スプートニクの思い出

「朝早く、庭に出て空を見上げると…スーッと移動していく光の点が。」

「流れ星じゃない。流れ星ならすぐ消える…あれは、スプートニクだったんだよ。」

筆者の話で恐縮だが、私がそもそも宇宙へ興味を持ったひとつのきっかけに、祖母の存在がある。私は子供の頃、よく祖母の昔話を聞いた…大正時代、日本領台湾に生まれた彼女は非常に裕福だったということ、敗戦で全てを失い、まだ小さかった私の母を連れて、身体ひとつで引き上げてきたこと、どん底の貧乏生活が続いたということ。そして、スプートニクを見たということである。

どうして興味を持ったのかはわからないが、祖母は子供の頃から夜空の世界に興味を持っていたという。そもそも女性が夜外に出るという行為自体が破廉恥、おてんばの類であり、あってはならないという通念がまかり通っていた、そんな時代である。人の目を盗むようにこっそり戸外へ出ては、星を見上げていたのだという。

その夜空に対する興味は、九州の隅の、片田舎での貧しい生活の中でも潰えることは無かった。

そんな好奇心旺盛な祖母について私の母は、「もし男に生まれていたら、ひとかどのものを残した人だったろうに」と語ったことがある。物事を慎重に見極め、こうと定めたら全く動じず、てこでも動かない気丈な昔気質の祖母は、大変な日々の生活の中にも余暇を見出しては、趣味に熱心だったという。

片親の私にとっては厳格な父親のような存在であった。非常に厳しい人であったが、しかし今思えば、私の興味や趣味には理解を示してくれた優しいおばあちゃんであった。

祖母が持っていた書物の中に、数は少ないが宇宙に関するものがあった。それらは昔、転居の際に処分され、書名も思い起こせないのだが、米国のライトスタッフやソ連のボストーク飛行士たち、スプートニクやライカ犬といったものがふんだんに記載されたものだったことは覚えている。

そんな本を見ながら祖母が語った言葉で、今もはっきりと覚えていることがある。それは、レオーノフの宇宙遊泳についてのものだ。

「宇宙を泳ぐのだから、飛行士は泳ぎが上手な人の中から選ばれたのだよ(笑)。」

これを聞いてから数十年後の今、私はソ連の宇宙開発を調べていくうち、あることに驚いた。ソ連宇宙開発を主導したセルゲイ・コロリョフが次のように語っていたというのである。それは史上初の宇宙遊泳ミッションであるウォスホート2号の飛行士選定に関して語ったジョークだというのだが、

「宇宙遊泳なのだ。アハハ、泳ぎが上手な者から選ばないとな!」

そう、前述の祖母の言葉と全く同じなのだ。例えばコロリョフのジョークが西側に流れ出して、出版物に記載され、それを祖母は読んで知っていたのか?それとも彼女のオリジナルジョークがたまたま合致したのか?真相はわからないが、恐らく後者であろう。だがコロリョフが実際にそのようなことを言っていたことを知って以来、「祖母はいったいどこでそれを知ったのか」、「ひょっとして宇宙開発現場に居合わせたのか」とまあ、不思議な妄想に囚われ、そして遠い昔の、一緒に本を読んだ日々を思い出してしまうのである。

私は常々、貧しい生活の中で祖母がどのようにしてスプートニクのことを知ったのか気になっていた。食にも困る、それは大変な日々だったということを繰り返し聞かされて育った私には、「メディアに触れるのもそう簡単なことではなかったろうに」という決めつけで一杯だったのである。

ある時、母にこの件を聞いたことがあったのだが、「たぶん、新聞で知ったのではないか」という返事だった…どうやら新聞に触れる余裕はあったようである。

さて前置きが長くなったが、スプートニク1号がソ連政府そしてコロリョフ設計局で形になっていった過程もいずれまとめてみたいが、ここでは当時の我が国の新聞報道を辿り、打ち上げ成功とそれに対する社会の反響、そして人工衛星の意味を振り返ってみることにしたい。筆者にとっては、それを見たという、若い頃の祖母に少しでも近づくことができるものとなるかもしれない。


1957年10月4日、ソ連は史上初の人工衛星打ち上げに成功した。当時、科学界は「国際地球観測年」(IGY・補足1参照)の最中で盛り上がりを見せており、米ソは共にその期間中に衛星を打ち上げると度々表明していたのであった。

この衛星打ち上げは、全世界の人々にとっては全く突然のことだった。事前に打ち上げを予告する発表があった(9月17日のモスクワ放送。衛星が発する電波の周波数など、具体的なもの)が、それを本気で捉えていた者はいなかったのだ。

早速、当時の新聞報道を振り返ってみよう。ただ筆者が参照できた資料は、そのマイクロフィルム自体がピンぼけで作成されたようで、判読の難しい部分も多い。主要な部分は引用したいが、それでも一部読めない部分は推量や割愛させてもらうことにする。

  ソ連、人工衛星を発射 モスクワ放送

  
世界最初の成功 直径58センチの球体 秒速八千メートルを突破

(ロンドン四日発ロイター、共同)四日夜のモスクワ放送によれば、ソ連は同日人工衛星を発射した。

(ロンドン四日発AP、共同)モスクワ放送は四日英語放送で、タス通信の発表として、ソ連が同日世界で最初の人工衛星の打ち上げに成功したと報じた。

        


  
軌道に乗って回転中 1時間35分で地球一周

(ロンドン四日発AP、共同)タス通信の発表は次の通り。

ソ連は十月四日世界で最初の人工衛星の打ち上げに成功した。過去数年間にわたってソ連では人工衛星製造のための研究と実験が行われてきたが、ソ連が国際地球観測年の計画の流れにそって人工衛星の打ち上げを計画していたことは、すでに新聞紙上に報道ずみである。今回打ち上げに成功した人工衛星はこれらの研究の成果である。

この人工衛星はいまダ円軌道にそって、約九百`の高度で地球の周囲を回っている。この人工衛星は直径五十八abの球体で、重量は八十三・六`、無線送信機を備えている。最初の情報によれば、打ち上げ用ロケットは人工衛星に必要な秒速約八千bの軌道運行速度を与えた。人工衛星が飛行しているところは、日の出および日没の際に望遠鏡のようなごく簡単な光学器械を使えば、観測することができる。人工衛星が地球の周囲を一回転するには一時間三十五分を要するであろう。

