犬は地球に帰ってくる

ソ連が宇宙空間へ打ち上げる実験生物として犬を選んでいたこと、そしてその記念すべき第1号が「ライカ」であったことは既に触れた(「スペース・ドッグ」、「伝説の犬・ライカ」)。しかしこれまで、我が国における当時の報道に触れたことは全くなかった。

「世界中で大騒ぎになった」とよく言われるが、では日本では果たして、どのような報道がなされていたのだろう。あわせて「ライカ」そして「クドリャフカ」という名がどの時点で公になり、一般化していったのか、改めて辿ってみたい…筆者はこのような個人的興味から、図書館へ潜り、当時の新聞報道を辿ってみた。ここではそうして得られた資料を基に、スプートニク2号に対するメディアの反応と報道内容の真偽、その背景を鳥瞰してみたい。


ソ連ではスプートニク1号の打ち上げ(1957年10月4日)以前から、宇宙へ飛び立つ生物として犬が選ばれ、訓練が続けられていたことはよく知られている。ソ連はそのことを、写真も交えて時々報じていた。これは日本でも紹介されており、以下はその一例である。

  宇宙旅行は犬が一番乗り 人工衛星成功の陰の勇士

  
落下傘で飛び出す 

        


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月20日(日)朝刊 6面】


この記事は子供向けに書かれたもので見出しにもフリガナが振ってあるが、内容は大人が読んでも充分勉強になる、非常に明解な記事だ。写真の犬・アルビーナはキャプションが「アルビーナ君」となっているが、本当は「アルビーナ嬢」。アルビーナはライカのバックアップドッグであり、そもそもこちらが有力候補であったが、「みんなの人気者であったこと」、「最近母親になったことで子犬のために必要であること」を理由に外されたのであった(「伝説の犬・ライカ」も参照)。

さて、10月29日付け紙面には、隅に小さいながらも注目すべき記事がある。

  ソ連、人工衛星の観測で要請 英科学者に

(ジョドレル・バンク=英国=二十七日発AP、共同)世界最大の電波望遠鏡をもつジョドレル・バンクの科学者は二十七日、モスクワのソ連天文学会から人工衛星の観測を続けるよう要請した電報を受け取った。同電波望遠鏡の責任者ローベル教授によれば、ソ連からの電報はとくに二十八日の人工衛星に注意して欲しいと述べており、同教授は直ちに観測を開始し、衛星よりも八十分先を飛んでいるロケットを同望遠鏡で確認した。


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月29日(火)朝刊 2面】


ジョドレルバンク天文台がソ連の人工衛星を追跡していたことは、当サイトの他の話でもしばしばご紹介した。ソ連が月や惑星探査機を打ち上げ、その時に同天文台に追跡を依頼していた内容だったが、このような依頼のきっかけがここにあったわけだ。

そして、運命の11月4日を迎える。

   犬を乗せた人工衛星 第二号

   
生存状態も正常 前回の六倍 重さは五百`

(モスクワ放送三日ACH、共同)ソ連のタス通信は、ソ連が三日人工衛星第二号を打ち上げたと発表した。(一部既報)

一、人工衛星第二号は三日午前七時二十分と同九時五分(日本時間同日午後一時二十分と午後三時五分)の二回モスクワ上空を通過する。

一、今回の衛星打ち上げと各種の科学機械、実験動物の積載によって、宇宙空間と上層大気圏の研究は一段と深まり、人類はいっそう宇宙の神秘に近づくことになる。

一、今回の発射は革命四十周年を記念するものである。

           



  
千五百`の上空飛ぶ 

三日午前八時四十五分(日本時間同日午後二時四十五分)モスクワ放送臨時ニュースによれば、タス通信は同日ソ連が人工衛星第二号打ち上げに成功したと大要次のように発表した。

一、十一月三日人工衛星第二号の打ち上げを行った。

一、人工衛星第二号は推進ロケットの最終部分であり、科学器具を収めている。

一、人工衛星には、太陽光線測定器、宇宙線測定器、温度と気圧を調べる器械、実験用動物(犬)を入れた密閉容器と予備食糧、宇宙空間におけるその生存状態を調べる傷、および地上へ観測資料を送る装置を収めている。

一、人工衛星からの電波発信は波長四○・○○二および二○・○○五メガサイクル(七・五および十五b)によって行われる。

一、人工衛星の総重量は五○八・三`である。

一、人工衛星の軌道速度は秒速約八千bである。

一、人工衛星の地上からの最大距離(遠地点)は一千五百`、周期は約一時間四十二分、赤道面に対する傾向角は六十五度である。

一、人工衛星の発する観測資料によれば、科学機械の活動と動物の生存状態は極めて正常である。

一、二○・○○五メガサイクルの電波発信は持続、休止とも〇・三秒間隔の発信信号、四○・○○二メガサイクルの方は連続で休止無しである(ACH=共同)

  月への発射あすにでも可能 英専門家が推定


(ロンドン三日発ロイター、共同)ソ連の第二人工衛星打ち上げについて、英国宇宙旅行協会のケネス・ガトランド副会長は三日「これはソ連が、かなりの大きさの物体を積んだロケットをあすにも月に向けて発射できることを示したものだ」と述べ、さらに次のように語った。

第二号衛星を打ち出したロケットの重さは少なくとも五百dはあったはずだ。この推定は、一ポンドの物体を運ぶためには一千ポンドの重さのロケットが必要だとの定説を根拠としたものである。ソ連が何か新しい化学燃料なり原子力推進方式を作りだしたのではない限り、この推定は誤っていないはずだ。

