動員した総合技術という特殊な技術の勝利という意味で、技術史上で画期的な意義がある。

−ソ連は米国に比べてエレクトロニクスの技術で遅れているのではないか、と言われていたようですが?

井戸 過去に遅れていたこともあったと思うが、金星衛星を飛ばしたとき、あれほどりっぱなコンピューターができていたとすると、エレクトロニクス技術も相当なものだと想像できます。米国ほどエレクトロニクスの小型化には神経質になっていないでしょうが…。

武谷 ソ連の技術と資本主義の技術を比較する場合の注意は、米国のような国では技術的に各方面のものが平均化されるが、社会主義国ではテレビセットがお粗末だとか、モスクワのホテルのエレベーターがいつも故障しているとか、一端を見ただけでは観察を誤るということでしょうね。極端な例は日本です。レジャーブームみたいなものは行き渡っているが、政府は科学技術についてさっぱり顧みない。

井戸 民生を犠牲にしてピラミッドの頂点を高めたという考え方も不適当でしょうね。

武谷 将来性ということを時間の幅をとって考えなければいけないのでしょうね。

井戸 人類の幸福のためロケットを飛ばすのだという命題と、民生を犠牲にしているじゃないのかという議論は永久の水掛け論でしょうね。

宇宙法制定が急務

−今後の宇宙開発はどうなりますか、たとえば月までゆくのにどのくらいかかりますか。

井戸 その前に国連で宇宙法をなんとかかっこうをつけなければならないのではなないか。このままでは戦争の危機を呼ぶことにならぬともかぎらない。ロケット実験の目的とか回数とか、原子ロケットの場合の大気圏外の汚染の問題などがある。宇宙開発は人類共通の目的なのだからまずこのペースで研究を進めるべきではないか。

武谷 軍事目的にどのていどの価値がありますか。

岡本 人間が操縦しておりてくるということでないと軍事上の意味はない。

井戸 いまは一万メートル上空から写真をとるとゴルフ場のタマが見えるほど。そのようなカメラその他でみた偵察結果が重視されている。それだけに宇宙法が必要と思う。

−それ以上、火星とか金星とかに行くということになるとどうなりますか。

井戸 ソ連では宇宙開発の最終目的は火星に新しいソ連圏を建設することだといっています。

岡本 やはり宇宙法がなければ困ることになる。

日本の役割

−南極には国際協定ができているが、日本としてはどんな協力方法がありますか。

井戸 米ソだけの宇宙ではなんにもならない。

武谷 南極で日本が、日本だけでやろうとしたことはまずい。各国の協力態勢ということをはっきり打ち出し、日本は観測を受け持つから砕氷船を出せというように国際協力のイニシアチブを日本がとるとよかった。人工衛星、人間衛星でも日本が国際協力を主張し促進すべきではないか。南極における米ソ協力の形を進めるよう科学者が先頭に立ってやるべきと思います。

井戸 もっとがめつく考えて、たとえば通信衛星とか気象衛星とか、日本は台風の被害の大きい国だから大いに協力するところがあります。また松平国連大使は大気圏外平和利用委員長だから、先頭に立ってやれば日本人がやったということで歴史上に残ることになるでしょう。

−南極ではひとつだけよい点があった。それは軍事的なものは何もなかったということです。

武谷 日本には宇宙研究についての実績がかなりあるのだから、これをフルに使って協力態勢を進めるべきです。

(以下略)

           

                        【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月14日(金)朝刊 二面】


冒頭で、「ボストークは総合技術の勝利」と明確にされているのは重要だ。現在では様々な技術それぞれが総合技術となったが、当時それを象徴するものは宇宙開発であった。話を広げれば、これがそのまま国力の誇示ということになったのだ。

ソ連の技術と資本主義のそれの違いを簡潔かつ的確に指摘した部分は見事と言える。ただ、「民生を犠牲にしてピラミッドの頂点を〜不適当でしょう」という部分は、結果、間違っていたと言えよう。ソ連の、軍事優先の技術開発はその後も変わらなかったのである。

ところで、一連の報道では所々に「原子力ロケット」という言葉が出てくるのだが、これも目を引く。上の記事・中央の想像図で、右のロケットは原子力ロケットの想像図とされている。これを描いたのはスウェーデンの建築家ということになっているが、当時世界的に起こっていた「原子力ブーム」の現れと考えて間違いない。核はその力を兵器として目に見える形で出現したが、日本では平和利用という形で動き始め、早くも1955年には原子力基本法が制定されている。そのちょっと前、1949年には湯川秀樹が原子核の研究(中間子理論)でノーベル賞を受賞し話題をさらい、1952年に連載を開始し子供心をわしづかみにした「鉄腕アトム」の存在など、一般の人々にも「原子力」という言葉はメジャーなものになっていた。


4月15日。この日の朝刊には、前日夕(モスクワでは昼)に行われたガガーリン歓迎式典の模様が記載された。
 フ首相、感激の抱擁 “宇宙人”歓迎に数十万人 赤い広場で祝賀大会

