もっと高く、遠く!

1957年秋、ソ連のスプートニク1号、2号打ち上げで開幕した宇宙開発競争。競争にもいろいろな種目があるが、いわゆる“長距離走”に匹敵するターゲットとして、米ソはまず月を選んだ。速力を稼いで稼いで、ついには地球引力圏を脱出し、月まで、そしてその先まで…それは競争としては至極当然の流れであった。

米国は58年秋からパイオニアシリーズを打ち上げ、地球引力圏の脱出を目指していたが、上段エンジンが上手く作動せず失敗を続けていた。衛星打ち上げでは遅れをとったが積極的に攻め続ける米国に対し、この年のソ連はスプートニク3号を打ったのみ。とはいえ、トン級の衛星を軌道に投入したことは、西側を大騒ぎさせるには充分であった。

ソ連も参戦しての“長距離レース”、この火ぶたが切って落とされたのは、1959年であった。しかもそれは年始早々から世界を湧かせたのである。

時のソ連首相ニキータ・フルシチョフは59年1月1日、新年の辞で社会主義の優位を述べたが、早速その翌日、ルナ1号を打ち上げた。筆者はまずこの辺を調べてみるべく検索を始めたのだったが、それに先立ち元旦の紙面に面白い記事が掲載されていたのでちょっと触れておこう。正月の紙面では様々な特集が組まれるものだが、政治、芸能それにスポーツに混じって、以下に引用するような科学読み物が掲載されていた。

これは当時の知見を元に描いた物語で、月開発へ赴いている月田住夫隊員の手記という形式で展開するサイエンス・フィクション。東大を始めとしたいくつもの機関の研究者の意見を参考に描いたという、ちょっとしたハードSFである。一部を抜粋してみよう。

  「月世界基地」通信 月田住夫隊員の手記

  
月から地球へ電力仕送り 余り近すぎて困る?距離

     

  プトレマイオスの夜

“ムーン・フォア・ピース” つまり月世界平和利用である。20世紀の半ばに住む我々の耳が、原子力平和利用という言葉を聞きなれているように21世紀の子孫達はこのスローガンになんらの抵抗を感じないことだろう。さてこのスローガンがどのように実現するだろうか。月ロケット発射のニュースに沸く1959年の読者の目前に描き出してみよう。

ここプトレマイオスの基地から見ると2000bの高さでそびえるアルフォンズス火口の峰は、ちょうど北アルプスの槍ヶ岳のようだ。あのとがった頂から太陽の光が消える瞬間、二週間続く夜が私たちを待っている。静かな夜が…。

  月人“ゼレニート”

さてここでひとまず自己紹介をさせていただこう。私の名前は月田住夫。昭和34年1月1日生れ。当年とって31才である。国籍は日本、というより月共和国の一員。ここではアメリカ人もイギリス人もない。すべて“ゼレニート”−つまり月の住人なのだ。かつて天文学者のケラーが月世界には動物がいると硬く信じてつけた名前“ゼレニート”の名称をわれわれが引継ぐことになったのである。

考えてみれば早いものだ。月ロケットの窓から月の噴火口の怪奇な姿がどんどん近づくさまに心を躍動させたのはいまから3年前というのにもう基地の建設もすんでしまった。月は地球にあまりに近すぎたようだ。

  月世界日記

×月×日 建設工事キャタピラからの報告。難航らしい。月世界の表面にかなり厚く、風化した岩石が灰となって積もっていることは地球にいたころからわかっていた。だからこの上を走らせるキャタピラを持ってきたのだが、これほど難事とは思わなかった。月には水がないから灰も当然さらさらして粘着力もない。だから摩擦による車の牽引力も地球よりは少なく、アリのようにのろのろとしか動いてくれない。建設計画は予定より長引くようだ。

×月×日 不幸な事故起こる。キャタピラ要員の一人が宇宙ジン(塵)襲撃のため死亡した。地球上なら一a圧の鋼板でも直径一aの弾丸を防げるが、月面では宇宙ジンが秒速20〜50`ものスピードになる。地上の秒速八百bの弾丸とは比較にならないのはあたりまえかもしれない。

 
水は岩石から採取 期待できぬ有用鉱物

  月面の穴は噴火口か

D君はまだ三十にもならぬ若手学者だが、同君にかけられる期待は非常に大きい。月における水と有用鉱物の発見の期待だ。正直なところその発見の可能性は非常に少ないのだが、それだけに期待が大きい。

まず水。私たちが月で一番苦労するのはこれだ。目下地球からの運送と、それに少々きたない話だが私たちの排出物を蒸留して採取している状態だ。月で水を採集するには鉱物から取るのが一番手っとり早い。たとえば火山岩の一種の松脂岩を白熱すると5%以上の水分を分離する。沸石などは15〜20%もの水を含んでいる。このような鉱物がうまく見つかるのだろうか。

もちろん地球なみにあるにはある。しかしまとまって採掘できるかどうかとなると疑問だ。

たとえば白金、金、砂鉄などは地球上では水の作用で鉱床を作るが、水のない月ではまずこのような鉱床の発見は無理。むろん生物の作用でできた石灰層、石灰岩もないだろう。ただ一つの強みは、火成鉱床だが、歴史的に地球よりもはやく冷えてしまった月では岩しょう(漿)の分化作用が充分行われたとは思えない。だがもし月の噴火口が実際噴火作用でできたとすると別の話である。当然火成鉱床は月にもあるだろう。1958年11月にソ連のカズリヨフ氏がアルフォンズス火口で噴火現象を認めたと発表し、センセーションを巻き起こしたのも、このような事情から考えて当然だろう。しかし私たちのいままでの観測からすると、月の穴はやはりイン石の衝突跡と考えた方がよさそうだ。

  宇宙は膨張か収縮か

いよいよ私におはちが回ってきた。すでに電波望遠鏡もできたし、光学望遠鏡の建設も始まっている。少し長広舌をふるわしてもらおう。

私が地球にいた時、最も不便に感じたのは地球をとりまく空気層であった。この層のために宇宙からくる電波の全容はつかめない。短いものでは波長3400オングストローム以下のもの、長い方では10〜20ミクロンの間の電波が全くキャッチできない。それに太陽の光が空気層に反射されて、夜になっても“夜光”といっていわゆる星明かりがあって、遠い光の弱い星を写真にとろうとして5〜6時間も露出をかけると夜光によって光をかぶってしまうという結果になる。

だがここ月世界では事情が違う。私はまず第一に超遠距離のかなたにある星雲をねらおう。その移動速度をはかろう。これによって宇宙が膨張を続けるか、それとも収縮するかを知りたいのだ。

いままでの観測では、ほぼ20億光年先の1448星雲団の移動速度までわかっている。この星雲よりも近いところにある星雲は、ほぼ距離に比例して速度を増している。ちなみに1448星雲は毎秒12万`で後退している。ところがこれより遠い星雲については全く不明だ。速度が増すのか、減るのか?もし増すとしたら、我々の宇宙は収縮を、減るとしたら膨張を続けているということになる。(脚注)またこの宇宙はほぼ有限であることはわかっているが、その限度はどの程度だろう。これも遠くの星雲の分布を調べてみることでわかる。

(一部省略)

※(筆者注) 収縮・膨張と速度の増減の関係は、逆と思われる(恐らく誤記)