  
犬は宇宙の偵察者 乗っているのは“リンダ” 

ソ連の人工衛星第二号にはワン君が乗っている。このワン君、予備食糧まで持っての“宇宙旅行NO1”になったが、実は人間が宇宙旅行にでかける偵察係でもある。ソ連は動物を高層に上げて、高層大気中での特殊な生理現象の観測を六年前の一九五一年からはじめていた。はじめはモルモットやサルなどをのせていたが、いまでは利口な犬を使っている。“コジヤツカ” “リンダ” “マルイシカ” などの犬はロケット飛行のベテランとして知られ、第二号衛星には“リンダ”が乗っているとみられている。ソ連の最近の学会情報を総合すると、犬を人工衛星に乗せている目的は、

一、激しいスピードで打ちあげられる時動物がどれだけの加速度に耐えられるか。

一、地球の引力が少なくなったところや、なくなったところで動物はどんな生理現象がおこるか。

一、高層の激しい温度の変化や宇宙線の中でどんな変化を受けるか。

の三つになる。飛行機が飛び出す時や急降下する場合、大きな加速度が加わり、目がくらむことがある。これよりもスピードの速いロケットに乗った時、動物はどんなことになるか、どんな室内にすれば乗っている動物に害を与えないかが最大の目的だ。引力のない状態を地上に作ることはできない。だから人工衛星に動物を乗せてその状態におけば、これまでわからなかった多くの問題が調べられる。例えば血液は普通に循環するのか、心臓の鼓動に変化がおこるか、歩けるか、食糧や水をとることができるか…、いままで全く未知の世界だ。高層に上れば零下六、七十度にも下がるところがあるし、宇宙線が滝のように降り注ぐ層もある。密室をどう作れば安全か、また宇宙線の影響がどう出るか。人類が宇宙に出る夢とともに、生物の解明にも役立つ。

ソ連の生理学は世界の最高峰とされており、またパブロフ博士の条件反射いらい犬が盛んに登場する。これはサルやモルモットよりも人間に近い生理を持っていること、サルは生理状態で一定でないこと、また波が多いことが理由としてあげられる。犬は特別の訓練をほどこしているが、いままでの実験方法は二通りあるようだ。一つは地上と同じ気圧の気密室の中に麻酔をかけずに犬を入れ垂直に百十`打ちあげた。そこからロケットもろともパラシュートにつけて、三時間かけてゆっくり下ろした。犬は脈はくと呼吸に変化がみられただけで他は正常だった。もうひとつの方法は、気密室はなくて犬に酸素吸入器のついた成層圏飛行服を着せて飛ばした。高度百十`で犬たちが乗っている部分だけが分かれて落ち始め、三秒後にパラシュートが開いて約一時間かかって地上に降りてきたがただ脈はくと呼吸に若干の異常がみられただけで犬たちは元気だったという。

  第三ロケットが衛星 器械の保護に役立つ

ソ連は三日、人工衛星第二号の打ちあげに成功したと発表した。ソ連が十一月七日のロシア革命四十周年を記念して第二号を打ちあげるということはかねてから伝えられており、世界各地の観測陣も五日から観測を始めることになっていたが、この予想より三日早かったわけである。

第二号の特徴は何といっても目方が五○八・三`もあることだ。第1号は八三・六`だったが、これでも米国の予定している十`にものに比べてきわめて大きいことが世界を驚かせたが、今回はさらにその六倍である。

五百キロの物体を秒速八`で飛ばすことのできるロケットならば、約一dの水爆を運び得るものと推定される。従ってソ連はすでに地球上のどこにでも水爆を投下できるような大陸間弾道弾(ICBM)を持っているものと考えられるわけである。

(中略)

さらに今度の第二号は第三段目のロケットがそのまま人工衛星となっていることも一つの特徴である。これは中に乗せている犬や、機械類を保護するに役立つだろう。(以下略)


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月4日(月)朝刊 一面】


4日朝刊は一面で、スプートニク2号の打ち上げを大々的に報じている。以前から予告されていたものではあったが、犬を確かに載せていることが注目を集めている。スプートニク1号の打ち上げの時よりも(「スプートニクの思い出」参照)、紙面から伝わる興奮がありありとしているように感じられる。

犬もそうだが、この時点で特に注目されているのは、その重量だ。衛星の重さは500kg超となり、これはスプートニク1号を6倍も上回る。米国が10kgかそこらの衛星を軌道に打ちあげるのに四苦八苦している最中、ソ連は500kgの物体を楽々と周回軌道に上げたのだ。西側が、未だ正体不明の打ち上げロケットに、ただならぬ脅威を感じているのがよくわかる。

この時点でどの犬が使われたのかまだ報じられていないが、推定で「リンダ」とされているのが興味深い。また、衛星と第3段ロケットが一体化して飛行していることもソ連ははっきりと表明している。なお、電波は日本各地でも受信され、1号の時と同じものだという印象を誰もが抱いている。

そして、1号の時と決定的に違うのは、この打ち上げに政治的意味をはっきりと持たせたことだ。タス声明の行にある、「今回の発射は革命四十周年を記念するものである。」が色彩を放っていると言えるだろう。ソ連政府にとっていまや人工衛星はおもちゃではなく、政治の道具としてトップに位置付いた瞬間であった。

この日の夕刊一面は、より一層、衛星の話題で賑わっている。躍る見出しが書き手の興奮を物語り、読み手を煽り立てる。そしてここで初めて、「スプートニク」、「ライカ」、「クドリャフカ」という言葉が登場する。