人工衛星に備えつけられた鋼鉄製無線送信機は周波数二十および四十メガサイクル(波長十五および七・五b)で刻々地上に向け信号を送っている。その送信出力はアマチュアが充分受信できる程のものである。信号は継続時間休止時間ともに〇・三秒の電信信号に似ている。一つの周波数が休止している時間に他の周波数が発信する。人工衛星の軌道は赤道面に対して六十五度の傾斜をもち、五日にはモスクワ地区上空を午前一時四十六分と午前六時四十二分の二回にわたって通過する。ソ連は国際地球観測年の間にさらに複数の人工衛星を打ち上げる計画を立てており、これによって宇宙旅行への道が開かれるであろう。

この次に打ち上げられる人工衛星は四日打ち上げられた人工衛星よりも大きく、かつ重くなろう。今世代の人々は新しい社会主義社会の文化の発達が人類の昔からの夢を実現化するのを目撃するであろう。人工衛星は速度が恐ろしく速いので、その運行の最後に大気の厚い層にぶつかると燃えてしまうであろう。

ソ連国内の観測所は人工衛星の軌道を確認するため観測作業を行っている。空気の希薄となった上層域の密度は正確に分っていないからいまのところ人工衛星の精密な運行期間ないし空気のより密度の高い層に入る箇所を決定するデータは存在していない。

  
後手をふんだ米国 数ヶ月の差 驚くワシントン

(ワシントン四日発AP、共同)ソ連は今回の世界最初の人工衛星打ち上げにより米国に数ヶ月の差をつけたことが明らかとなった。米ホワイトハウス当局はこれについて説明を避けているが、ワシントンに衝撃を与えたことはたしかだ。国際宇宙観測年(IGY)と関連して人工衛星の打ち上げを計画しているソ連以外の唯一の国である米国は明確にならなければ打ち上げはできないはずである。米国はすでに二回にわたり三段型ロケットの部分的実験を行い、第三回実験も近く行われようとしている。しかし本物の打ち上げまでにはあと四回実験が見込まれている。

今回のソ連発表の意義を過小評価しようとすることは意味のないことであろう。人工衛星の研究に当たっている米当局者もべつにソ連と競争しているわけではないと語っているが、米国の名誉にかけても最初の打ち上げを行いたかったことは疑いない。ワシントンではソ連が人工衛星の打ち上げに大陸間弾道弾(ICBM)を利用したかもしれないとの推測も一部では行われている。

   英、人工衛星の電波をキャッチ

(ロンドン五日発UP、共同)英国のBBC放送は五日早朝「ソ連の人工衛星のものと思われる電波をキャッチした」と発表した。

(ロンドン五日発ロイター、共同)ロンドン近郊のロイター通信の受信所はグリニッジ標準時五日午前零時五分(日本時間同日午前九時五分)モスクワ放送が発表した波長に近い電波を受信したと報告した。この信号はモールス符号のダッシュに似た規則正しい等間隔の早いビート音(うなり音)であった。信号は午前零時二十八分頃消えた。

  
二日−一月間飛ぶ ソ連の科学者語る 空気の密度次第で

(ワシントン四日発ロイター、共同)ソ連のブラゴヌラホフ博士は四日、ソ連大使館で開かれたカクテル・パーティーの席上米科学者たちの祝辞に答え次のように述べた。人工衛星の実験は今回ソ連の発表したものが最初である。人工衛星の対空期間は二日ないし一ヶ月だとおもうが期間がどうなるかは八百`の高度の空気の密度いかんにかかっている。私の同僚たちは発射地点として一応三つの場所を選んでいたが、私がモスクワを出発した九月二十七日にはまだ発射場所を最終的には決定していなかった。

  
発射地点は不明 まず米国に向け放送

(モスクワ四日発UP、共同)ソ連は四日、世界最初の人工衛星を打ち上げたと発表したが、これが成功すればソ連は科学分野で西欧を大きく引き離すことになる。発射はなんの前触れもなく実行された者で、二日前にモスクワで発行されたソビエト・ロシア紙も近く人工衛星が発射されるだろうとしか述べていなかった。ソ連科学アカデミーが人工衛星を軌道に打ち上げるのに成功するまで発表を控えたことは明らかだ。人工衛星発射を知らせる劇的なタス通信発表は米国向けモスクワ放送でまず最初に世界に伝えられた。公式発表がモスクワの西欧記者にテレタイプで送られてきたのはその後だった。四日夜の詳しい発表は世界の無線、望遠鏡観測者が人工衛星のあとを追うのを助け、発表の正しさについての疑いを晴らさせるための無言の要請とみられる。なお発表文では発射地点は明らかにされていない。

  
丸裸にされる地球 誘導弾と密接な関係

ソ連はさきの大陸間弾道弾(ICBM)実験成功の報についでまたも全世界に爆弾声明を投げつけた。人工衛星発射成功の発表がそれである。その速度は一時間三十五分で地球を一周できるもので、モスクワ−ニューヨークを卅分
(筆者注:4分)で飛ぶというICBMを上回る猛スピードである。

大陸間弾道弾実験の成功で世界を驚かせたばかりのソ連が、矢継ぎ早に人工衛星の打ち上げを報じたことは、西欧側にとっては大きな痛手である。世紀の“科学レース”といわれたICBM、人工衛星の完成を目指す米、ソ両国科学陣の熾烈な競争でソ連は完全な勝利を遂げたことが証明されたわけだ。

たまたまワシントンではソ連、日本を含む十三ヶ国の科学者が九月三十日から「人工衛星とロケット」の会議を開いているが、西欧側科学者はこの席上で明らかにされたソ連側の技術の画期ぶりただ驚きの目を見張るばかりだったといわれる。三日の会議ではソ連のA・M・カサトキン博士がソ連のロケットの詳細について説明したが、この日発表者が多いため発表は二十分以内にという議長の制限にもかかわらず、カサトキン博士がスライド、図解を駆使して一時間十分にわたりしゃべり続けたのを制止する者は一人もなかったといわれる。西欧側科学者は同博士の発表を検討するため予定を変更し、さらに同博士に対する質問を続けたほどだった。