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)1月1日(木)朝刊 十二面】


正月一発目の科学読み物としては、とてもわくわくさせられる内容だ。科学考証も非常にしっかりしている。当時は情報源などごく限られていたものだろうから、先端の宇宙科学に触れる貴重な機会のひとつとも言えるし、科学ファンはせっせと切り取りスクラップしたことだろう。

この物語は、月田住夫という架空の人物の手記という設定で描かれているが、彼のプロフィール「昭和34年1月1日生れの31才」という設定がまず興味深い。物語の舞台設定が31年後の1990年となっているということだ。

1960年代の米ソの激しいムーン・レース。69年7月21日、ついに米国人が月面に立ったわけだが、この日、宇宙への虜になった月田氏。10才の彼は月面基地隊員を志したが、程なくアポロ計画は大幅に縮小され、最後は打ち切られてしまう。だが宇宙への関心は冷めることなく、やがて宇宙論に惹かれた彼はその道へとのめり込み、宇宙望遠鏡開発に関わるなど、大活躍しているのである…。

…とまあ、この物語ひとつでいろいろ楽しめるのだが、ここではこれ以上触れないことにしておく。しかし驚くのは、あまりのタイミングのよさだ。なにせ翌日にはソ連が月へ向けて衛星を打ち上げるのである。この記事は、前年殆ど沈黙していたソ連に対し、着実に月への距離を縮めていた米国が、いよいよ月ロケットを成功させるだろうという見込みの上で執筆されたものであるのは間違いなさそうなのだが、まさかソ連が先に成功させるとは…一番驚いたのは、執筆した記者だったに違いなかろう。


翌2日、ソ連は月ロケットの打ち上げに成功したことを発表した。恐らくラジオのニュースで速報されたと思うが、新聞紙面では4日朝刊一面に大きく出たのが最初であった。新聞は正月休み…リアルタイムに報道できなかったのは、科学デスクには残念だったに違いない。

  ソ連、月ロケットに成功 

  
きょう月周辺に到着 軌道に乗る 多段式で打ち上げ

(ロンドン二日発ロイター、共同)二日夜のモスクワ放送は、ソ連が同日ロケットを発射したと発表した。またタス通信は「ロケットが月に向かう軌道に入った」と述べた。ソ連が月ロケット発射を発表したのはこれが初めてである。

モスクワ放送はさらに次のように述べた。月ロケットはソ連共産党第二十一回党大会(二十七日開催)を記念して打ち上げられた。ロケットは多段式が使用された。ロケットは四日には月の付近に到達する予定である。最も新しい情報によると、月ロケットはソ連の東部国境を横断して太平洋上を跳び続けている。

▽備考 米国はこれまで合計四回月ロケット打ち上げを行ったが、いずれも失敗している。最近の打ち上げは十二月六日に行われた。

       

  
赤い旗を積んでいる 秒速十一・二` 重さ一四七二`

(ロンドン三日発ロイター、共同)モスクワ放送は三日午前一時十五分(日本時間同日午前七時十五分)月ロケット打上げについて次のように放送した。

一、ソ連は一九五七年から五八年にかけて、ロケット製作の面で大きな進歩を遂げ、人工衛星の経験は宇宙飛行、太陽系ないの惑星への飛行のために必要な材料の蓄積を可能にした。ソ連は一九五七年十月四日世界初の人工衛星打上げに成功し始めて秒速八`の宇宙速度を得た。そしてその後も続けられたソ連科学者、技師の創造的な仕事によって、最終段が十一・二`の第二の宇宙速度を出し得る多段式ロケットを作り上げた。ソ連は二日多段式宇宙ロケットを打上げ、人類最初の惑星間飛行に乗り出した。現在の推定によると、ロケットは四日午前七時(日本時間同日午後一時)月の周辺に達するであろう。

一、宇宙ロケットの最終段は重さ千四百七十二`(燃料を除く)で特別の容器の中に次の観測目的をもつ科学装置を積んでいる。(1)月の磁場の有無を確かめる(2)地球磁場外の宇宙船の強さ、および強さの変化の調査(3)宇宙放射線内の光子の記録(4)宇宙放射線に含まれている重核子の分布の調査(5)惑星間空間のガス組成の研究(6)太陽微粒子放射線の研究(7)宇宙ジンの調査(注−AP電によるとこれに月の放射能の調査も含まれている)

一、科学器具、蓄電池、容器の重量は三百六十一・三`である。

一、ソ連月ロケットの最終段ロケットは観測データの送信のため次の三つの送信機を積んでいる。(1)パルス幅が0・八秒と一・六秒で、周波数が一九・九九七メガと一九・九九五メガの送信機一台(2)パルス幅が0・五から0・九秒で、周波数が十九・九九三メガの科学データ送信用の送信機一台(3)科学資料のほかロケットの位置を測定するための周波数一八三・六メガの送信機。

一、ナトリウムの人工彗星を作る特殊装置。この彗星は肉眼でみることのできるもので、三日午前三時二十七分(日本時間同日午前九時二十七分)処女座の辺りで二分から三分光学装置で観測できる。

一、月ロケットは“一九五九年一月 ソビエト社会主義共和国連邦”と書いた国旗を積んでいる。

(以下略)

  十三万七千`飛ぶ 史上最高 “パイオニア”を破る

(ACH、共同)三日のモスクワ放送によれば宇宙ロケットのその後の進行状況次の通り。

三日午前六時現在(日本時間正午)ロケットは南緯五度二〇分、東経六三度三〇分の地点、十三万七千`以上の上空にある。ロケット内の送信機の信号は順調であり、地上受信所によるその信号の受信は確実である。科学装置の活動も順調であり、受信資料は分析中である。

▽注 十月十一日打上げられた米空軍の月ロケット“パイオニア”一号は地球から十二万六千五百九十二`の空間に到達、地球に逆行して消滅しており、ソ連の月ロケットはこの記録を破り、史上最高の遠方へ飛び出した物体となった。(共同)(脚注)

  人工流星の撮影に成功 モスクワ放送

(ロンドン三日発AP、共同)三日のモスクワ放送は「ソ連の有名な科学者はカザクスタンのアルマ・アタ近くの観測所で月ロケットから発射されたナトリウムの人工彗星の写真を撮った」と報じた。

  月に基地を建設 モスクワ放送 探検準備を始める

(ロンドン三日発AP、共同)モスクワ放送は三日「ソ連は月に観測所と将来の宇宙旅行のための基地を建設するため月を探検する準備を始める」と発表した。同放送によればこの決定はソ連の月ロケットの成果に基づいて行われたもの。

  英国は驚く

(ジョドレルバンク二日発ロイター、共同)英国のジョドレルバンク天文台のラベル所長は二日夜「ソ連の月ロケット打上げの報を聞いて驚いた」とつぎのように語った。

一、昨年八月私がソ連にいたときの最後の情報では、ソ連は月ロケット打上げの計画を持っていなかった。こんどの打上げについては詳細な技術的資料が得られるまではなにも評論できない。