  人気回復へ繰り上げ発射 ソ連の第二人工衛星

(ロンドン三日●●共同特派員)ジューコフ元帥の追放を追いかけるように第二の人工衛星が発射されたのを機会に、共同通信ロンドン支局はモスクワの飼手支局長を三日午前十一時(日本時間同日午後八時)国際電話に呼び出して、興奮したモスクワの表情を聞いてみた。以下はモスクワとの一問一答。

       


  
忘れられたジューコフ追放 興奮に沸くモスクワ

ロンドン ジューコフの追放は予想通りだったが、第二の人工衛星の方は意外に早かった感じだが、きのう(二日)からきょう(三日)にかけてのモスクワの表情はどうだ。

モスクワ けさのモスクワは人工衛星の話で持ちきりだ。ジューコフの問題なんかまるで忘れた形で、一、二ヶ月前の話のような感じだ。ジューコフの発表があったのは二日夜の十時半のラジオだったが、この時はだれもそれがきょうの話題だと疑わなかったのが、けさの六時いきなり犬が乗った大きな第二の人工衛星が飛び出したというので大騒ぎ、ラジオはその後もじゃんじゃん放送する、ラジオ・カーまで街中をかけずり回ってモスクワの市民は一種の興奮状態だ。

ロンドン それに革命四十周年が間近に迫って、きのうは毛沢東中国国家主席も乗り込んできているが、どんな様子だったか?

モスクワ 毛沢東主席は二日午後三時二十分モスクワの飛行場についたが、大変な歓迎ぶりだった。ただわれわれにとっては、ジューコフが迎えに出ていなかったので、いよいよ追放確実と最後の見極めをつけるメドになった。

ロンドン 人工衛星は七日の革命記念日直前に発車されるものとこちらでは予想していたが、ジューコフ追放の発表と結びつけて発車を急いだような感じがするがどうかね。

モスクワ こちらも七日にやると思っていたが、確かに繰り上げ発射の感じがあるね。ジューコフの追放はソ連にとってせっかく人工衛星が稼いだ点数をいっぺんに失ってしまった感じだったが、それをこんどの第二号発射でもう一度湿地を回復したいというところだ。ホテルなどでもけさは人工衛星の話ばかりで、ジューコフのことなど忘れてしまった格好だが、これには触れたくない気持ちもあろう。また確かにこの人工衛星の方が面白いからね。

ロンドン ソ連の国民はジューコフのことをどう思っていたのだろう。

モスクワ 市民の間ではジューコフは西欧に評判が良すぎる割に国内ではそれほど高く買われていないという批評もあったが、なんといっても国を破壊から救った偉大な軍人として、また立派な人物としての魅力は大きかったようだ。そんな偉い人がまさかウワサのようなひどい目に会うことはあるまいといった気持ちが一般の市民の心の底にはあったようだ。だからきのうの発表はやはり意外といった感じが強く、われわれの目の届かぬところでなにかあったというのが本当の市民の気持ちだと思う。

ロンドン それだけにそうした暗い面を一気に吹き飛ばして明るい希望と誇りを国民に取り戻させる必要があったというわけだね。この一週間は大分もたついて暗い感じが続きすぎたからね。

モスクワ 確かにこの一週間は暗中模索の状態で中央委さえ開いているのかどうかわからぬし、ヤミクモの推測が多かったが、共産圏側ことにユーゴからニュースがもれはじめ、週末にはきびしい措置を疑う余地はなくなった。

ロンドン これからの見通しはどうだ。こちらでは中央委の票が大きく離れたことを重視してフルシチョフ政権の安定性を疑っているが。

モスクワ 中央委の会議が難航してもめたことは事実だが、全会一致ということになっているし、ジューコフの新任務も中央委書記局で適当な冷却期間と反響を見極めて決めるつもりではないか。(以下略)

  「新衛星」地球を12周 百三分で一周、千七百`高空を飛行 犬の状態も極めて良好

(モスクワ放送三日ACH、共同)人工衛星第二号のその後の運行状況は次の通り。

(中略)


一、国際地球観測年計画に基づき、第二号は特に宇宙飛行に関する生物医学上の重要な一連の問題を研究するが、このため衛星は密室内に動物、ライカ種の犬一匹を積んでおいて、特殊の装置によって、その重要な生理機能をきろくすることになっている。中間資料分析の示すところによると、犬は飛行の当初きわめて気楽にしており、その一般的状態は満足すべきものである。目下引き続き犬の生理状態に対する議論が続けられている。

(中略)


一、またこの時刻までに第一衛星の推進ロケットは地球を四百四十六周した。(注=人工衛星に乗せられたライカ種の犬はソ連、スカンジナビア北方森林地帯の産、背タケ四○−六五センチ、頭が細長く三角耳で、尾は立っている。リス、クマ、テン、シカなどの狩りに使われ、ソ連にはロシア、西シベリア、東シベリア、ロシア・フィンの四種があり、ちょっとエスキモー犬に似ている)

  
宇宙旅行中のワンワン嬢 米は虐待だと憤慨 正真正銘ミス・ユニバース 

宇宙服に身を包んだ犬がいま地球を回っている。ソ連のスプートニク(人工衛星のロシア語)第二号打ち上げを予測していた世界中の人々も“奇想天外”を地で行くソ連の発表には度肝を抜かれたようだ。ワシントンもロンドンもパリもスプートニクより犬の方に話題が集まっているという。シャレ好きの米国人はスプートニクをもじってマトニク(マトは雑種犬を呼ぶ俗語)という新語を発明した。しかし一方では、米英の動物愛護協会が動物虐待だというので、“外交ルートを通して抗議を送る”と大変な反応だ。ソ連が犬を利用して高空の生理現象を研究し始めたのは六年前の一九五一年からである。(それまではサルやモルモットを使っていた)ソ連航空学研究所ア・ペ・ボクロフスキー博士がその中心人物。

