宇宙の誕生に迫る

初版: 06.18. 2006

宇宙開闢直後の“光”を探求し続けている研究者達は、2006年3月、「インフレーション宇宙モデル」を支持する証拠を見出したと発表した。このインフレーション宇宙モデルは、ビッグバン直後の僅か100兆分の1秒、いや、更に短い時間の間に空間サイズが100兆倍を超える拡大をしたというもの。

今回の発見は、NASAの「ウィルキンソン・マイクロウェーブ・アンアイソトロピー検出衛星」(WMAP)によって、過去3年間にわたって観測されてきた宇宙マイクロ波背景放射(CMB)のデータから見出された。CMBとは、簡単に言えば、宇宙が誕生したビッグバンの残光と考えられているものである。

この放射を初めて詳しく分析したのはCOBE衛星で、89〜96年にかけてのことであった。この結果、放射の強度に非等方性(いわゆる“ゆらぎ”)が確認され、それを更に詳しく調査するために作られた衛星がWMAPであり、2001年に打ち上げられたのであった。

インフレーションモデルは今から25年前、佐藤勝彦(東大)とアラン・グース(プリンストン大・当時)により独立して提唱されたもので、ホーキング(ケンブリッジ大)らが描く宇宙論の啓蒙書でも盛んに取り上げられているので、その名はよく知られている。下の図はそれを模式的に表したもので、横軸が時間軸を示し、左から右に進むにつれ現代に近づく。

インフレーションモデルの拠り所は、数学的には、アインシュタイン方程式に取り入れられた宇宙項(ラムダ・Λ)の解釈にある。この宇宙項が真空エネルギーを示し、高温から低温に移行する際に開放される潜熱が急激な膨張(=インフレーション)を引き起こすという考えであり、インフレーションの存在を仮定しないそれまでの「単純ビッグバンモデル」では説明が困難な問題点を一気に解消するものとして、一躍支持を集めたものであった。

         

左端の輝点が量子論的揺らぎの状態(Quantum Fluctuations)から宇宙が開闢した点。その直後「インフレーション」(Inflation)が生じ一気に拡大、約40万年経過後の宇宙から放射された光を、残光、すなわち「背景放射」として我々は見ていると考えている(Afterglow Light Pattern)。

続いて、その後「暗い時代」(Dark Ages)と呼ばれる期間を通過し、開闢4億年後に、宇宙で最初の恒星達(1st Stars = 「第一世代」の恒星)が形成されたとされる。また、時空の拡大は「ダーク・エネルギー」によって推し進められていると考えられている。

ビッグバン以降、宇宙は137億年間、膨張を続けてきた。我々はWMAP衛星(上図・右端のイラスト)で、開闢から40万年が経過した時点での宇宙を覗いているのだ。

WMAPで得られたデータは、インフレーションモデルを、競合する他のモデルから一歩抜きん出させるものであるといい、宇宙論のマイルストーンといえる。「WMAPでより長期の観測を続けることで、我々の宇宙がミクロな量子的揺らぎの状態から、いかように巨視的に拡大したのかをより詳しく知ることができるでしょう」と語るのは、WMAPミッション主席研究員のチャールズ・ベネット氏。

これまでWMAPは、“残光”の温度の変化に焦点を当ててきた。これは宇宙の正確な年齢を知る上で重要なデータを与えるものである。一方、新たな観測では、それまでのものよりも正確な温度分布を与えるのみならず、初めて、偏光に関するフルスカイマップを作成するのである。

この偏光という成分は、光がどのような物質と作用して到達したかを知るヒントを与える。別の言い方をすると、どのような環境を透過してきたかを知る手がかりとなる。


光は「横波」と呼ばれる性質を持つ電磁波。横波とは、進行方向と垂直に振動する波動のことで、右・一番上のイラストのように、縦や横(描かれてはないが、斜めも含む)など様々な方向へ振動するものがある。通常、電球から太陽に至る、いわゆる「光源」(light sourse)は様々な方向へ振動する光を発している。

ところが、偏光板と呼ばれるフィルターの一種を用いると、特定の方向へ振動する波動だけを抽出することができ、こうして抽出された光を「偏光」という。偏光板をいわば“すだれ”のようなものと理解すると、一番上の図がわかりやすい。図では上下方向にのみ振動する光が通過し、水平方向へ振動する光はシャットアウトされている。

一般に、光は物質に当たって反射すると、振動方向が特定の向きへそろう、すなわち偏光する性質がある。釣りで用いる偏光サングラスはその応用で、水面に反射した光(=偏光)を遮り、水中からやってきた光のみを通過させる。つまり、まぶしさをシャットし、水面下の魚などの様子を見るというわけだ。(右図・中央))