一、ロケットはコースの上に乗っているので、月に到達することは有望だと思う。

  
“月の赤化”が狙いか 人類初の惑星間飛行

ソ連の月ロケットは米国が四度企てて失敗した“月の征服”を目ざしていま一路月に向かっている。モスクワ放送によると、四日午後一時(日本時間)ごろ月周辺に到達するという。人工衛星の例からみてもこんどの月ロケットの月周辺到達はおそらく間違いあるまい。突発事故がない限りソ連科学陣はスプートニクの成功に続いて、人類最初の“惑星間飛行成功”という輝かしい成果をあげそうである。

ソ連の月ロケットは三つの送信機と磁力計、宇宙線、宇宙ジン測定器など三百六十一・三`の器具を積み月の磁場の有無、月までの惑星間空間の研究などを行うことになっており、将来の宇宙旅行のために貴重な資料を提供するだろう。

だがいまのところ月ロケットが月の周囲を回り、裏側も観察するものか、月面に到着するものかは明らかでない。しかしテレビあるいはカメラを積んでいないこと、国旗を乗せていることなどからソ連の月ロケットは月到着をねらっている可能性も強い。モスクワ放送は今回の成功に続き、月に観測所、宇宙ステーションを建設するため探検の準備が開始されたと報じており、こんどの月ロケットで月に旗をたて、月と地球の間で交信し“月の赤化”を試みようとしているかもしれない。

ソ連の月ロケットでもう一つ注目しなければならないことはスピードと重さだ。モスクワ放送は最終段ロケットで“第二の宇宙速度”秒速十一・二`を出せたと述べている。この速度は地球の引力を脱出できる速度で、どのロケットもまだ出したことのない速度だ。従って、“赤い月ロケット”は地球に二度と戻らぬ計算になる。ただしもし方向転換、あるいは減速用のロケットがあれば戻ってこられる。

また月ロケットの最終段の重量は一・四七二d(燃料を除く)と発表されているが、これは驚異的なものだ。米国が昨年末打ち上げたアトラス衛星は四d半だが、これは一段ロケットで丸ごと飛んでいるからで、燃料を含めた全重量は百d余り。ところでこのソ連月ロケットは全重量二百五十トン以上と推定され、米の月ロケットに比べれば五倍程度にもなる。アトラス衛星で高くなった米国の鼻はまたもや正月早々ペシャンコになった形で、米議会はじめ各方面に深刻な不安と衝撃を与えている。米国の月ロケット計画は昨年の四度の失敗で、残るは陸軍の一回だけ。空軍は火星ロケットを計画しているらしいが、“月ロケットも成功していないのに”という反省の声もありソ連の月乗りだしで再び月ロケット計画に本腰を入れるようになるだろう。


※(筆者注)現在の正式記録は11万3800km


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)1月4日(日)朝刊 一面】


新年早々、ソ連が沈黙を破って新たなロケットを打ち上げた。しかも今度は、いきなり月を目ざすというのである。公式発表では触れられていないが、月面衝突を目ざしたものだった。当時パイオニア1号が達成していた高度記録を軽々と破ったことが大きく報じられた他、衛星から放出されたナトリウムによる“人工彗星”の実験が成功したことなども報じられている。米国が成功していない、第2宇宙速度達成も見出しに大きい。

しかしなんといっても、一番の関心は月一番乗りがソ連になりそうだということだ。「“月の赤化”が狙いか」という見出しが目を惹くが、衛星には旗が積まれていたことが強調されている。実際には金属ペナントなのだが、そのことが明らかになるのは後日のこと。ソ連は衛星を1月27日から始まる共産党第二十一回大会にぶつけて打ち上げたことをあっさり認め、ついでに4日にはミコヤン副首相が訪米する手筈となっており、まさにその花道を飾っている。ソ連では宇宙開発が政治ショーを彩る重要イベントとなっていることが改めて伺える。

紙面を見て真っ先に目を惹くのは、ロケットの想像図だ。キャプションによると、チェコスロバキア筋から入手したものというのだが…もはや想像ではなく妄想の域だ。図の中には矢印があり、その先にあるのはヘリコプターだというのだが、それと比べたらあまりにも大きすぎる。キャプションも「これと比べてどえらい大きさがわかる」としているが…米CIA以下ごく一部の層はR−7ロケットの正体を把握していたが、一般筋がいかに過大評価していたのかを伝える一作と言えるだろう。

ちなみに(引用していない部分の)記事によると、この打上げを米国は知っていたという。U−2偵察などの情報から確信を持っていたのは間違いない。

さて、朝刊では大々的に報じられた打ち上げ成功だったが、夕刊では月を通過したことが報じられた。

  きょう昼 月を通過 ソ連の宇宙ロケット

  
地球から卅七万` 太陽惑星へ さらに飛行中

(ロンドン四日発AP、共同)四日のモスクワ放送によれば、ソ連のタス通信は同日ソ連の宇宙ロケットについて次のように発表した。一九五九年一月四日モスクワ時間午前五時五十九分(日本時間午前十一時五十九分)ソ連の宇宙ロケットはその軌道上の月への至近距離(月へ七千五百`)を通過した。宇宙ロケットの装置および送信機は正常に作動を続け地上の受信所に有益な科学資料を送っている。宇宙ロケット打上げに課せられた科学的使命は完全に遂行された。また同放送は「地球との距離が広がるとともに電池が消耗し、宇宙ロケットからの電波受信状態はしだいに悪くなり、おそらく二十四時間以内に無線による接触はできなくなろう」と述べている。

       

ロケットに積まれた科学機械、送信機類は順調に作動しており、これまで受信した資料によりロケットが予定されたコースに沿って飛んでいることが証明された。ロケットが月にもっとも近づいた時には、地球の中心から三十七万`の位置であった。ロケットはさらに飛んで月から遠ざかり、太陽系の人工惑星として固有の軌道に従って運行を開始する。

  スピードが速すぎた

(モスクワ三日発ロイター、共同)タス通信三日の報道によればソ連科学アカデミー会員ブラゴヌラボフ氏は同日の記者会見で「月ロケットのスピードは非常に大きく月の重力圏に入るには早すぎた。ロケットは月の衛星にはならず月を飛びこして太陽系内の宇宙を飛び続けるだろう」と述べた。

  
地球の軌道面と同じ 太陽の周りを 十五ヵ月で公転

(モスクワ三日発ロイター、共同)タス通信は三日夜、ソ連の宇宙ロケットは一月十四日に太陽から約一億四千六百万`の軌道を十五ヵ月の周期で公転するようになろうと次のように報じた。

太陽の惑星となるソ連の宇宙ロケットの軌道は最長軸三億四千三百六十万`、宇宙ロケットはこの軌道上を十五ヵ月で公転する。計算センターがえたデータによれば、ソ連の人工惑星は太陽周辺に近い軌道上を運行しよう。軌道の離心率は0・一四八で軌道の長軸が地球の長軸となす角度は十五度である。ロケットの軌道面は地球の軌道面と事実上同じである。宇宙ロケットは一月十四日に太陽に最も近づき(近日点)その距離は約一億四千六百四十万`となる。宇宙ロケットは九月はじめに太陽から最も遠ざかり(遠日点)その距離は一億九千七百二十万`となろう。

宇宙ロケットの軌道はラジオ工学的方法によって計算されており、この方法はロケット運行のパラメーターに関する正確なデータを与え、科学者は宇宙ロケットの将来の軌道の決定など長期的予測をすることができる。計算センターは軌道計算から得られた広範囲な資料の研究を続行しており、ロケットの運行の全パラメーターが計算されている。