最近ではことし十月十六日に三匹の犬を二百十`の高空に打ち上げパラシュートで下ろした。ソ連にはこれら宇宙旅行用に訓練された二十四以上の犬がいるといわれる。これらの犬は大部分スピッツ系のライカ種のようである。このライカ種はソ連のスカンジナビア半島の北部の森林地帯に産する小柄なりょうけんで頭は細長く、三角耳で尾は立っている。ところで興味を惹くのは宇宙旅行用に選ばれたのがみなメス犬ということだ。これは「目方が軽くて孤独に耐えうる」という女性本来の性格(?)を買われたもので、最初の月世界到着者は女性だというソ連学者の意見ともあっている。

さてこんどのスプートニクに乗る光栄に浴したのは二十数匹のうちどれだろう。ソ連のブラゴヌラホフ博士は犬の名を“クドリャフカ”(ちぢれ毛の女)といっている。フランス共産党機関紙は“ダムカ”(小さな貴婦人)イタリア共産党機関紙は“リンダ”(女の名前)とマチマチだ。あるいは二、三個の犬乗りロケットを同時に打ち上げ、その一つが成功したので、こんなに名前が食い違うのだろうというような見方もある。いずれにせよ彼女は正真正銘の初代「ミス・ユニバース(宇宙)」となったわけだ。

日本時間四日午後二時現在でスプートニクは七回地球を回った。“犬の一般的状態は満足すべきもの”(モスクワ放送)だという。一定の時間を置いて衛星内のベルが鳴り、そのたびに人工食糧をパクつきながら下界見物としゃれてるのかもしれない。(ベルと食物の関係は有名なソ連の生物学者パブロフの条件反射を利用したお手のものである)最後にこのミス・ユニバースは地上へ帰れるだろうか。タス通信は何も触れていないが、帰ってくるという説もかなり出始めている。犬の生理状態は刻々記録され、地上へ送られているから、もし不幸にして生きて帰れなくても“犬死”にはならないわけだが、生きて貴重な体験を持ち帰ってくれればこれに越したことはない。しかしどんな方法で人工衛星ないし犬を地上に誘導するかはむずかしい問題であり詳しい事情を知らない者としては彼女の健康と無事を祈るほかにないであろう。(共同)


(以下略)


※●=判読不能

                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月4日(月)夕刊 一面】


この一面はスプートニク2号打ち上げに対する反響を、三者三様、一度に眺めることができて面白い。それは政治的視点、科学者の視点、そして庶民の視点だ。

冒頭では「忘れられたジューコフ追放」として、前日に発表されたジューコフ元帥追放のショックが完全に吹き消されてしまったことが伝えられている。ジューコフとは第二次世界大戦におけるソ連の英雄であり、この時国防大臣。この追放が前日に報じられ、国民は沈み込んでいたのだった(補足1参照)。この記事は共同通信の支局長によるものだが、彼らの普段の“習性”というか(?)、政治的視点での街の反響が的確に捉えられている。

一方、(上で引用は略したが)「ソ連、新燃料を使用か」という見出しに目が引かれる。これによると、米スミソニアン天文台長はインタビューに対し、「この巨大な人工衛星打ち上げ成功の裏には、何らかの新型燃料の発見があるのではないか」という推測を述べたという。科学者の視点では、犬もさることながら、そのロケットの性能が気になるというところだろう。

そしてもうひとつ、庶民の視点だ。これは言うまでもなく、犬の素顔とその運命にある。その反響は「宇宙旅行中のワンワン嬢」で見事に描写されているので特に言うまでもないが、まず注目するとすれば、犬の名に複数の説があったこと、そしてその中に「クドリャフカ」の名も登場していることである。そして「スプートニク」、その名もここで初めて登場する。「スプートニク」はロシア語で単に「衛星」を意味するだけの単語であり、固有名詞ではなかった。スプートニク1号の打ち上げを伝える我が国の新聞報道でも、「スプートニク」という言葉は表れず、「人工衛星第1号」と記されたのみだった(「スプートニクの思い出」参照)。勿論、英語では「Sputnik」として用いられているが、日本の新聞で「スプートニク」という単語が出現したのはこれが初めてであろう。

ところで「ライカ」という言葉は、ソ連の公式発表の中で“犬種”として用いられているもので、その概要も手短に説明されている。しかしこの後、「ライカ」がこの犬の名称として用いられるようになってしまうのは、よく知られているとおりである。

犬の正確な名称を巡っては、この後もソ連は公式発表を行っていない。結局マスコミの都合としてどれかに統一する上で、自然に「ライカ」へと収束したのだろうと筆者は思うのだが…。

犬の運命であるが、ソ連生まれのフランスの科学者アレキサンダー・アナノフ氏の「ソ連は帰還させる技術を既に習得しているのではないか」という推測を披露している。犬の打ち上げは成功した。しかし帰ってこれるのか…この後、世間はこの1点で盛り上がっていく…翌日にはそれが更にエスカレートする。



  犬は地球に帰ってくる 別の容器で発射 衛星は回りつづける

(モスクワ四日発ロイター、共同)モスクワ・プラネタリウム所長パジエキン博士と同所講師ペトロスキー教授は四日、ロイター記者に対し「人工衛星第二号に乗っている犬は適当な高度で衛星から発射される予定で地上に生還する充分な可能性をもっている」と語り、さらに「犬の食糧は数日分を積んである」ことを明らかにした。