この偏光という性質をうまく利用して、宇宙開闢の時の光のみを抽出しようというのがWMAPだ。右図・一番下は、ビッグバンで放射された光が電子で跳ね返され偏光した光(下記「Eモード」)を抽出し、検出する様を模式的に示したものである。

研究チームは、2種類の偏光を追い求めている。それらはやや専門的に例えるなら、電磁波の「電場」(E)成分と「磁場」(B)成分に対応していると言える。

1つは「Eモード」と呼ばれるもので、再電離(reionization)を起こした時期があったことを示唆するもので、電離水素による散乱(トムソン散乱)で生じたもの。インフレーション後、プラズマ水素は電子捕獲で中性になったが、現在の宇宙はプラズマが大部分を占める。これは再電離(再プラズマ化)があったことを強く示唆しており、それは第一世代の恒星から放射された電磁波によるのではないかと考えられている。

一方、もう1つは「Bモード」と呼ばれるもので、インフレーションの直接証拠となるもの。ただこれはプラズマ物理以外の成因(重力の寄与)が関わり、またEモードにくらべ非常に値が小さい(詳細はPhys.Rept. 429 (2006)参照・下リンク)。

WMAPはEモードの検出に成功したが、Bモードは未だ得られていない。だが、温度分布とEモードマップを組み合わせることで、インフレーションに関するいくつかの情報を引き出すことが可能という。

それらは例えば、インフレーションが生じた際のエネルギーの上限値や、インフレーションモデルが予言する時空のゆらぎの強さというようなものを支持するデータだ。(エネルギーの上限値が求まるというのは画期的。力の統一理論に対する大きな制約ともなる。)


右は、WMAPの観測から明らかにされた、宇宙を構成する物質の割合を示したもの。我々が普段目にしている物質は、実は全体の4%に過ぎず、残りの96%は正体が未だはっきりしない、いわゆる「ダーク・マター」、「ダーク・エネルギー」と呼ばれるもの。これまで観測では捉えることのできなかった褐色矮星などといった小天体や、いまだ検出されていない星間ガス雲などから、素粒子論的“超粒子”にいたるまで、様々なものがダークマターの候補に挙げられている。

一方、宇宙膨張の観測値と理論値のズレより、膨張を加速するエネルギーの存在が考えられるようになり、それが「ダーク・エネルギー」と呼ばれているもの。ダーク・エネルギーは“反重力”(=宇宙膨張の動力)を生み出す性質があると考えられているが、現段階では推測の域を出ず、その素性は謎。90年代、ダーク・マターを持ってしても宇宙全体の25%程度の物質量しか説明できないことが明らかになったため、ダーク・エネルギーが残りを補うものという考えが支持を集めている。

この数値は、「Λ−CDMモデル」と呼ばれるインフレーション宇宙モデルの妥当性を支持している。

ちなみに、欧州宇宙機構(ESA)は2008年、CMBを観測する衛星「プランク」を打ち上げる予定であり、また、NASAで提案されている「Beyond Einstein inflation probe」ミッションは、Bモード偏光の検出を目指すものとなっている。


いわゆる「宇宙論」と呼ばれるものはいくつもあり、その時々に於いて“流行”というものが存在する。荒っぽい言い方をすれば、観測での実証が困難であるが故、数学的枠組みの中で様々な推測や物言いができるわけだ。だが、高精度の観測衛星の登場で、各宇宙論は今後「観測事実との比較」という洗礼を受ける時代に入りつつある。ダークマターの正体は何か?宇宙は膨張を続けるのか?終わりはあるのか?恒星や銀河の形成はいつ始まったのか?そして、最も妥当な宇宙論はどれなのか…啓蒙書を賑わせるトピックスに解答が与えられる日も、そう遠くはないのかもしれない。

いや、逆に、更なる困難を与える結果をもたらすのかも知れない…。

【Reference】

Ringside Seat to the Universe's First Split Second”, NASA press release at 03.16.2006
                          http://www.nasa.gov/vision/universe/starsgalaxies/wmap_pol.html
“New Three Year Results on the Oldest Light in the Universe”, NASA http://map.gsfc.nasa.gov/m_mm.html
“Weak Gravitational Lensing of the CMB”, Phys.Rept. 429 (2006) 1-65 http://arxiv.org/abs/astro-ph/0601594

宇宙の進化に関しては、わかりやすく詳しい解説がISASのページにもあります。こちら