(以下略)


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)1月4日(日)夕刊 一面】


衛星は日本時間4日昼、月の脇をかすめて飛び去ったが、夕刊では上述の通り一面トップで報じられた。ラジオのニュースでも大きく取り上げられたことだろう。

ソ連の専門家はこの出来事を「宇宙旅行最後の舞台げいこ」と表現している。思えば朝刊では、ソ連が月に基地を作るために探検する準備を始めることを発表したと伝えられた。具体的に“有人で”と触れられてはいないが、月へ人間が進出する野心があることを明らかにした最初の発表と言えるだろう。

政治的なイベントとしては、効果は計算通りだった。タイミング良くミコヤン副首相は米国に到着し、そのことも合わせて報じられている。同時に奇しくもアラスカが49番目の州に昇格するという出来事があったものの、米国内では霞んでしまったことだろう。冷戦戦略上極めて重要なこの地も、この時ばかりはロケットの隠れたに違いない。

なお、記事は小さいが、モスクワ市民がお祭り騒ぎだったことが報じられている。若者達が赤の広間に流れだし、その数数百、演奏と歓声に大騒ぎしたという。

衛星が月に命中しなかったのは、速度が速すぎたためだったことが、ブラゴヌラホフによって説明された。しかし米国にしては、彼らが欲しがっている第2宇宙速度すらまだ出せていないのに、速度が速すぎたとは複雑な気持ちだったに違いない。

メディアは衛星が、史上初の人工惑星になることに焦点を置いている。ソ連の本来の目論見=史上初の月面到達とは異なるが、世界の注目が集まったのは成果だろう。翌5日の朝刊一面では以下のように大きく取り上げられている。記事では詳しい軌道や衛星の今後の運命について報じられているが、今回の出来事について日本の有識者3名による対談が記載されているのでその辺を拾ってみよう。この3名は糸川英夫、畑中武夫そして久住忠男の蒼々たるメンバーだ。

  順調に惑星コースへ ソ連の宇宙ロケット

  
地球から四五万` 昨夜九時

(モスクワ四日発ロイター)タス通信は四日「宇宙ロケットは四日午後三時(日本時間同日午後九時)現在、地球から四十五万キロ、月の中心から六万キロのところを飛んでおり、次第に太陽を回る惑星としての軌道をとろうとしている」と報じた。

     


  
赤い人工惑星 三権威に聞く

ソ連の宇宙ロケットは月の軌道を飛び越し地球の引力圏を脱出して人類初の“人工惑星”となって地球、火星などと同じように太陽のまわりを回り続けることになった。スプートニク1号で開かれた“宇宙世紀”は三年目を迎えて新しい段階に入った。本社はこの人工惑星の成功の意義、それによって得られる科学的成果、さらにこの宇宙ロケットが軍事科学に与える影響などについてロケット科学の糸川英夫、天文学の畑中武夫両東大教授、軍事評論家久住忠男氏の三権威に集まってもらい専門的な立場から語ってもらった。

  太陽系調査に一歩 惑星ロケット出現も近い

  有意義な引力圏脱出

―ソ連の宇宙ロケットは月の軌道を越えて人工惑星になり、新春早々の大ニュースとなったが、こんどの成功は科学の発展と人類の進歩の上にどんな意義があるのでしょうか。

糸川 国際地球観測年で我々に身近な地球の調査が一段落した。そこでこんどは地球についで身近なそして未知の月、太陽系宇宙について少しでもよけいに知りたいという要求が強まっている。進歩したロケット技術を使って宇宙の探究がいよいよ始まったわけだ。昨年十一月ロンドンで開かれた英王立学会主催の「航宙学討論会」や「宇宙空間研究連絡委員会」でもことし中に月、火星、金星、木星ロケットを発射しようという計画が討議され、各国の協力態勢を作るようにという話がまとまった。

―地球の周りをまわす人工衛星に比べ、こんどの宇宙ロケットの成功で歴史に一線が画されたという見方もあるようであうが。

畑中 地球の引力圏を脱出できたということは、やはり宇宙ロケットの大きな特徴になるでしょう。しかし最初の人工衛星打上げの価値に比べるとちょっと落ちると思う。

―こんどのように月のそばを通って太陽の一惑星になる場合と、月の裏をまわすコース、それから月に命中させる方法の三つが考えられると思うが、ソ連の宇宙ロケットが月に命中しないで飛び去ったことをどうお考えですか。

畑中 こんどのは初速が少し早過ぎたようだ。それで月周辺の到着時刻が約一時間狂ったと解釈できる。ソ連の国旗を積んでいたことなどからもともとやはり月に命中させるつもりだったのではないか。

糸川 ソ連もスピードのコントロールという点ではまだまだのようだ。宇宙ロケットが月に一番近づいたのが七千四百`、一方月の地球に対する速度は約二`だからこの距離を時間に直すと約一時間になる。

  アトラスの四本分

―こんどの宇宙ロケットの最終段は約一d半もある。全体のロケットの大きさはどれくらいだったのでしょうか。

糸川 ごく常識的に考えるとこの程度の重量のものを打ち上げるには、最初の推力がほぼ七百dから八百d必要だ。アトラスの推力は二百d弱だから、大きさはアトラスを四本ぐらい束にしたものに匹敵するのではないか。段数は三段と思う。

―燃料はとくに変わったものを使っているのでしょうか。原子力推進だという推測もでているようです。

糸川 原子力も特別変わった化学燃料も使っていないでしょう。七百d程度の推力なら現在の燃料で、一段のエンジンでも出せる。

―送信機の電源は二、三日しかもたないらしいです。やはり月ロケットの目的で打上げたのでしょうね。するとこんどの観測はどうなるでしょう。

畑中 月を計るには少し離れすぎた。そので一番期待されるのは、地球周辺の日本の放射能帯を超えた空間の観測だ。

糸川 ロケットは半永久的に飛び、約四年に一回地球に接近するといわれるが、そのさい地上からロケットを観測できるだろうか。

畑中 観測できるとなると、地球と太陽の間の距離などがきわめてはっきりするようになる。今度の人工惑星が地球と再びめぐり会ったとき、その距離を地球上から実際に三角測量できれば、より精密な太陽系地図の縮尺ができる。

  木星ロケットも可能

―次は火星、金星ロケットの段取りと思うが見通しはどうでしょうか。

糸川 米国では月ロケットと惑星ロケットは並行して研究を進める予定でいたが、月ロケットの不成功で惑星ロケットの方も消極的になっていた。しかしソ連のこの成功に刺激されて再び盛り上がってくるだろう。こんどの宇宙ロケットの燃料でも木星までなら充分いける。もう一ケタ推力をあげられたら人間が宇宙旅行できる。だから米ソいずれも月に人間を送るところまでやるだろう。米国は一基で四百五十dの推力のロケットエンジンと、三基で七百dの推力のエンジンをつくるといっている。おそらくこのエンジンは二、三ヶ月で完成するだろう。さらにこのエンジンをロケットに設置するには約半年かかるとみられる。従って米国はソ連に追いつくのはあと長くみて一年かかるだろう。