        


  ボタン操作で脱出

◇談話要旨 一、第二号衛星に乗っている犬リモンチェック(小さなレモン)嬢が宇宙旅行に伴う各種の条件に対して示す反応は測定器が捉え、テレビ管によって記録され、この情報は無線で地上の観測者に伝えられる。犬の心臓の鼓動、呼吸、脈拍、血圧、体温なども記録されており、この情報に基づいてモスクワにいる科学者はボタンを押して犬を衛星から発射する時期を決めることができる。この発射は恐らく地上二百ないし五百マイル(三百二十`ないし八百`)の上空で行われよう。衛星そのものは犬を入れた容器の発射で影響を受けず、その後も長くその軌道を回り続けるだろう。

一、十月四日に打ちあげられた第一号人工衛星は二つの目的、すなわち超高度での空気密度を正確に測定することおよび大気圏外の流星群についての知識を得ることであった。三日に打ちあげられた第二号人工衛星は生物についての宇宙線の影響についての知識を得ることと、スペクトルの研究を目的としたものである。第二号衛星はスペクトルを幾つかの色に分光する屈折レンズを装備している。これによりソ連科学者は空気によって影響されていない太陽光線を直接研究できることになる。人工衛星から連続的及び断続的に発信されている二つの発信電波の他にわれわれは断続音の間にある雑音の量からもある種の知識を得ている。たとえば衛星の内部の温度が高まれば雑音は低くなるようになっている。

一、犬は管を通じて栄養物をせっしゅする。この管は口にとりつけられるが、胸部に挿入され、この管を通じてカロリーの高い流動物が体内に送り込まれる。

一、犬のいる気密室には数個のフラスコがおかれているが、犬はしばらくの間、すなわち数日間以上は充分食べることのできる食糧を与えられている。またロケット内のテレビ管はこの犬の動静を記録し、これを送信している。

一、今まで行われた実験では犬たちは二百`の高さでロケットからカタパルトで打ち出され、生還している。しかし犬は二百`よりも遙かに高い場所で発射されるかも知れない。もっともわれわれとしては、他の諸条件が合致すればロケットが軌道のもっとも地表に近い点にきた瞬間に犬を発射するよう努力する。

一、犬は地上に帰ってきた時恐らく生きているだろう。われわれは犬を生還させたいと望んでいる。

一、犬を入れた容器にはマイクロフォンは入っていないから、犬の声を聞くことはできない。

(以下略)

  犬の声をキャッチ 米国の放送局

(ボーカデロー=米アイダホ州=四日発AP、共同)米アイダホ州南部にあるKBL I 放送局のトンプソン局長は四日、ソ連の第二号人工衛星の発信電波から犬が吠える声を捉えたと次のように語った。

本当にされないかも知れないが、放送局のテープ・レコーダーは三日犬のなき声を記録した。最初一回ほえたあと、しばらくしてから四度続けてほえるのが聞かれた。録音された犬の声はかすかであったが、キャンキャンという声ではなく、成長した犬の太いほえる声のようだった。人工衛星の発信音をキャッチしてテープ・レコーダーに記録したのは三日の午前九時五分(日本時間同日午後十一時五分)で、これを夕方再生したところそれまで気づかなかった犬のほえる声を発見した。

   反応状態を発信

(ロンドン三日発AP,共同)ソ連科学アカデミーのブラゴヌラホフ教授は三日モスクワ放送を通じ第二号人工衛星について次のように説明した。

人工衛星に乗せた実験用の犬“リモンチェック”は無事である。第二号人工衛星の観測者は衛星の「シュッ」という音に注意された。この音は科学者に意味のあるすべての事実を説明し、このような高空に打ちあげられた最初の生物がどのような感覚を受けているかを明らかにする多くの信号を示している。


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月5日(火)朝刊 一面】


モスクワのプラネタリウム所長の発言は、これがソ連政府に言わされたものなのかどうかがわからないが、現実とかなりかけ離れている。衛星に帰還装置はなかったし、テレビ管も備えられていなかった。餌のやり方も、チューブを喉の中に入れたやり方ではなかったし、気密カプセルの中にフラスコなど置かれていなかった。

またここでは引用していないが、「つぎはサルを打ち上げ」という記事は、プラウダ紙が「次の衛星には猿人類が乗せられるだろう」と報じたことを伝えている。プラウダの発表はウソだったわけだが、勢いを誇張するに一役かっている。

犬の声に関しては、マイクは搭載されていなかったため、受信そのものがあり得なかった。記事中のトンプソン局長はその期待の一心で、つい“幻聴”を聞いてしまったのだろう。仮にマイクが搭載されていたとしても、彼が受信したという時間帯には犬は死んでいたのであったが…。

それにしてもトップの見出し「犬は地球に帰ってくる」が、シンプルだが魅力的だ。犬のイラスト共々、庶民、特に犬好きの不安を払拭するかのような希望の光を放っている。

ところでこれまでも出てきたブラゴヌラホフは、1951年にソ連が始めた犬弾道飛行実験を監督する国家委員会の委員長であり、対外向けの顔の一人だった(「スペース・ドッグ」も参照)。5日の記事によると、彼は犬の名を「リモンチェック」と発言している。しかしすぐに気づくのは、前日彼は「クドリャフカ」と発言していることだ。このような矛盾が、マスコミに正確な名称の特定を困難にさせた可能性はあるだろう。先述したが、結局マスコミは「ライカ」を犬の名として用いざるを得なかった、或いは、使うようになってしまった、と言える。