この会議でソ連が明らかにした人工衛星、ロケットの研究は余力もなく進んでおり、発表の中には西欧側科学者が思いも及ばなかった全然新しい構想が課題が含まれていたとワシントンからの情報は伝えている。ソ連側はこの会議で人工衛星、ロケットについてほとんどすの全容をさらけ出したといわれ、ソ連科学者は燃料の成分を除いてすべての質問に答えている。ソ連の人工衛星打ち上げを待つまでもなくこの会議に出席した西欧側科学者は、世紀の科学レースに西欧側が出しぬかれたことははっきり覚ったようだ。

ソ連の人工衛星の発射はこれまで本年中と伝えられていたが実際には国際地球観測年(IGY)の末期に当たる明年末になろうという観測が有力だった。(以下略)


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月5日(土)夕刊 一面】


打ち上げは日本時間では5日朝のことであり、朝刊には間に合っていない。第一報はラジオで広く伝えられたはずだが、活字では上記の通り、夕刊で詳しく取り上げられたのが最初である。

「ソ連、人工衛星を発射」…これぞまさに、歴史的な1ページである。しかし筆者は最初にこれを見たとき、さほど衝撃を受けなかったのが正直なところである。なんというか…歴史的なことであるはずなのに、迫力がいまいち伝わってこないのだ。というのも歴史的に相当の事柄ゆえ、他のページにも関連記事があろうかと思いきや、記事はこれだけなのである。まあ、これ以上の情報がなかったのが実際のところだろう。

筆者の感想であるが、恐らくこの時点では、日本のマスコミの殆どが、人工衛星の意味というものをわかっていなかったのではないだろうか。見出しの大きさも今一歩でかつ形式的にしか見えず、どこか書き手の興奮というものが感じられないのかも知れない。人工衛星打ち上げ成功の報を受けたフルシチョフでさえ、最初はその意味に気づいていなかったのだ。ソ連紙「プラウダ」ですらそうであった。日本のマスコミはいうまでもなかったろうという気がするのだが。

実はこのことは、後日の新聞でも同じようなコラムが載っている…報道人自身、いまいちピンときていないのだ。

ただ、筆者の母の回想では、「うわぁー、ソ連が衛星を打ち上げたのか!」という、それなりの衝撃はあったそうである。新聞で報じられる海外の出来事は米国のことが殆ど。冷戦の最中にあってソ連は“敵国”であり、その国が大きいことをやったのだから衝撃は無理もない。しかし同時に、露出度の高い米国に対してソ連の動きは全く分からなかったゆえ、雲を掴むような話だったとも言う。

ちなみに、「スプートニク」という呼び方は一切登場しない…この言葉が使われ始めるのはだいぶ後のことである。そもそも「スプートニク」自体、ロシア語で「衛星」を意味する一般名詞であり、特定の衛星を指す固有名詞ではない。

さて、この第一報では事実が淡々と述べられているだけであるものの、目を惹くポイントがいくつかある。ひとつは発射地点が不明という点である。その後「バイコヌール」と呼ばれることになる宇宙基地は、極秘の場所だった。

記事にもあるが、ソ連はこの年の8月(実験は8月21日。世界への発表は同26日)、弾道ミサイルの試射に成功、大々的に宣伝し、世界特に米国は衝撃を受けた(補足2参照)。しかし米国の行動は早く、発表の2日後には発射基地として推測した中央アジア・バイコヌール周辺にU−2偵察機を飛ばし、パイロットは巨大施設を目撃、写真に収めることに成功していたのである。したがって政府上層レベルには、発射基地はバイコヌールであることがバレバレだったのであった。

注目すべきもうひとつの点は、これは政治的戦術面であるが、米国向け放送で真っ先に報じたという点である。ソ連のモスクワ放送(現在の「ロシアの声」)はロシア語のみならず、数十の言語を使用し、短波放送で全世界へと放送を行っていた。そして特に対米を意識した報道では、ロシア語での報道より、米国へ向けた英語放送でその第一報を報じていたのである。

例えば筆者の記憶が正しければ、80年代後期、ソ連がスペースシャトルを開発していることを公式に発表したのも、北米向け英語放送だったはずである。ちなみにこのことは、日本にも当てはまることだった。実際、対日漁業交渉など日ソ外交で重要な進展や決定事項は、日本語放送で第一報が報じられることも多かったのである。

ただし、真っ先に報じられたのが英語のみということは、別の見方をすれば、政治的重要性はBランクだったということでもある。これが社会主義の勝利を高らかに謳うものであったならロシア語でも同時に報じたはずだし(そしてこのような場合のアナウンサーはユーリ・レビタンが常だった(「“東方”という名の宇宙船(1)」参照))、タス電は各国通信社に一斉に速報したはずだ。

実際、筆者は事の詳細を知るまでは、発表はてっきりレビタンが行ったものとばかり思っていたのだ。

そしてもうひとつ、「打ち上げロケット=ICBMではないのか」という指摘だ。ここでは引用していないが、米国では早くも「先に成功したICBMを流用したのではないか」という観測が立っている報道がなされていたという。


翌6日の朝刊では一面の左半分でスプートニクは扱われ、トップは当時来日していたインドのネール首相と岸首相との第二回会談で、他面もこれを中心とした内容が多かった。しかしこの日の夕刊は日本でも衛星が見えたことを大々的に報じており、より身近で迫力のある記事へと変化しつつあった。

  人工衛星打ち上げを回って 座談会(上)

ソ連は四日、世界で初めての人工衛星打ち上げの成功について発表した。すでに米、英などでその電波がキャッチされたと外電は報じ、日本でもその観測に大きな期待が寄せられているが、本社では同日午後国際地球観測年研究連絡委員会の長谷山万吉委員長、ロケットの専門家高木昇早大教授、東京天文台で人工衛星観測を担当している虎尾正久技官の三氏に出席を願い、人工衛星打ち上げ成功の意義、今後の問題点、日本の観測などについて約一時間半にわたり座談会を開いた。

  不意打ちだったソ連 事前発表するのが当然

司会 人工衛星打ち上げについては結局ソ連が先に打ち上げ、米ソの競争も一般には勝負があったというような感じもあるが、その辺はどういうことになるか。さらに地球の外へ新しい世界を求めて人間が行きたいというような、何か夢みたいな気持ちもあるが、そういう足がかりが出来たとみてよいのか、それからもう一つは、こういう人工衛星が実際に打ち上げられて科学的に今後どういうような問題が出てくるのか、この三つぐらいに問題をしぼっていただいてお話をしていただきたい。