【RP=共同】モスクワ放送は十四日午後零時四十七分(日本時間同日午後六時四十七分)から人類最初の宇宙飛行を終えてイリューシン18型機でモスクワ入りするユーリー・ガガーリン少佐の到着のもようをブヌーコボ空港から実況放送した。同放送によると、ガ少佐を迎えるこの日のモスクワは全くのお祭り気分で、広場や街路は旗やプラカードで飾られ、ブヌーコボ空港からモスクワの中心部まで三十三キロの沿道には数十万人の市民が並んだ。

(中略)

ウラー(万歳)の大歓声 
ガ少佐演説 “党の信頼に感謝”


【ACH=共同】十四日のモスクワ放送によると、ガガーリン少佐一行の乗用車は同日午後二時(日本時間同午後八時)すぎ十月広場に姿をみせ、ついで祝賀会が行われる赤い広場に到着した。続いてガ少佐はフルシチョフ首相らの要人とともにレーニンびょうに姿を現し、二時二十五分から祝賀会が始まった。

(以下略)

レーニン章と英雄の称号 ガ少佐に

【ACH=共同】十四日のモスクワ放送によるとソ連最高会議幹部会は同日、ガガーリン少佐に対しソ連英雄とソ連宇宙飛行士の称号、レーニン勲章、金の星のメダルを授与し、モスクワに少佐のブロンズ製の胸像を建てることを決めた、と発表した。

〔政界談話室〕 大平長官「重盛の心境」

(中略)

○…防衛庁は十四日帝国ホテルに徳川夢声、菅原通済、(中略)、らを招き自衛隊用語についての意見をきいた。なじみのない用語を平易化して国民にもっと親しまれるようにしたいというのが防衛庁の希望だが、この日の出席者はいずれも百戦錬磨のつわものばかり。どうも防衛庁の期待どおりには運ばなかったようだ。話題はもっぱら階級の呼称に集中し「大将だけはつくれ」「ガガーリン少佐も自衛隊流ではガガーリン三佐か」「いままでどおりでよい」「我々は明治人だ。若い人にきいた方がよい」といった調子のものばかり。(以下略)

 【熊本日日新聞 昭和36年(1961年)4月15日(土)朝刊 一面】


一面の右端に記載されている「政界談話室」が笑いを誘う。確かに自衛隊流で言うと「ガガーリン三佐」だ。もしタス電第一報が、「ウォストークの宇宙飛行士は、ユーリー・アレクセイビッチ・ガガーリン三佐である。」…うん、何か足らない(笑)。

余談だが、同紙七面には小児マヒ(ポリオ)治療薬のことが報じられている。当時は小児マヒが集団流行を繰り返しており、60年は特にひどく、61年もそれを超える勢いを見せつつあった。当時、そのワクチンは米ソしか保有しておらず、中でもソ連が有した生ワクチンは即効性に優れていたが、日本政府は信用できないとして導入に消極的だった。それが大規模な婦人運動に押され国も輸入を決断、同年6月21日、ソ連から1000万人分を入れることを発表している。


4月16日。朝刊の一面隅に、イズベスチア紙に記載された打ち上げ前のガガーリンの写真、そして上昇するロケットのそれが記載されているだけだ。ロケットは大砲の砲弾のような機体が煙の中から上昇する姿で、本当の姿と全く異なる。

これ以降、関連記事はなくなり、社会は元の流れを取り戻していく。こうして“お祭り騒ぎ”は終わったが、この後、米ソが宇宙開発競争をヒートアップさせるのはよく知られているとおり。それは事が起こる度にメディアで取り上げられ、大衆の関心を集めていた。今と異なり娯楽が限られている時代に、宇宙開発イベントは長らく人々の記憶に残る出来事として歴史を刻み続けていったのである。

1960年代の、ボストーク黄金期。続いて2号から6号までの飛行を簡単に振り返ってみよう。


※補足1
主要民間テレビ局の開局は以下の通り。1953年(昭和28年)・日本テレビ放送網(現・日テレ)、1955年・ラジオ東京(現・TBS)、1959年2月・テレビ朝日、1959年3月・フジテレビ、1964年・テレビ東京。以上いわゆる在京キー局。関東圏ではこれらが聴取できたが、地方は民放局そのものの数が少なかった。どの地方県も1959年前後に1局目の開局が集中しているが、2局目は1969〜70年頃に集中しているという状況であった。

そのような番組を楽しめるのは主に在京キー局が受信できる関東圏。黎明期のテレビドラマはいわゆる映画撮りを流す「テレビ映画」や生放送の「スタジオドラマ」が主。1950年代末には「電気紙芝居」とバカにされていたが、60年代に入ると質・数ともに増加する。だが本格的に伸びるのは70年代に入ってからであり、現在のように大量生産が始まるのは80年代末〜90年代始めのバブル経済期である。

結局、60年代はテレビの躍進期ではあったが、技術的な面からもコンテンツは限られていた。映像で大衆娯楽を担っていたのは映画であった。

その他文化は、1960年代を振り返るサイト「60年代通信」に詳しい http://www31.ocn.ne.jp/~goodold60net/

【Reference】どの資料も詳しくわかりやすく、推薦です!

熊本日日新聞4月11日〜4月15日(詳細は各記事ごとに明記)
筆者近辺の年配の方々に語って頂いた回想
…などなど。