この“顔”ブラゴヌラホフは、電話インタビューに対し、大きな“失言”(?)をやらかしてしまう。それは英国でまず報じられ、我が国でも夕刊で報じられた。

  "犬はそのまま昇天" ソ連科学者が言明 英紙報道

        


筆者注:ブラゴヌラスラボフ=ブラゴヌラホフ


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月5日(火)夕刊 一面】


犬が死ぬことを明言したブラゴヌラホフ。しかしその詳細に関する問からは逃げた。惜しいのは、犬の名を聞き出す直前で回線が切られたことである。「教授は外出中」という見え透いたウソと共に…。

この後、ロシア革命記念日11月7日を目前に控え、「7日に犬が帰ってくるのではないか」「月ロケットを打ちあげるのではないか」といった憶測が高まっていく。何せ、犬の生死に関する“公式の発表”は何もないからだ。6日夕刊にはそれが端的に紹介されているので引用してみよう。

  赤いビックリ箱 「宇宙犬」のゴ帰還か 月へゆくロケットか

相つぐ人工衛星打ち上げの成功は世界の目をモスクワに集め、世界の耳をモスクワ放送にクギ付けにした。七日の革命四十周年記念日には、一体何を打ちあげるのか。月へのロケットか、人間を乗せたロケットか、それとも“犬宇宙船”か予測は世界各地に乱れ飛んでいる。以下その一つ一つを検討するとともに、いま地球を駆け回っているメス犬が無事生還するかどうかというロケット回収の問題にもスポットをあててみた。

              


七日に月へのロケットを打ちあげるというウワサは真実となろうか。月へのロケットはいつ可能か、七日の記念日はもちろん今すぐでも可能であるということはソ連をはじめ、日、英、米などの専門家も口をそろえて太鼓判をおしているところだ。しかしこれを実際に打ちあげることについては異論もないわけでなく、例えば、東工大の岡本哲史教授は、その前に一d・ロケットを打ちあげたり、同種のもので、地球−月間の宇宙空間状況を調べたりなどせねばならないから当分はおあずけだと断言する。しかし中にはアメリカの学者のように、七日に発表できるように、すでに月へのロケットは打ちあげられているといっている人もいることだから、どちらになるか七日にならねば分からないのが真相だ。

月へのロケットとして考えられるものは、四段ロケットで、現在のものよりは一段だけ多く、電池もずっと強力なものが必要で、その他飛行誘導装置や観測装置、テレビ・カメラなどいま以上の計器類を詰め込む必要と回収を期するためどうしても最終段階が一d以上のロケットとなる。二ないし三dロケットまでは水爆をつけたICBM(大陸間弾道弾)として、ソ連ですでに実験済みと伝えられているから、ロケットの燃料、推力といった飛ばす点からは、問題は何もない。問題はロケットが巧く月を一回りする、すなわちまた地球まで戻って初速をどれだけにするか、従って軌道をどのようにするか、地球・月・太陽の引力など天文学的影響にどう対処するかなどの諸点にある。

月は地球から約三十八万四千`離れているが、アメリカのガモフ博士らの計算資料によると、月を回る軌道にこのロケットをのせるためには、ロケットに時速三万八千二百四十`以上(現在は時速二万八千八百`)の初速を与えねばならない。この速度は容易に出せるが、この速度だとロケットの軌道は近地点には変わりなく、月を回ってくる長円軌道とすることができる。この速度はまた地球の重力からの脱出速度(時速約四万八〇〇`)よりも小さいから必ず地球へ戻ってくる。次は月の引力の問題だ。

例えば月からの距離が約三千二百`になるとロケットは、月の引力のため加速され、地球からの脱出速度を得て、二度と地球へは戻ってこない。また太陽もロケットの軌道をかなり変える力を持っている。月へのロケットはこれらの“妨害”力を巧い具合に切り抜けまた利用して、ほぼ地球と月とを長円の焦点とするような軌道を描いて、地球に立ち戻ってくることが必要だ。この間の所要時間は、大体二週間から十日であるが、こうして戻ってきた“月よりの使者”ロケットは、地上のわれわれに人類のだれ一人として見たことのない月の裏側の姿や月の磁場はじめいろんな月物理学上の貴重な知識をもたらしてくれる。

   百メートルに近いか 人間ののるロケット

さてこの月へのロケットは、テレビ・カメラなど計器は備えているが、人はまだ乗っていない。しかしソ連・西欧双方の報道が指摘するように、人間が乗るロケットの実現も、もう日増しに上がっており、七日の記念日にその発射が発表される可能性もなくはない。現にソ連の一関係学者は、こんどの衛星には人間の志願者もあったが、危険をさけて犬にしたと述べているくらいである。人間をのせたロケットも重さの点では人間と犬と格段の違いはないから、人工衛星第二号とほぼ同じ重さか大きくなっても一dくらいですむ。問題は人間が寝姿勢をとらねばならないために、弾道ロケットの直径を、犬の場合の倍以上、すなわち二・五ないし三メートルまで大きくする必要があることである。

寝姿勢にするのは、それ以外の直立などの姿勢では、加速度が重力の三倍とか三十倍とかになると、脳出血や脳貧血を起こして死亡するからである。水平の寝姿勢だと重力の百倍までの加速度にも平気である。(以下略)

   今度は犬宇宙船か

これは一番常識的だが、やはり一番可能性が大きい。しかしこの犬ロケット第二号の場合は、一dロケットともなり、犬も一匹ではなく数匹となるかも知れない。観測計器類は、現在の五百`余のロケットで十二分と考えられるから、増えた分は、犬を余計乗せられることになり、犬ロケットではなくて“犬宇宙船”となろう。