☆ ☆ ☆ ☆
一つのテストか

長谷川 われわれがいままでこの問題で話をしているときは、いま司会者のいわれたことをちょうど逆の順序で話をしている。つまりそれは、どういう科学的な意義、地球観測年としてどういう意義があるのかというようなことから始めているわけなんだが…。いまソ連が人工衛星を発射したということ自体が一番の衝撃を与えている、そういうことが問題だというふうに思える。これはしかしアメリカでもいっているように、別に打ち上げ競争をしているわけではない。この点、今夏ボールダーの国際電波科学会議にきたソ連の科学者をつかまえて、アメリカの新聞記者が「ソ連の人工衛星の計画はどうか」とたずねた時、ソ連の科学者は「アメリカは何でも計画をさきに発表して、実行を後にする。しかしソ連は実行して成功した場合にだけ発表する」と答えていた。

これは当然大分議論になった。いまから考えると、ソ連の学者は相当自信をもって話していたわけだ。しかし、こういうことは、世界中に打ち上げの計画を知らせて、そしてお互いに共同観測の実を上げるようにするのが当然ではないか。その意味ではこんどのソ連の打ち上げは一つのテストであって、これがすぐに成功するということを前からすでに読んでおったというふうにはいえない気もする。

☆ ☆ ☆ ☆
必要な共同観測

アメリカのやり方はあらかじめ世界に知らせておく。−これが西側のやり方だ。いきなり発表するソ連のやり方では、観測するわれわれがマゴマゴしてしまう。しかし何といってもソ連が人工衛星に最初に成功したということ、これは実におめでたいことだ。ソ連のためにも世界のためにも…。

高木 長谷川先生のいわれることは私はもっともと思う。それでいまこの貴重な人工衛星が打ち上げられたことに対して一番必要なことは、日本の電波観測を完全にすることだが、それには周波数とか出力とかのデータを予め発表してもらえれば、世界中の人工衛星観測陣が、それ相当の準備をして待機できたんだが、あまり不意打ちだったので、日本でも相当混乱しているのではないか。アメリカは三年も前から発表している。もっとも、ソ連も周波数が二十メガと四十メガということは前に発表していたが。

☆ ☆ ☆
悪用しない事

司会 ICBMから人工衛星ということになってくると、戦争の武器としての脅威というか、そういう方向に結びつけて心配になってくるが。

長谷川 科学の技術が進むと、それを悪く使うとすべて破壊的な損害を与えることができる。これは原爆とか人工衛星に限らない。台風をさけることが研究されれば、逆にそれを大きな武器に使えば一年間で日本人をみな殺しにも出来るわけだ。科学の力を悪用することを防ぐことができるかどうか。あるいは科学者が、科学者としての立場で、そういう恐ろしい結果を果たさないようにする責任があるのかどうか。

その意味で世界における道徳の水準が高まらないうちに、科学の技術水準だけが上ってゆくとこれは危険きわまりない。こんどの人工衛星も悪い方向には絶対使ってはならないという世界の世論を喚起することが一番大切だ。

  ソ連科学の勝利 人工衛星 西欧の自信揺ぐ

(モスクワ五日●手共同特派員発)人類が初めて宇宙に打ち上げた人工衛星がいま地上九百`の上空を秒速八千bのスピードでかけ回っている。この人工衛星はもちろん地球観測年(IGY)という科学的行事のために打ち上げられたものだが、ソ連が最初にこの壮挙に成功した意味は、たんに科学上の勝利にとどまらないだろう。

さきに米国に飛んだTU 一〇四ジェット機は、従来のジェット機のもつ世界記録を全部書きかえてしまったし、大陸間弾道弾の成功は米国の政治、軍事的地歩をゆり動かした。しかし大陸間弾道弾については、ソ連の実験はまだ試験期を脱していないと過小評価する向きもあって、わずかに気安めとしていたが、こんど弾道弾と密接につながる人工衛星の発射にソ連が成功して、直径五十八aの小球ながら、肉眼でも見える航跡を引いて大空をかけめぐっている。この事実の前にはもはやいかなる雄弁も気安めも許されなくなった。

   新生面

ソ連は世界最初の人工衛星発射に成功したという。このところソ連科学陣は先手先手とアメリカを出し抜いている。大陸間弾道弾にしてもこんどの人工衛星にしてもそうだ。▼われわれの印象にあるソ連人というのは、なにかこう図体だけが大きくて脳細胞のほうは粗暴な国民とばかり思っていたが、なかなかどうして立派な科学者もいるとみえる。このほうでもいまや世界の立役者である。▼さきの大陸間弾道弾の場合は外国人でだれもこれを確認したものはない。しかしこんどの人工衛星は競争相手の米国が「米上空を三回通過した」と発表している。さすがのアメリカもカブトをぬいだかっこうだ。▼ソ連は国際地球観測年をめざす“世紀の科学レース”においてICBMでも人工衛星でも米国に先勝した。いくらソ連嫌いでもこんどの発表を意地になって過小評価する必要はあるまい。▼宣伝もたしかにうまいが、技術もそれに併行して“すばらしい進展”が実証された以上、ソ連の勝利が歴史の一頁を飾ることになっても文句はいえない。米国のロイド・バーグナー博士のようにあっさり“オメデトウ”といったほうが男らしい。▼ところで純科学的性質をもつ人工衛星も、その利用いかんでは軍事的にも役立つのだから問題だ。地球観測とか宇宙旅行などといっているうちはよいが、人工衛星がもつ“電波の目”を利用して“攻撃的空中査察”などに使われだすと、地球上はどこもまる見えになってしまう。▼世界人類の幸福のために行われる地球観測年の大行事、南極観測と人工衛星が、片や究極兵器にからみ、いずれも二大陣営の戦略的政治的問題になりかねないというのは、まことに残念である。▼ソ連科学陣のこんどの偉業に対しては大いに敬意を払ってよい。しかしこれをあくまでも平和的に役立てるにはすべてを“公開”することだ。その度量を示すことでソ連が世界を三度ビックリさせることを期待する。