―昨年暮の米アトラス衛星の成功などから、ICBMの実用化が迫っているといわれているが、こんどの成功とどのような関係があるだろうか。

久住 月にロケットをぶつけられるほどの精度があれば、ICBMの射程の誤差は0・5%にとどめられる。逆に言えば月に命中できなかったということは、ICBMの誘導技術がまだそこまで正確になっていないという目安になる。誘導技術が今後進めば戦争の危機が深まるように思われるだろうが、人々の関心が月や金星などに向けられるようになるので、地球上の争いはある程度軽減される。宇宙を舞台にした“科学的冷戦”がますます激しくなるだろうが…。

  貢献できる日本科学

―日本としてもこのような宇宙世紀に貢献したいものだが、具体的にどうしたらいいでしょうね。

糸川 現在のロケット技術なら金星、火星まではらくに飛ばせる。しかし計測器類の技術が遅れている。この点で日本の科学技術は非常に寄与できるはずだ。海外にさかんに輸出されているトランジスターの技術などその一例だ。その点で日本の科学界は世界に認められているのだから、政府当局もそれを充分考慮すべきではないだろうか。

久住 お話の通りですね。細かい分業的な面で日本の工業技術が寄与できる面はたくさんある。電子工学もその一つだ。

畑中 大気圏外の平和利用については、日本はもっと発言権をもたねばいけない。それには学問的実力がいる。日本がその実力をもって堂々と発言、主張ができるようになること、それには政治と科学の結びつきがもっと強くならないといけない。

―では最後にソ連の科学攻勢の次の手はなんでしょうか。

久住 こんどは原子力飛行機の発表でしょう。あるいはこんどの二十一回党大会ごろかも知れませんね。


[社説] 平和と経済競争

(中略)

重い米ソの国防負担

他方、ソ連の予算動向を見よう。昨年末にソ連最高会議が開かれ、例の如く連邦会議と民族会議において本年度国家予算を議決した。黒字予算であるが歳出は七千二百二十七億ルーブルであって国防費は九百六十一億ルーブル、本年度より二億ルーブル減で歳出総額に対する比率は一割三分強である。いまドル対ルーブルの公定相場(一ドル=四ルーブル)で計算するとソ連の国防費は約二百四十億ドルであるから米国より遙かに少ない。しかし、この点について米国当局は、ソ連予算の特徴として工業生産力の増進力と大規模な軍事施設の続行があり、ロケット、ミサイル、核研究費は経済開発、教育分化、科学研究などの名目に含まれているらしいと批判している。またソ連国内におけるルーブルの購買力を公定相場並みに計算することにも疑問があろう。だから、社会経済制度と予算の組み方の違う米ソ両国の国防費や比率だけをみて真の武力の充実拡大の程度を比較することはできないし、いずれの軍事支出が多いかについても判定しにくい。が、米ソ両国が国家予算の大半を割いて国防の充実に力を注いでいることをしることができよう。平和共存の代価は実に大である。直接間接に、わが国に重大な関係をもつ問題だ。

(以下略)


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)1月5日(月)朝刊 一面】


さすが、専門家ゆえかなり正確な推測が披露されている。ロケットの推力が大体700から800トン、燃料は原子力など特別なものではないということ、等々。糸川が、月の相対速度と最接近距離、到達予想時刻のずれから月衝突を目ざしていたことをサラリと確信している点は心を打つ。

日本のできうる貢献として、電子工学などの精密分野が提案されている。この辺は宇宙の平和利用と絡めて議論が展開されているが、その後の展望にはやはり読み誤りがある。「誘導技術が今後進めば戦争の危機が深まるように思われるだろうが、人々の関心が月や金星などに向けられるようになるので、地球上の争いはある程度軽減される。」という行だが、あえて言うまでもない。関心は確かに月やら金星やらに向けられたが、それは一時的なものであり、軍用技術と脅威がそれ以上に進化したのは歴史が示すとおりである。

最後に、ソ連の次の科学攻勢を「原子力飛行機の発表」と推測しているのが目を惹く。当時は原子力がブームで、航空機やロケットにも適用されるのは時間の問題だろうと考えるのは自然な流れだった。実際、大国を中心に50年代から60年代にかけて応用形態が検討され、1951年・原子力発電成功、54年・世界最初の原潜「ノーチラス」進水・就役、57年・原子力船「レーニン」進水などと大きな話題が続き、原子力は今後の重要なエネルギー源として注目されていたのだった。

ところで、社説に興味深い数値が掲載されているので抜粋してみた。当時のソ連の国家予算と国防費である。国防費が予算に占める割合は1割ちょいとされているが、実質的にはそれを超えたものだった。それでも金額ベースは米国には及ばないが、そもそも殆ど全ての物ものを自前で用意する閉鎖経済相手に、この為替レートは正しい意味をなしているとは言い難いわけだし…その問題点は社説でも認識されているが、面白いところだ。宇宙開発予算もこの中に入っていたのだろう…それがどのくらいだったのか、実質的な米ドルや円に換算したらどの程度のものになるのか、興味は尽きない。

この約1週間後、ソ連は衛星の外観を公開した。現在「ルナ1号」としてよく知られる、それである。

  宇宙ロケットの秘密 プラウダ発表

   脳髄は容器の中に 鎌と槌を刻んだペナントも

(モスクワ十二日発タス、共同)ソ連共産党機関紙プラウダは十二日、人工惑星となったソ連宇宙ロケットの内容及び軌道に関する詳細な記事、図解写真を公表した。

       


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)1月13日(火)朝刊 一面】


ソ連が公表したその姿は、今でもルナ1号の説明図で見かけるものだ。衛星が積んでいたというペナントも公表されている。

ソ連がルナ1号について発表するのはこれがほぼ最後のようである。以降の報道には関連記事を一切見ることがない。

先に座談会では、次のソ連が繰り出すであろう目玉は原子力飛行機と語られていたが、結局それが表れることはなかった。ソ連がしばしの沈黙を破り、再び世界を沸かせるのはこれから8ヵ月後のことである。


1959年9月12日、土曜日。半ドン仕事を終えて帰る人々は、ウィークエンドに顔をゆるませていただろうか。学校から帰った子供達は、外で遊び回っていただろうか。稲が一杯に広がる水田では、トンボが飛び始めていただろうか…。この時、ソ連・バイコヌール宇宙基地では月ロケット2号機の打ち上げを目前に、作業員達が大忙しで動き回っていたのだった。

モスクワ時間午前9時39分(日本時間午後3時39分)、ロケットがバイコヌールを離陸。打ち上げ成功が確認されると、ソ連はタス通信そしてモスクワ放送を通じて全世界に公表した。

ちなみにソ連は、発射の正確な時刻を明らかにしていない。これはスプートニク1号を始めとしていずれもだが、射場の場所を特定されることを避けたからだろう。メディアは様々な外挿からカスピ海北部と推定していたが、実際はもっと東の、アラル海のさらに東のほうであった。

ソ連が何時に公表したのかがわからないが、一報は夕刊には間に合っていない。夜のラジオ・テレビニュースで伝えられたのは間違いないと思うが、翌朝刊は一面をかっさらっている。実は12日には原子力船レーニン号の処女航海も行われたのだが、その記事は完全に隅へと追いやられてしまっている。