   七日の発表“ミス・宇宙”の無事生還か

現在向かっている衛星内のメス犬が生還するかどうかは、回収の第一歩であり、七日発表はこれだという公算は大きい。(以下略)


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月6日(水)夕刊 一面】


ワクワクするような雰囲気の中に冷静さを保ちつつ、様々な憶測が検証されている。月ロケット説検証の中で、軌道に関する憶測は注目に値する。後にこれを地で行くような格好で実現するからだ…1959年10月のルナ3号である。

さて結局、7日にロケットが打ちあげられることはなかった。この日始まったソ連最高会議でフルシチョフは演説し、人工衛星が米国に先行しているということを誇り、遅れ気味の工業生産も15年以内に追い越すと宣言。革命40周年の節目にあたり、他の社会主義同盟国首脳も迎えた中で行われた演説は3時間10分に達したが、しかし、重大な発言はなかった。


11月10日、モスクワ放送はスプートニク2号からのデータ送信が停止したことを公表した。その中で、目的としていたデータ収集は完全に行われ、送信は予定通り停止したことを述べているが、犬の生死には一切触れなかった。

一方、イタリアの共産党機関紙「ルニタ」が、「ライカは死んだ」という見出し記事で、モスクワ放送の報道を伝えている。しかも安楽死のために毒殺されたと報じているのだが、その情報源ははっきりしていない。この辺は、ルニタ紙の憶測記事である可能性が高い(この件については「伝説の犬・ライカ」も参照)。

  衛星二号の任務終わる 完全に資料を入手 送信は予定通りとまる

        


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月11日(月)夕刊 一面】


これと合わせて紹介されている、一連のソ連衛星成功に対する米国人の世論分析が面白い。それは大きく、「自己批判型」、「負け惜しみ型」、「ほおかぶり型」の3つに分けられるという。自己批判型は「頑張ってできるだけ早くソ連に追いつこう」という見方、負け惜しみ型は「人工衛星は成功したけど、国全体は未開発国並ではないか」という見方、ほおかぶり型は「あえてスプートニクの話題に触れない態度」であるという。

このようなスプートニク関連の記事が、ほぼ毎日続いていく。13日にはタス通信がカプセルに入ったライカを撮影した有名な写真や衛星全体の写真を公開し、それが14日の朝刊に掲載されている。また、13日、プラウダ紙は二面と三面全体を使ってスプートニク2号の詳細を報じたが、それに触れた記事が14日の夕刊に記載されている。

プラウダ紙の報道は、先に上がったスプートニク1号の寿命が3ヶ月であるということを表明しているが、1号のミッション期間について触れられたのはこれが初めて。また、スプートニク1号の模型が12日、モスクワの産業展で展示されたことを写真付きで公開しているが、これが1号の世界初公開である。しかしこの展示会では、2号の模型は展示されなかった。

なお、「犬は生きたまま地上に帰ってきたが、軍事上の理由からそれが伏せられているのではないか」という見方は相変わらずくすぶり続けている。

タス電やモスクワ放送といったソ連政府の声明の形でのライカの死は、結局伝えられなかった。代わりに後日、ソ連科学アカデミーの会見の席上、それは明言された。

  "宇宙犬"の死を発表 「救う工夫なかった」 つらそうにソ連科学者

(モスクワ十五日飼手共同特派員)世界の注目を集めている人工衛星問題について権威のある回答を与えるソ連科学アカデミー会員との記者会見が十五日午後二時半(日本時間午後八時半)からモスクワの文化連絡委員会の会見室で行われた。いつも欠席がちの記者団もこの日ばかりは総動員で約百五十人の内外記者がつめかけ、アカデミー側の地球観測年委員長バルジン博士ら七氏による観測年進行状況の説明に続いて約一時間にわたり質疑応答を行った。

             


まず犬の死については「宇宙犬ライカは衛星内で安楽に死にました。正確な死亡時刻はわかりません」とボクロフスキー教授がいかにもつらそうに語る。「犬を助け出す設備は衛星内になかったのか」の質問に対しては教授はすまなさそうな顔付きで「犬を助け出す設備はあまり重量と容積がかかるので放棄された。また今日の科学では秒速八`の衛星から簡単に犬をはじき出すような機械を作り出すには至っていない」と答え「犬は人類の親友であり、その生命を捧げて科学の進展に寄与してきた」というモスクワの●犬碑の文句を静かに口にした。この会見ではっきりした人工衛星の問題は次のようであった。

一、宇宙犬ライカは衛星内で死んだ。その死に方は安楽死であった。死亡の時間はまだ正確にはわからない。衛星から届いている電波を解読すればわかるから間もなく判明するだろう。

一、犬を助け出す設備はなかった。科学がそこまで進んでいなかったのだ。救出設備の重さが衛星の本来の使命の妨害になることを恐れて計画は破棄された。

一、第三の衛星には人間が乗るかどうかについては犬一匹だけの実験を土台に人間を飛ばすわけにはいかない。今後も動物実験を続けてこれが成功してから人を乗せることになる。

一、宇宙の神秘を解くためにはさらに数個の衛星が必要だと考えて用意を進めている。

一、月へのロケット旅行には秒速11・2`が必要なので、いまその研究を行っている。月と地球を結ぶ軌道も考えている。

一通りの応答が続いたところでこんどは恐ろしく現実的な質問が飛び出した。米国の記者である。「もしどこかの国が衛星発射でソ連の援助を求めたらソ連はこれを助けるか」。一瞬苦笑のうちにバルジン委員長は「科学上の援助はもとより惜しみません。もし希望の国があったら申し出てください」と答えた。それから話はまた現実問題に返り、

一、一号と二号の燃料は全然同じものであった。発射の場所がどこであったかは科学上の興味はない。モスクワであってもワシントンであっても同じことだ。

一、ソ連では人工衛星を指導しているのは科学アカデミーだ。それ以外の例えば軍部が関係しているかどうかについては答えない。

一、第三の衛星がいつ上がるか、それにはどんな動物が乗るか、この点は第三号衛星そのものの計画が未定だからなんとも言えない。

などが明らかにされた。最後に電離層のパクーニン教授が一号衛星を通じての研究にさいして世界のハムたちから貴重な援助を得たが、各国特派員を通じて御礼を申したいと約十人の名前をあげたが、その中には日本人アマチュア無線家ナカニシエキヒロの名前が見られた。


※●=判読不能。「鎮」か「魂」か?