※筆者注: ●=判読不能

        


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月6日(日)朝刊 一面】


この紙上座談会の出だしは科学者とマスコミの理解の違いを象徴している。報道人である司会者の質問に対し、長谷川氏は「我々は逆の順序で話をしている」「地球観測年としてどういう意義があるのかというようなことから始めているわけなんだが…」と切り返しているところに、正反対のプロセスで人工衛星を考えていることがありありとしている。

つまり、科学者にとって人工衛星は科学観測のための道具に過ぎないものであり、米国もいずれ打ち上げるものだろうという認識なのだが、マスコミはまだその辺が見えておらず、今はただ、衛星打ち上げそのものに騒いでいるだけなのである(しかも日本のマスコミは、真に実感はしていない)。

しかし科学者を中心とした議論は、これもまた人工衛星の側面を見ているに過ぎない。科学者であり、しかもIGYで盛り上がっている最中であるのだから仕方のないことであるが、衛星そしてロケットの軍用面には殆ど触れられていない。「事前発表するのが当然」という理由は座談会の中でも語られているが、しかし、政治的軍事的には、突然ドカンと発表することに最大の効果がある。そしてソ連はその手法を続けていた。

ただこの突然の発表は相当批判が強かったのか、今後は事前発表する方向へと柔軟な姿勢を見せている。

一方、「ソ連科学の勝利」は、短い記事ながら重要だ。当時のソ連技術の常勝っぷりを的確にとらえている点は、なぜに米国が大騒ぎしているのかという理解につながるもの。それに続く一番下のコラム「新生面」は、ソ連人に対する印象の変化、衛星の意味を巧みに描いてみせる。そうなのだ、先の大陸間弾道弾の成功を、西側の人間で直接確認した者はいない。それゆえ弾道弾成功を疑うものも多かったのだが、今度の衛星成功はその疑念を完全に吹き払ってしまったものなのである。

これこそが人工衛星打ち上げで騒いだ、いや、“騒ぐべき”、根拠なのである。

  人工衛星 肉眼でキャッチ 昨夕(六時廿四分)新潟大で 二度目の飛来も確認

人類が初めて大空に放ったソ連の人工衛星は地球への信号を送りながら世界の空を飛び続けている。ソ連の公式発表、続いて米人工衛星観測本部からの観測要請で完全な観測準備も出来上がらないまま三鷹の東京天文台を中心に全国各地の天文台、アマチュア実視観測グループ、電波観測のアマ無線グループを総動員しての応急観測態勢が布かれた。日本上空飛来は地球九周目の午後六時、十三周目の同十一時すぎの二回と推定された。七周目くらいと思われる午後三時すぎから衛星の発振する信号が大無線施設やアマ無線の受信機に入りはじめ、六時二十四分四十三秒新潟大実視グループによって一瞬望遠鏡を横切る“人工衛星の正体”が肉眼で捕らえられた。人工衛星発見の時間と位置は直ちに東京天文台を通じて米スミソニアン天文台の米観測本部に通報された。新潟以外の各地は曇天が多く眼視はいずれも不成功に終わった。第二回目の本渡上空通過はアマ無線連盟本部と国際電電小室受信所などによって午後十一時卅四分から約十五分間の電波キャッチなどで確認された。出入感方向からこの二回目は全く違った方向から飛来したことが分かった。

   発射地はカスピ海北方か

(ワシントン五日発AP、共同)米海軍技術研究所のJ・W・タウンゼント博士は五日「米国におけるソ連人工衛星の観測の結果から、その発射時の位置を逆算すると、ソ連が発射した地点はカスピ海北方だと思う」と語った。

  地球一周は96分12秒 モスクワ放送が発表

五日のモスクワ放送は四日打ち上げられたソ連人工衛星第一号のその後の運行状況について次のような発表を行った。

人工衛星は五日モスクワ時間午前零時四分(日本時間同日午後六時四分)南アフリカのヨハネスブルグ市地区南緯二十八度、東経二十四度にあった。モスクワ市地区遭遇時刻の五日午前一時四十六分からすでに約六回半地球のまわりを回ったことになる。地球一周の時間は確認資料によると一時間三十六分十二秒である。衛星からの電波は絶えず周波数二〇・〇〇五メガサイクル(波長十五b)四〇・〇〇二メガサイクル(波長七・五b)で送られている。

   暗号通信も受信 米科学者語る

(ニューヨーク五日発ロイター、共同)カリフォルニア工科大学の科学者たちは五日、ソ連の人工衛星から発振された一定の無線信号とともに「暗号」通信をも受信したと述べた。同大学研究員の一人ヘンリー・リヒター博士はこれについて次のように語った。

暗号通信は五日グリニッジ標準時五時三十八分(日本時間午後2時三十八分)同大学の特殊電気施設で初めて探知された。しかしソ連が手がかりを与えてくれなければ、われわれはこの通信を解読できないだろう。

  
米軍部に大きな衝撃 対ソ戦略も修正迫らる

(ワシントン五日大竹共同特派員発)ソ連の人工衛星成功は科学での米国の優位を信じていた米国民に大きな衝撃を与えたが、これにも増してこのソ連の成功が米軍部に与えた衝撃は深刻なものがあるようだ。米軍部ではいまやソ連のICBM(大陸間弾道弾)実験と今回の人工衛星発射の成功がきわめて大きな頭痛のタネとなってきている。このことは飛行兵器全般の研究をめぐって米軍部の陸海空三軍の間にあった対立が一層変化してきていることからみても明らかだが、この半面今回のソ連の飛行兵器、人工衛星に関する一連の成功にてらして米国防省間ではこの方面の研究が一層刺激され、また今後国防費の相当額がこれに注ぎ込まれることは必至だとみられる。またこれと同時に現在の米国の大量報復攻撃力の充実を中心とする対ソ世界戦略構想にも基本的な修正を加えなければならない立場に立たされている。米国としてはソ連に対する原水爆の絶対優位が相対的な優位に下がり、しかもソ連ICBMや人工衛星の成功にみられる飛行兵器による米国の劣勢という情勢に直面した今日、大量報復兵器によるソ連包囲戦略の成功だけにはたより切れなくなってきたし、これまでの対ソ戦略に対してソ連側は突破口をつけてしまったわけである。