  ソ連 月ロケットを打上げ 明朝6時(日本時間)ごろ到着か

   宇宙の空間研究へ 球形容器に測定装置

(ロンドン十二日発ロイター、共同)モスクワ放送は十二日、タス通信の報道としてソ連が宇宙ロケットを月に向けて打上げるのに成功したと報じた。

(モスクワ十二日AFP)モスクワ放送によると、ソ連が十二日打上げた月ロケットの月到着予定時刻はモスクワ時間十四日午後零時五分(日本時間同日午前六時五分)である。

   多段式、重量一・五d

タス通信の発表全文次の通り。

一、宇宙空間の研究と惑星空間飛行の準備計画に従い、ソ連は九月十二日第二号宇宙ロケットの発射に成功した。ロケットは月までの宇宙空間の研究を目的として発射された。

一、発射は多段式ロケットによって行われ、ロケットは最終段は脱出速度十一・二`を超え、月に向かっている。

一、宇宙ロケットの最終段は燃料を除いて一五一一`の重量を持つ誘導ロケットで、科学及び無線技術装置をもつ容器を運んでいる。容器は球形で、ガスをつめて密封してある。これは温度の自動調節機を備え、軌道に乗ると科学測定装置とともにロケットの最終段から切り離された。

この二番目のソ連宇宙ロケットは地球と月の磁場、地球周辺の放射能帯、宇宙放射能の密度とその変化、宇宙放射能の重核子、惑星間物質のガス組成の調査と流星の研究に役立つはずである。動力供給源を含む科学測定装置容器の重量は三九〇・二`である。

一、全ての科学的資料、ロケット飛行中の運動のパラメーターの制御のためロケットには次の装置が積まれている。

(1)周波数二〇・〇〇三メガサイクルと十九・九九七メガサイクルの無線送信機一台、送信機は〇・八秒から一・五秒の電信信号を発信し、発信方法は第一の周波数二〇・〇〇三メガサイクルの信号発信の間に第二の周波数十九・九七メガサイクルの信号が発信される。

(2)周波数十九・九九三メガサイクルと三九・九八六メガサイクルの無線送信機、この送信機の発信信号は〇・二秒から〇・八秒のインパルス(衝撃波)で発信される。

(3)周波数一八三・六メガサイクルの送信機一台。

一、宇宙ロケットはソ連の国章つきのペナントと一九五九年九月の刻印をもっている。

一、宇宙ロケットの肉眼視察のため人工すい星としてソジウム(ナトリウム)雲を放出する特殊の器具がつけられ、ソジウム雲は十二日午後九時三十九分四十二秒(日本時間十三日午前三時三十九分四十二秒)に現れる。すい星は水ガメ星座の中に現れ、大体ワシ座と魚座の両一等星をつなぐ線上に観測できよう。

(中略)

一、宇宙ロケットはモスクワ時間九月十四日午前零時五分(日本時間同日午前六時五分)月に到達する予定。

一、宇宙ロケット第二号の打上げ成功は人類による宇宙空間の研究征服に新たな重要な段階を開いたものである。これは宇宙空間征服における国際協力の見通しを改善するもので、国際緊張をさらに緩和し、平和を強化するに役立つであろう。

       

  東京で信号キャッチ

郵政省電波研究所中田研究室(東京都下国分寺)は、十二日午後九時二十分頃からソ連が打上げた宇宙ロケットの信号をキャッチ、引き続き受信している。ロケットの発射電波は二〇・〇〇三メガサイクル、十九・九九七メガサイクル、三九・九八六メガサイクルおよび一八三・六メガサイクルの四種類だが、電波研究所がキャッチしたのは十九・九九七メガサイクルの電波。信号は〇・八秒から一・五秒おきに「ピー・ピー」という断続音となって聞こえている。

  フ首相訪米を援護 宇宙合戦にソ連の優位

[解説]ソ連ロケット技術陣は本年一月の宇宙ロケット・メチターの発射いらい八ヶ月間の沈黙を破って十二日、月に向かう宇宙ロケット第二号を打上げた。西欧側情報ではフルシチョフ・ソ連首相の訪米を機に、ソ連が人間衛星を打上げるのではないかとしきりにいわれていたが、この推測が的中したものといえよう。フルシチョフ首相は米国訪問は平和が目的でロケット、軍事基地など見る気はないと述べているが、今回の宇宙ロケット打上げはフルシチョフ首相の意図いかんに関わらず、ソ連の米国に対する科学、軍事上の優位をみせつけ、米ソ巨頭会談にも微妙な影響を与える有力な一材料となろう。ソ連宇宙ロケットの月到達予定は日本時間十四日午前六時五分で正否はまだ不明だが、ソ連の発表ぶりから推してもまず成功確実と見られる。入手された資料を基準にこんどのソ連の月ロケット打上げの米ソ宇宙合戦に占める地位とそのねらいに触れてみよう。

▽月への直撃がねらい ソ連は一月二日宇宙ロケットを月に向かって打上げ、月から七千五百`の距離を通過、米国はやや遅れて三月三日パイオニア四号を打上げたが、これは月から五万九千`の距離を通って宇宙惑星となった。両ロケットの月に対する誤差と計測機器重量(メチターは三六一・三`、パイオニアは一一・二`)からみてソ連ロケットが優れていることがあきらかだったが、今度の打上げで月への一番乗りの栄冠もソ連の手に入ることになりそうだ。

(以下略)


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)9月13日(日)朝刊 一面】


タスの発表が前回1月の際と比べて詳しいが、これらから今回打ち上げられた衛星が1月のものとほぼ同型であることが伺える。ただし科学機器が大型化したため重量が30sも重いが、楽々と打ち上げたところにソ連ロケットの余裕があり、これがプレッシャーとして米国にのしかかる。この時の米国のロケットでは、最終段重量は10sに満たなかったのである。

今回の発表をみると、前回よりも月面命中に確信を持っていることが伺える。前回は「月の周辺に到達」と言葉を濁しているが、今回は「月に到達」と、時刻を分まで指定して断言している。

もうひとつ気づくのが、「メチター」という呼び名だ。これは1月のルナ1号のことをコロリョフが呼んだものだったが(開発史(5)参照)、それが公でも使われていたということである。ソ連は1月の発表の時点では「メチター」の言葉を用いていない。それが今回の打ち上げ報道では自然に使われているところをみると、これまでの8ヶ月間のどの時点かでソ連がこの呼び名を用いたと考えられる。少し調べてみたが、新聞報道の範囲では見あたらなかた。海外では取り上げられたのだろうが、わが国では報道に出なかったのかもしれない。

また、このうち上げがフルシチョフ訪米のタイミングにぶつけられたのは明白だ。しかしその直前まで西側は「次は人間衛星では」と踏んでいたのは、フライングだ。1958年の静けさが、憶測に憶測を呼んでいたのかも知れない。

この日の夕刊では、その後のソ連報道と世界の反応が掲載されている。衛星は軌道のズレ殆どなく、真っ直ぐ月を目ざしていることが確認されているが、命中するかどうかについては、ソ連当局は明言を避けている。一方米国はコメントを発表し、ソ連の技術と政治目的を冷静に把握していることをアピールしている。