                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月16日(土)夕刊 一面】


犬の名についてソ連側も「宇宙犬ライカ」と言っていることから、ライカをそのまま犬の名にしようとしたことがわかる。西側が「ライカ」でほぼ定着したこの数日間で、ソ連側もそれに合わせたか?あるいはもはや、どうでもよくなったか?また、犬がどの時点で死んだのかわからないと正直に答えている一方、安楽死というのはウソではないか…先日のイタリア紙の、出所不明の報道を逆にそのまま利用したのではないかと筆者は考える。

また、一号と二号は同じ燃料を用いているということも明言しているところは、ロケットへの関心の高さに対する返答と言える。ちなみにICBMと衛星打ち上げロケットが同じものであるということの公式発表はなかったが、10月19日の時点でソ連の科学者が同じものであるとインタビューに答えている。

上の記事を書いた記者は、「犬の死亡の時間は、間もなく判明するだろう」と楽観的である。しかしその“間もなく”が、45年間も続くことになるとは…。(詳細は「伝説の犬・ライカ」を参照)


ソ連が打ちあげた2つの衛星が残したものは、何だったのであろうか。それが一言で「これだ」と言い切ることのできないものであるのは間違いないが、目で見てわかりやすいものがひとつあった。

それは、宇宙への関心を広く掘り起こしたということである。1号が打ちあげられた10月以降、折からの地球観測年の事もあり、庶民の宇宙への関心は盛り上がり、2号の打ち上げでそれは最高潮を迎える。人々は本屋へ殺到し天文関連の書物を求め、デパートでは決して安くはない天体望遠鏡が売れに売れまくり、プラネタリウムは大盛況、あげくに火星の土地を購入するといった人たちも続出するほどであった。以下、それらを報じる記事の一部を眺めてみよう。


              

        


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月8日(金)朝刊 7面】
                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月17日(日)朝刊 3面】


そう、それは「夢」であった。そもそも衛星に限らず、科学立国・ニッポンの胎動を伝える話題はしょっちゅう報じられていたのである。この年だけで言っても、大きなものは例えば南極観測船の出航、我が国発の原子炉(実験用)の稼働など…目の前は貧しくとも、輝く未来を手元に寄せるエンジニアや科学者はヒーローであった。そしてその究極が、衛星であったということが言えるだろう。

我が国のロケット開発を強力に推進した糸川教授も頻繁にインタビューに答え、夢を、そして克服すべき現実の困難を、熱く語っていたのである。

  "人工衛星"つぎのステップ 光波ロケットはまだ"夢" 糸川教授に構想を聞く

 


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)11月8日(金)朝刊 4面】



※補足1

ジューコフ(ゲオルギー・コンスタンチノビッチ・ジューコフ)は歴戦の軍人で、第二次世界大戦(ロシアでは“大祖国戦争”)ではベルリン陥落時のソ連軍司令官として知られている。簡単に言えば“ソ連のアイゼンハワー”であり、ソ連を勝利に導いた英雄として内外で高い評価と人気を博していた人物であった。

戦後、フルシチョフ派としてスターリン派の追い落としに一役買い、党の要職も歴任したが、ますます高まるその人望と権力はフルシチョフの目の上のこぶとなった。フルシチョフの常備軍削減案に反対だったことも対立を深める結果になったとされる。

ジューコフは10月、ユーゴスラビア・アルバニア両国の訪問に出かけ、同26日に帰国したが、その当日、彼の解任が発表された。この頃ジューコフとフルシチョフの関係が冷えていることは西側でも既知だったが、これは全くの抜き打ちで、西側にはその真相が全然つかめなかった。ソ連市民も相当のショックに打ち拉がれたという。

当初、西側の報道は、これは首相昇格への準備ではないかと観測したが、その後の動静が全くつかめないこと、そもそもユーゴ・アルバニアからの帰国の際、空港に要人が誰も出迎えに出ていなかったことなどから、追放されたものとの見方が強まっていた。

結局その真相がはっきりしたのはスプートニク2号打ち上げ前日の11月3日であり、国防相解任のみならず、政治の中枢であったソ連共産党中央委からの完全追放が正式に発表された。理由は「党の権威を踏みにじった」ということであった。これまた大きく報じられたが、それをスプートニク2号が完全に消し去ったというわけである。

  ジューコフ国防相解任 後任マリノフスキー元帥 

        


                       【熊本日日新聞 昭和32年(1957年)10月27日(日)夕刊 一面】


失脚したことを踏まえれば、アイゼンハワーというよりマッカーサーのほうが妥当だろうか。しかし1964年10月、フルシチョフの失脚に伴い、ジューコフの名誉は回復されている。

【Reference】どの資料も詳しくわかりやすく、推薦です!

熊本日日新聞(詳細は各記事ごとに明記)