しかも米国の一軍事評論家によれば、ソ連が今回の発射にあたって人工衛星の回転をモスクワからワシントンの方角にとったことは軍事的にみてきわめて意味が深いとしている。というのはもしソ連がICBMを実際に発射することになれば、米国攻撃にこのコースが最短距離にあたるからだといわれる。もちろん米国の人工衛星もワシントンからモスクワ向けのコースで地球を回らせようとの計画が伝えられている。そうだとすれば平和研究のための国際地球観測年(IGY)に米ソの科学者が協力しているとはいえ、結局その裏には米ソ両国の国防軍事上の見にくい優劣争いが潜んでいるといえるであろう。

(以下略)


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月6日(日)夕刊 一面】


この6日の夕刊で、日本で初めて肉眼キャッチに成功の報がでた。また、アマチュア無線家や国際電電(KDD。現KDDIの前身)による信号の受信にも成功した。このような話が出てくると、衛星への距離はぐっと近づいてくる。

また、発射地点の推測が初めて出た。見出しにもあるが、それはカスピ海北方で、観測データから逆算した結果だという。さらに、衛星の出す電波に暗号が含まれている可能性も指摘されている。これについてソ連の反応は早く、翌日には次のような声明を出している。

  発射第一号は実験用 暗号は使っていない

(ニューヨーク六日発ロイター、共同)ワシントンで開かれている国際地球観測年(IGY)人工衛星ロケット会議のソ連代表団長ブラゴヌラホフ博士は六日テレビ報道を通じソ連の人口衛星第一号打ち上げをめぐる諸問題について次のように語った。

一、こんどの人工衛星は暗号による通信は出していない。

一、人工衛星打ち上げを事前に発表しなかったのは、それが純粋に実験用のものであり、成功するかどうか確信がなかったからだ。第1号は国際地球観測年用となろう。

一、ソ連は米国が自分の人工衛星を打ち上げることを歓迎する。

一、ソ連の人口衛星計画の究極の目的は人間を宇宙に運ぶことであり、だれもこの計画を恐れる必要はない。

一、ソ連の人工衛星打ち上げの目的は宣伝のためではなく純粋に科学上の目的のためである。



                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月7日(月)夕刊 一面】


内容からしてこの声明は、打ち上げからこれまで数日間にわき起こった疑念と懸念に対する正式回答と考えていいだろう。

冒頭、「暗号による通信は出していない」と表明しているが、実はこれはウソだった。衛星からは温度に関するデータがコード化されて発信されていたのである。まあ、深読みすれば、「暗号による通信」は出していないといえる。単なる温度のデータだけであり、それ以上の“通信”(コミュニケーション)は行っていない。

また、「米国が自分の人工衛星を打ち上げることを歓迎」には大きな余裕が表れているが、一方では、大慌てしている米国に対して敢えて見せたソフトな対応でもあろう。「暗号はない」ということも「歓迎する」ということも、衛星の与えた衝撃が、ソ連自身が想定したものを遙かに上回るものだったことを認めていると言える。

そしてこの時点で、究極目標が人間を宇宙に運ぶことにあるとあっさり表明しているのは興味深い。その後に続く「この計画を恐れる必要はない」という言葉、そして最後の行は、やはりソ連自身が“延焼”を食い止めんと躍起になっていることを象徴していると読める。

次は一面下のコラムだが、端的ながら全てが描き出されており、改めてあれこれ言う必要はないだろう。

  ●天河

人工衛星の出現は、地球上にテンヤワンヤのさわぎを起こしているが、庶民には、まださっぱりその正体がつかめない。

▽人工衛星出現の意義が、はっきりとつかめているのは、一部の科学者だけであって、一般の人たちは、新聞紙上のさわぎに、ただまきこまれているだけだという感じがつよい。

▽宇宙旅行ができる日が近いといっても、さて、宇宙旅行そのものが、人々にはよくのみこめない。とにかくドエライ科学的成功ということだけが、ぼんやりと感ぜられるだけだろう。

▽何よりこのさわぎを大きくしたのは、人工衛星の競争相手であったアメリカをだしぬいて、まずソ連が成功したという事実であろう。アメリカ中の落胆がおもいやられる。

▽アメリカがひどく落胆して、自信を混迷させているのは、新聞紙の報道でよくわかる。この落胆は、人工衛星の成功が、軍事上での優劣をはっきりと決断するものだからである。

▽アメリカは、まだ大陸弾道弾にさえも成功しているとはいえない。そこへもってきて、大陸弾道弾どころではない人工衛星をたたきつけられたのだから、これは敗北感でノイローゼにならざるをえない。

▽“ソ連は、いまや世界中のどこでもたたける弾道弾をつくれるし、その攻撃も非常に正確なものと考えられる”というのは、マンチェスター・ガーディアン紙の論ずるところである。

▽ソ連のこの勝利は、アメリカと半年か一年のひらきでしかないかもしれない。だが、人工衛星が、米ソの軍事競争から出現したということに、人類はかぎりない不幸を感じないわけにはいかない。



※筆者注: ●=判読不能

                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月8日(火)夕刊 一面】


科学力そして軍事力では、米国はナンバーワンだった。そしてそれを米国民は実感していた。彼らの多くは、ソ連が8月に成功した弾道ミサイル実験に半信半疑だった…遠い国の出来事に、それこそ雲を掴むような話であっただろう。ところが今やそれは現実のものと証明された…米国各地で衛星の電波は受信され、人々の意志とは無関係に、手の届かない天空から電波を振りまいているのである。

対して日本は、独立を回復した1951年(昭和26)9月のサンフランシスコ平和条約調印からまだ6年。米は日本をアジアにおける対ソ最前線として重要な拠点と位置づけ、復興へも並々ならぬ力添えをした。米国の動向は日本でもかなりの紙面がさかれて報道されていたが、しかし庶民は、しかもその殆どが貧しい中で、「米ソ対立という構図の中では第三者」という認識から全然抜け出していなかったのだ…弾道ミサイルや人工衛星の話がピンとこないのは無理もないことである。