  ソ連ロケット 月へまっしぐら 

(RP、共同)十二日のモスクワ放送によると、ソ連の宇宙ロケット二号は同日午後五時(日本時間午後十一時)現在、地球から十一万一千`b離れ、引き続き月に向かって進行している。同時刻に宇宙ロケットはスマトラ島の西部上空にあった。ロケットの送信機は強力に活動し、観測機械の機能は正常に働いている。ソ連各地の観測所はロケットからの信号を受信しており、ロケットの軌道パラメーターの測定が行われている。モスクワ時間午後七時(日本時間十三日午前一時)宇宙ロケットはインド洋上上空、東経七八・六度、南緯五・四度に位置する。

     

   米国も打ち上げ準備 交換訪問前の科学合戦

(ワシントン十二日仲共同特派員発)ワシントン外交筋では十二日、ソ連が打上げた第二の宇宙ロケットは、フルシチョフ・ソ連首相のワシントン乗込みを前に、フ首相自身の指令によってしかれた「軍事科学上の優位」という名のジュウタンであると観測している同筋では、ソ連がスプートニク第一号で宇宙時代の先陣を切っていらい、ソ連の軍事科学面での成果が、かげとなり、日なたとなってソ連の外交政策、とりわけ米国を相手どる「平和共存外交」を強力に進める役割を果たしていることを改めて重視し次の諸点を指摘している。

一、五七年十月の第一号スプートニクはワシントンにおけるダレス・グロムイコ会談、五九年一月二日のメチター宇宙惑星は同月三日から始まったミコヤン第一副首相のワシントン非公式訪問の直前にそれぞれ打ち上げられた。従って今回の月ロケットは順調に行けばフ首相のワシントン到着十八時間前(十四日午後五時五分)に月へ到着、アイゼンハワー大統領との会談にのぞむフ首相にとって最強の援護射撃となろう。

一、“平和共存”というソ連外交政策を世界に印象づけるためフ首相は軍事面でなく宇宙旅行への第一歩である月への科学ロケット打ち上げを選んだ。このことは米国内の軍事基地視察を拒否しまた訪米の一行から一切の軍人を排除したその配慮からも裏付けられる。このようなソ連の政策に対して米国もおそまきながら同様の手段で対抗策に出るものと予想される。

一、米国は十月三日から五日までの間に月が地球との最短距離に接近するのをねらって重さ約百七十`の本体を積んだ四段階の月ロケット・アートラ・エープル第四号をケープカナベラルから発射することになろう。これはフ首相のワシントン出発後だが、同月下旬に予定されているア大統領のモスクワ訪問を前に強力な米国の“軍事科学巻き返し攻勢”の一端となろう。

一方米科学専門家筋によるとソ連の今回の月ロケットについては打上げ用ロケットや使用燃料に関する資料が公表されないので、立ち入った論評を避けているが、ロケットおよび本体の重さが前回のメチターと酷似しているのでこの面では特に新しいソ連科学の前進とはみていない。月が地球から最も遠い時期にあるいまあえてこれを打上げ、成功した技術面での充実と前回と違い発射直後成功の自信をもってこれを公表したことに注目している。月世界に到達するロケットの計画は最近の“人間衛星”計画の影にかくれてやや忘れられた存在となっていたが、科学専門家筋の間では宇宙旅行の第一段階としてこれまでも同様最も重要な計画とされており、ソ連がこれに成功すれば宇宙開発の主導権は最近スランプ気味だったソ連科学陣の手へ再び移ることは疑いないとみている。


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)9月13日(日)夕刊 一面】


しばし、衛星の動きをただ黙って見張る時間が過ぎる…。衛星は13日夜(日本時間)に月の引力圏に入ったが、翌14日朝刊ではそのことが報じられた。

  昨夜 月の引力圏に入る 送信が止まれば“到達”

昨夜のモスクワ放送によればソ連の第二号宇宙(月)ロケットは日本時間十三日午後十時四十分、月の引力圏に入った。十四日午前零時現在、地球から卅二万三千`となった。

(モスクワ発、共同)十三日午後六時、ロケットの位置は南緯十二・五度、東経九五・九度の上空である。月までの距離は五万四千`b。現在ロケットの軌道を最終的に確定するため観測結果の整理計算が行われている。地球から月へロケットが飛行するに当たってはこの全行程は二つの部分に分けられる。(以下略)

(モスクワ十三日発ロイター、共同)ソ連の天文学者マルチノフ博士は十三日青年共産同胞機関紙コムソモリスカヤ・プラウダに第二号宇宙(月)ロケットについて寄稿しているが、同博士はそのなかで次のように説明している。

一、ロケットが月面にぶつかった時にロケットの状態を観測することは不可能であろう。また秒速三`bの速度で飛行しているロケットが月面に到着したさい生じる雲状のものをみることもできないであろう。

一、もしロケットが月面到達のさいの衝撃に万が一耐えて破壊されまま残ったとしてもロケットを観測することはできないだろう。

一、ロケットが月面に到着したということはロケットの送信機の発信が突然停止することによって確認されることになっている。

(以下略)


      


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)9月14日(月)朝刊 一面】


端的だが、臨場感溢れる記事だ。衛星が順調に飛行していること、そして途中放出されたナトリウムが地上から観測されたことが伝えられている。また、メディアの質問で多かったのだろう、衛星の激突が見えるのか、その瞬間はどうやって確認するのかといったことに明確に答えている。

さて、この朝刊が配達される前後ごろ、衛星は月面に激突を果たしたわけだ。この日の夕刊一面はそのほとんどをこの快挙に捧げているが、これによると激突の瞬間をほぼライブで一報したと言って過言でない。

ちなみにこの時、日本国内の政治はひとつの山場を迎えつつあった。先日からの抜粋でも見え隠れしているが、社会党が分裂の危機にあったのであるが(西尾末広以下、いわゆる西尾派=社会党右派はこの後離党、翌年民主社会党(のちの民社党)を結党する)、ソ連の月ロケットはこの騒動をよく抑え、大きく報じられ続けていた。

  ソ連ロケット 月に到達 けさ6時2分24秒(日本時間)

  正確に軌道を直進 予定時刻と二分の差

(モスクワ十四日発タス、共同)ソ連の第二号宇宙ロケットはモスクワ時間十四日午前零時二分二十四秒(日本時間同六時二分二十四秒)月の表面に到着した。なおモスクワ放送も同様の発表を行った。

(モスクワ十四日発ロイター、共同)モスクワ・プラネタリウム当局は十四日、ソ連第二号宇宙ロケットは同日、月面に当たったと言明した。このニュースはモスクワ時間十四日午前零時(日本時間同日午前六時)少し過ぎプラネタリウムの外側で喜んでいる群集に向かって伝えられた。

   
宇宙飛行への新ページ開く 天体に印す永遠のペナント

ソ連の第二号宇宙ロケットはついにモスクワ時間十四日午前零時二分二十四秒(日本時間同六時二分二十四秒)月面に到達することに成功した。多段式方法で十二日午後(注=正確な発射時刻は不明)打上げられたこのロケットの最終段は、脱出速度秒速十一・二`を超え、その後秒速三`というスピードで一路月への直進を続け、十三日午後四時四十五分(日本時間十時四十五分)月の引力圏内に突入した。