この後もポツポツと記事が続くのだが、これといって特別なものはない。しかし9日朝刊には、米ニューヨーク・タイムス紙が報じたフルシチョフへの単独インタビュー記事を引用する格好で、ソ連のアクションが報じられている。これは人工衛星の管理に踏み込んだ声明であり、この前日に明らかになった米国の軍縮案で衛星の国際管理が提案されていることに呼応したと見ることができる。

  人工衛星の管理は可能 米ソの考え方一つで フルシチョフ書記語る

(ニューヨーク八日発AP共同)八日のニューヨーク・タイムス紙によると、同紙のワシントン支局長レストン記者はこのほどモスクワのソ連共産党本部でフルシチョフ・ソ連共産党第一書記と三時間廿分にわたって会見した。会見の内容は八日から三日間にわたって同紙上に連載されるが、この会見でフルシチョフ第一書記は「ソ連は人工衛星を国際管理下に置く用意がある」と言明、またダレス長官の言動が米ソ関係悪化の原因になっていると攻撃した。

   
全軍隊を解散する 他国が同じ措置とれば

八日の同紙に発表されたフルシチョフ第一書記の言明の大要次の通り。

一、米国とソ連が平和共存の問題について意見の一致に達することができれば、人工衛星とかその他の新しい科学的措置の管理は別に問題ではない。今日では飛行場の監視よりもロケット発射地点の監視の方が必要となったから、ソ連は軍縮案を修正しようと考えている。爆撃機はロケット攻撃に弱いので重要性を失っており、新しい戦闘機は余り高速過ぎて効果が少ない。新しい無人兵器の管理が重要である。

一、他の国が同じ措置をとるならソ連はその軍隊を全解散する用意がある。その場合は泥棒やギャングから善良な人々を保護するため少数の警察車を保持することになろう。(このあとフルシチョフ書記は「私の国にもそんな人たちはいますよ」と微笑しながらつけ加えた)

一、米国には平和を欲せず戦争から利益を得る軍部関係者がいる。西独の支配層についても同様のことがいえる。

一、ダレス米国務長官はトルコをシリアとの戦争に追い込もうとしている。またアデナウアー西独首相は西独でヒトーラ式の政策をやっている。

一、一九五五年七月の四大国巨頭会談いらい米ソ関係が悪化したのは米政府、とくにダレス国務長官のせいである。

一、もし米国とソ連が思慮ある考え方を示せば、すべての新しい科学発見を管理できる。

一、もし戦争が始まるとすればそれは資本家に押しつけられたものだ。このような戦争が起これば世界の良心はこれを開始した人々に反対し、社会主義の方に向くことになるだろう。こういうと貴方はこういう勝利の見通しがあるので社会主義者は戦争を始めたがると考えるかもしれないが、そんなことはない。社会主義者はこのような恐るべき方法を用いて目的をとげるという考えを持ったことは決してない。


      


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月9日(水)朝刊 一面】


「全軍隊を解散する」というのは少々オーバーだが、これはハッタリではなく、本気でフルシチョフが考えていたことだった。彼は弾道ミサイルの成功、そして人工衛星の成功が世界中を大騒ぎさせていることに味を占め、弾道ミサイルがあれば陸海空の通常軍は必要ないと短絡的に考えていたのである。それ故彼は大規模な軍備削減を考えており、それと合わせて工業部門の大規模な組織再編も進めていたのであった。

ただしこれは当然各方面の強い反発も招き、1964年秋の失脚の遠因のひとつともなったのだったが…。


米国のアイゼンハワー大統領は9日記者会見で、ソ連への対抗策を発表した。それは12月に衛星を打ち上げるというものであるが、同時にソ連の衛星を「驚異的」と表現し、現段階でのソ連優位を認めてもいる。10日付朝刊は一面で大きく取り上げている。

一方、同7面では「人工衛星が見えます」と題して、日本各地での出現予想を掲げている。

  人工衛星が見えます 熊本では十四日早朝 角度八 観測指令が出る

ソ連の人工衛星観測についてIGY(国際地球観測年)国内委員会人工衛星観測主任宮地政司東京天文台長は九日朝十時半、全国二十五の観測班に対して「十日未明から実視観測を実施するよう」観測再開指令を出した。これについて宮地台長は同日午前十一時日本での実施観測推算データなどを次のように発表した。

アマチュア無線連盟や国際電電小室受信所の電波観測データから軌道計算を行ったところ、十日から日本で観測可能なことがわかった。

(中略)

宮地博士の話 日本の電波観測データだけの計算から算出したものだが、モスクワ放送のデータと一致する。地平線から衛星が出て地平線へ没するまで十分前後なので、場所によっては数分観測できよう。

        



                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月10日(木)朝刊 7面】


この記事では、何日何時頃、日本のどこでどの方向に見えるかという予想が記されている。見出しにもあるが、熊本では十四日早朝、地平線より8度の角度で見えるとされている。ちなみに“第三の人工衛星”というのは、衛星を保護していたフェアリングとのこと。

ところで冒頭の話に戻って恐縮だが、筆者の母の証言では、祖母は「早朝に人工衛星が見えるらしい」と母に語ったという。母はそれを見てみたいと思い、時刻を尋ねたら「午前4時ごろ」と聞いて、「自分には無理だ」と諦めたという。結局、祖母一人が起き出して見たということになる。

新聞には予想時刻として、午前五時前後が与えられている。当時の祖母の発言と1時間異なる点が気になるが、この記事を頼りに、明けの空を見上げた可能性が高い気がしてならない。

では実際に熊本で見えたのだろうか?14日付夕刊を調べてみると…あった、見えていたのだ!

  衛星、熊本高空を行く 暁闇に“白い流星” 電波も五回キャッチ

十四日未明、熊本市で“第二の月”−人工衛星らしきものの実視観測と電視観測に成功した。人工衛星観測熊本班(班長、中村左衛門太郎氏)では熊本市大江町九品寺にある君ヶ淵電波専門学校(校長中山義崇氏)の協力を得て、ソ連が打ち上げた人工衛星をキャッチしようと十三日昼から同観測班の和泉●恵さん(四〇)=熊本天文研究会幹事=や中山校長陣頭にたち同校職員、生徒約廿人が同校教室で徹夜して電視観測と取り組んだ。人工衛星から発せられる周波数廿メガサイクルの電波をキャッチ、また十四日午前五時九分十九秒、同校生と本社記者が人工衛星の航跡らしいものを肉眼でとらえた。

まず第一回の電視観測は十三日午前十一時二十分に成功した。初め人工衛星は二十、四十メガの二つの電波を発射していると発表されていたが、この日は二十メガしか感度がなく四十メガは恐らく微弱になったものと思われ、もっぱら二十メガのキャッチに努力を集中、約五十分間断続的に受信したが、中国の放送がジャマして午後零時十分プッツリ消えてしまった。

ついで同零時十九分四十五秒から四十五分廿五秒まで、第三回目が十四日午前一時五分五十二秒から同廿三分十五秒の間、第四回目が同四時二十五分から同三十五分まで、そして同五時十九分から約三分間にわたり最後の感度が伝わり、結局前後五回にわたり受信に成功した。

この間、和泉班長、中山校長はじめ鳩野観測班長、鬼塚機器設備班長やリーダー格の竹田幸風君ら二十人の観測学生班員たちは二十メガ帯に調整した八球スーパーの短波受信機五台のダイヤルを回しつづけ、電波の波形を写しだすオッシログラフ装置機をみつめる。午前四時といっても空間を飛ぶ電波は無数だ。オッシログラフ装置機には各種各様の波形が飛び込んでくる。その都度鳩野班長が“これも違う” “これもだ”と打ち消す。ちょうど第四回目のとき●い冷気を通して特徴のある波型が視野に映った。“これだ” “これが人工衛星からの電波だ”あいついで夜気をフルわしながらピー、ピー、ピーと等間隔をおいて断続音が聞こえる。「一秒間三コ長点断続音」の電波はオッシログラフに青白く光りながらほぼ〇・三秒の間隔をおいて細かい部分と太い部分を正確に反プク、形の波型を写し出していく。

(以下略)

※筆者注: ●=判読不能

         


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月14日(月)夕刊 2面】


記事の内容から推測すると、目で見えたのはただの流星のような気もするのだが…。ふと思うに、祖母のことだから、毎朝空を見上げていたかも知れない。見たものは、ひょっとしたら残骸として地球を回る打ち上げロケットだったかも知れない…記事中の「みんなロケットの残骸」というのは、それまでに寄せられた実視観測は全て打ち上げロケットの残骸だったのだ。しかしここまでくれば、それがスプートニク本体だったかロケット残骸だったか、もうどうでもよい…昭和32年10月の早朝、彼女が見たものは人工天体でほぼ間違いないのだろう。

50年の時を超え、やっとたどり着いた…新聞片手に、改めて祖母にいろいろ話を聞いてみたいところだが、2003年末にこの世を去り、もはやそれは叶わぬ夢である。


ソ連は小出しにではあるが、第二人工衛星、すなわち今言う「スプートニク2号」の打ち上げを予告した。そしてそれには生物が載せられることも明らかにされた。

次はそのスプートニク2号とライカ犬の騒動を辿ってみよう。


※補足1
国際地球観測年(IGY)=1957年7月1日から58年12月31日までの1年半、世界規模で行われた地球観測プロジェクトの名称。極地を観測する目的で実行された「国際極年」(第1回、1882年〜83年)が源流である。

そもそも国際極年は当時殆ど情報がなかった極地(北極)の理解を進めるべく、14ヶ国が共同で北極周辺の各種観測を行なったプロジェクト。その50年後の1932年〜33年、第2回国際極年が実行され、44ヶ国が参加している。この第2回目は、発達した通信技術の観測網への応用を試験するものでもあった。

1951年、テクノロジーの発達に伴い、更に規模の大きい地球観測である「国際地球観測年」が提唱された。特に目玉となったのはロケットによる観測であった。日本は南極観測を行うことになり、作られた基地が現在も稼働する「昭和基地」である。

下は、7月の開始を目前に控え、6月14日に記載された国際地球観測年の大まかな内容と日本の頑張りを紹介する記事である。全面を使った非常に濃い内容で読み応えがある。これに先立つ6月1日には「観測年、準備月開始」という記事も記載され、メディアも関心が高かったことが伺える(6月は準備月と位置づけられていた)。

  天体の神秘にメスを入れる 七月から 国際地球観測年

      


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)6月14日(火)朝刊 4面】


中央の見出しにもあるが、人工衛星は最大の呼び物であった。しかし関連記事には「最大の呼びものは何といってもアメリカが打ち上げる人工衛星である」とあり、ソ連は全く眼中になかったのが面白い。


※補足2
1957年8月21日、ソ連はR−7ロケットの完全成功にこぎ着けた。ソ連は同26日、大陸間弾道弾完成としてこれを公式に発表した。

   ソ連 大陸間彈道彈を完成 

  超高、短時間で命中 数日まえ実験に成功 
タス発表


       


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)8月27日(火)夕刊 一面】


  世界戦略に大きな変動 ソ連の弾道弾完成

  追い抜かれた米国 対ソ勢力の優位くずる


       


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)8月28日(水)朝刊 一面】



この時ちょうどたまたま、日本の記者団(朝日、日経、共同)によるNATO軍司令官に対する共同インタビューが行われている。この中で司令官は、「ソ連の弾道弾保有はホントともウソとも取れず、レーダー網(当時NATOは“鉄のカーテン”に沿ったレーダー網の構築に力を注いでいた)で対応可能」と表明している。

記事には「司令はかなり自分の言葉で語った」とあるが、恐らく彼は言葉を選んで発言したことだろう。西側の多くはソ連の弾道ミサイル成功に半信半疑であり、その旨と食い違う訳にはいかなかったはずである。

  『彈道彈』恐るにたらず 北大西洋軍司令官と会見

      


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)8月29日(木)夕刊 一面】


興味深いのは、「異常波をキャッチ」という記事だ。京大理学部は22日、同大と米子、岡山の各測候所の高精度気圧計が空振を感知したことを伝えている。振動は周期が1分未満の非常に短いものであり、その他の要素から、3万メートル上空での爆発によるものと結論づけられている。

「3万メートル上空での爆発」など、疑問も残されるが、実際にソ連が実験を行ったのは21日であり、1日かけて空振が日本まで伝搬したと考えることもできる。


【Reference】どの資料も詳しくわかりやすく、推薦です!

熊本日日新聞(詳細は各記事ごとに明記)

…などなど。