モスクワ当局の観測はロケットが順調にあらかじめ計算された軌道のごく近くを飛行していることを確認、月面到達の時刻は当初の予定モスクワ時間十四日午前零時五分(日本時間同六時五分)より四分早くなり、午前零時一分(日本時間同六時一分)になろうと発表した。

この歴史的瞬間が近づくにつれて世界最大の電波望遠鏡を誇る英国のジョドレルバンク天文台もロケットの月面衝突の瞬間を捕らえようと作業を開始、モスクワはもとより文字通り全世界の視聴が第二号宇宙ロケットに集中した形となった。

正否の第一報発表のカギを握ると思われるモスクワ放送は午前六時(日本時間)カッキリにそれまで放送していたロケット解説をやめてソ連国家を流し始めた。いよいよ到達予定時刻の午前六時一分(日本時間)−息づまる一秒、三秒、五秒、予定より二、三分過ぎたがなんの音さたもない。午前六時五分(日本時間)ジョドレルバンク天文台がロケット信号音の停止をキャッチしたとの外電が飛び込んできた。追っかけるようにモスクワ・プラネタリウムがロケット月面到達と発表した報が入る。そして間もなくタス通信とモスクワ放送が「成功」の報を全世界に発表した。

こうしてソ連の第二号宇宙ロケットは月面到達の偉大な使命を果たしてその生命を終えたが、月面にはその偉業のシンボルであるソ連国家紋章と「一九五九年九月」としるしたペナントが残され、永遠に記念することになった。この成功は地球から他の天体へ飛ぶという宇宙飛行実現に輝かしい新ページを開いたものとして米英はじめ世界各国からきわめて高く評価されている。

       

  “地球のバイ菌”移さぬ 『月の生命形態を研究のため』

(RP、共同)十三日のモスクワ放送によれば、ソ連のザーコフ生物学博士候補は第二号宇宙ロケットに微生物が月に感染することを防ぐ措置が施された意義について次のように述べた。

外的環境の異なる他の天体での生命の形態を明らかにして、生命の起源の一般理論を作りあげることは、惑星間飛行が実現したさいの生物学的目的の一つである。ところが他の天体の生物に直接に接することができる以前に、そこへ地球上の各種の微生物が持ち込まれるとそれらが極めて大きな適応性と繁殖力を持っているので、他の天体の生物に大きな影響を与え、また自身も新しい条件に適応して変化をとげるかもしれない。それでは他の天体における生命の形態について正しい知識が得られなくなる。こんどの措置は以上の点を考えてとられたものだ。

  興奮にわき立った天文台

(ジョドレルバンク十三日発ロイター、共同)ソ連の第二号宇宙ロケットからの信号音は十三日午後九時二分三十秒に突然とだえた。予定通りぴったり月に到達したのだ。ジョドレルバンク電波天文台の指令所の周りに集まっていた科学者達にこの歴史的ニュースの第一報を伝えた。かれらは宇宙ロケットの月面への飛行を三時間も前から一刻も離さず追跡していた。

午後九時二分三十秒に、これまで明朗に受信していたソ連宇宙ロケットの信号音が突然とだえると、ジョドレルバンク電波天文台の内部は興奮のざわめきで沸き立ち、つめかけた報道陣は第一報を全世界に伝えるため、われ先にと駆け出した。ラベル天文台長は信号音の停止はロケットの月到達を意味するものと思う、と述べ、この偉業はソ連が“決定的に進んでいる”ことを示すものという考えに同意した。

(以下略)


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)9月14日(月)朝刊 一面】


ソ連は衛星の追跡をジョドレルバンク天文台に依頼していたが(この背景は開発史19参照)、世界のメディアはその発表に釘付けになっていた。当然、天文台にはマスコミが押しかけていたのだが、ちょうどその目の前で、衛星からの電波が途絶えたのであった…詰めかけていた人々は興奮のるつぼにあったわけだが、力を誇示するのが目的だったソ連にしてみれば、こんな素晴らしい“演出”が自然とできあがってしまったのだった。

興味深いのは、衛星が滅菌されていたことをほのめかす発言だ。地球以外の天体に着陸を目ざす場合、着陸機はその惑星環境を汚染しないように滅菌される。米国は情報をオープンに滅菌実施を公表してきたが、ソ連の場合、はっきりと言及してはこなかった。例えば70年代の火星探査機「マルス」の着陸機も滅菌されていたという話はあるものの、果たして本当になされていたのか確証が乏しい。それゆえ筆者には、このルナが滅菌されていたことをほのめかす発表はとても興味深く感じられる。

ここでは引用を割愛したが、衛星を飛ばす科学的な意義も改めて解説されている。それによると、月の磁場を調べることが最大の目的であり、その他、地球放射線帯、惑星間物質のガス組成などの観測が目標とされていた。月の磁場を調べることでその成因(ダイナモ理論)とひっかけて月の内部構造、ひいては月形成過程の研究が大きく前進することが謳われている。

この月面到達成功は、この一面以外には8面に触れられているだけであり、そこではロケット誘導の精密性が驚かれている。また、この成功を大きく報じるのはこの日限りである。翌15日の紙面では関連記事はなく、政局問題に大きく紙面が割かれている。


全ての物事は、ソ連の描いたシナリオ通りに進んでいった。15日、フルシチョフが渡米したのである。

  フ首相 ワシントン入り

  ア大統領と固い握手 顔いっぱいの微笑たたえて

(ワシントン十五日丸山特派員)フルシチョフ首相一行を乗せたジェット機TU114は十五日午前零時二十一分(二歩時間十六日午前一時二十一分)ワシントン郊外のアンドリュース空軍基地に到着した。アイゼンハワー大統領はタラップの下でフルシチョフ首相夫妻を迎え、固い握手を交わした。

(中略)

   
月でも地球でも共存 フ首相あいさつ

(ワシントン十五日発AFP)フルシチョフ首相は十五日、アンドリュース基地に着陸して次のようにあいさつした。

私は率直な気持ちと好意をもってワシントンにやってきた。私はア大統領からの招請を非常に喜び、感謝して受諾した。米国のあらゆる階層の人々に会って話をし、その行き方を学びたいと思っている。ア大統領がモスクワにくるさいは最大の歓迎をするだろう。ソ連人民は米国民と友好的に話し合うことを望んでいる。

われわれはソ連の月ロケット成功によって喜びにつつまれた。このようにして地球から月への道が開かれることになった。ソ連の紋章をつけたペナントを持つ三百九十`の容器がいま月に置かれておりこの結果地球が何百`かの目方を失って月がそれだけ重くなった。

私は米国も月にペナントを送ることを信じて疑わない。ソ連のペナントは月の古い住人として米国のペナントを歓迎するだろう。そしてわれわれが地球の上で平和かつ友好裏に共存しなければならないのと同じように二つのペナントは月でともに平和と友好裏に共存することになろう。

       


                       【熊本日日新聞 昭和34年(1959年)9月16日(水)朝刊 一面】


「月がちょっと重くなり、その分地球が軽くなった」「我々のペナントが米国のペナントを歓迎」云々の、衛星にひっかけたフルシチョフの挨拶は今に伝わっている。しかし米国人はこの挨拶を、嫌みとしか受け取らなかったに違いない…。


【Reference】どの資料も詳しくわかりやすく、推薦です!

熊本日日新聞(詳細は各記事ごとに明記)

…などなど。