空飛ぶ男子トイレ


かつて筆者の後輩が、ある面白いことを“発見”した。彼いわく、

「先輩、大が出にくいときはウォシュレットをマックスにしてケツの○からガーーーーッ!と注ぎ込むんッスよ。これが何とも言えない感覚なんですが、次の瞬間、バーーーーーーッと一気なんッスよ!いやマジで!」

聞いた瞬間、久しぶりの大爆笑をしたのだったが、今思えば、彼こそソユーズの乗組員にふさわしい。ロシアのソユーズ宇宙船に乗り込む前には、浣腸して空っぽにしておく必要があるからだ。

ソユーズ宇宙船は打ち上げ後、国際宇宙ステーションに2日ほどで到着する。それまでの間、大便に関してはそもそももよおさないよう、腸を空っぽにしておくのである。しかもその浣腸が、イチジクナントカのようなちゃちなものではない。太いパイプを突っ込まれて、生理食塩水を1リットルほど強制注入されたあげく、便所に駆け込むという“荒行”なのだ。(笑)

ここでは、宇宙飛行における用足しのエピソードをいくつか拾ってみることにしよう。


アメリカ人で最初に宇宙を飛んだアラン・シェパードのアクシデントは有名だ。ソ連のガガーリンに遅れること1ヵ月、1961年5月5日、シェパードはマーキュリー宇宙船「フレンドシップ7」の中に着座して、いまや遅しと、宇宙への一番乗り(…米国人にとっては)を待っていた。打ち上げロケットはレッドストーン。宇宙へ飛び出すといってもロケットでうんと高く飛び上がり、15分かそこらの“弾道飛行”を体験した後、フロリダ沖に帰ってくるというものだった。

この時、地上でシェパードとの交信を担当していたのはゴードン・クーパー。彼もまた、後に宇宙を飛ぶことになる。

この日の打ち上げは当初からトラブル続きだった。はじめは天候で、次はレッドストーンに生じたトラブルだった。カウントダウンはその度に止められ、エンジニアらが忙しい。その間、シェパードはじっと待っているしかない。マーキュリーのキャビンは極めて狭く、着座すると座りっぱなしである。

彼が宇宙船に乗り込んだのは午前5時20分だったが、7時14分の段階で天候による見合わせが決定した。ところがその間にレッドストーンにトラブルが生じ、機器を丸ごと交換することになった。クーパーはシェパードに1時間半ほど待てと伝えたが、この時、突然、シェパードにも緊急事態が発生した。彼はクーパーを呼び出した。

シェパ 「ゴード?」(ゴードン)
ゴード 「あぁ、どうしたアラン?」
シェパ 「なぁ、小便がしたくなった」
ゴード 「え、なんだって?」
シェパ 「いやいや、しょうべんがしたいんだ。もう我慢ならねぇんだ!ゴード、このままやっちゃってもいいか聞
      いてくれないか?」

クーパーはこれを責任者のフォン・ブラウンに計った。追い詰められたシェパードが待つこと3,4分、出された決定は、「やってよし」。その体にはセンサーやらホースやらがゴテゴテとくっつき、彼はいまや、宇宙船の一部と化している(右 【photo: NASA】)。その彼を出すとなると、打ち上げが更に遅れること、必至。もたもたしていると、この日の打ち上げはできなくなってしまう。

つまり、中でやらせるしかない。

「よかったぜ…いやまて、やっぱりトイレへ行きたい!」

シェパードは、自分の体に電極ワイヤーがついていることを思い出した。これは生体反応を取るためのものだったが、これがもし濡れたらショートしてしまう可能性がある。とっさに、

「スイッチを切ってくれないか」

この要求にしばし協議が続き、スイッチが切られた。

「よし、アラン、切ったぞ。やっていいぞ!」

クーパーのこの声に、イライラは一気に爽快感へとかわった。液体は宇宙服の下地に吸い込まれたが、服の中を通る酸素で急速に乾き、充分乾燥したころ再びスイッチが入れられたのであった…。

午前9時34分、シェパードを乗せたレッドストーンロケットは轟音と共に青空の彼方へ消え去った。

なお、続く2番目に宇宙を飛行したガス・グリソムの場合、そばにいた看護士が機転を利かせてパンツを差し出したという。恐らく液体が足などを伝わる不快感を避けるためであろう。ただ、彼女の差し出したパンツは女性用であったそうである。彼は、女性用のパンツをはいて飛んだ最初で最後の男性飛行士となった。


マーキュリーよりも大型化し、2人乗りとなった宇宙船「ジェミニ」。ところが1人あたりの空間占有率は、逆にマーキュリーよりも狭かったという。この極めて限られた空間の中に、ほぼ座ったままの状態で数日から1週間、最長10日を超える宇宙飛行を行わねばならなかった。(下は宮崎科学技術館に展示されているジェミニ宇宙船のモックアップ。【photo by 有明】)

      

当然だが、このツーシーターにトイレはない。小の方は掃除機で吸い取るような仕組みになっていたが、大の方は、尻に防腐剤入りの特製袋をあてがい、その中にする他なかったのである。しかも使用後は“手で”よく揉んで防腐剤と混ぜ合わせ、さらに“宇宙食の入っている箱の中に”収納しておかねばならなかったのだ。

当時の宇宙飛行は今と異なり、快適さは2の次、3の次。食事は、一人で食べるマーキュリーやボストークに比べれば、二人で食べる質は格段に違ったことだろうが(それでも“袋”と一緒の中から取り出すという不快感はあっただろうが)、逆に排泄は決してよい気分はしなかったことだろう。

なにせ、真横に野郎がいる中で、袋の中にひり出さねばならないのだ。(拭いた紙も、おもむろに袋へ入れる)

そういえば最近は、高速道路で渋滞にはまったときに備える簡易トイレが販売されている。小ならこれでもまだよいが、さて果たして、後部座席ならまだしも、助手席で、袋の中に大を出すことが普通の人にできるだろうか…想像すると笑わずにはいられないが、当時の宇宙飛行ではそれを平然とこなせなければならなかったのだ。そしてそれを成し遂げたのが、アストロノーツである。

1965年12月4日、ジェミニ7号が打ち上げられた。搭乗していたのはフランク・ボーマン、ジェームズ・ラベルの両飛行士で、2週間の宇宙飛行が予定されていた。これはアポロ計画において人間が月へ行き、活動し、帰ってくるまでに充分な時間であり、これを実体験することが主目的であった。これは、当時の最長宇宙滞在時間でもあった。

飛行は全て順調で、与えられた任務をこなす彼ら。ところが飛行開始から1週間ほどしたときに、トラブルは起きた…食料棚から異臭が漂ってきたのだ。

「?」

どちらがそれを最初に確認したのかは、知らない。ただ彼らがフタを開けた瞬間、それは飛び散った。“袋”が破裂していたのだ!

あとでわかったことだが、こねた際、防腐剤とよく混ざらなかったためガスが発生し、袋が耐えられなくなってパンクしていたのである。しかも無重力…どのくらいの量飛び散ったのかは知らないが、瞬く間に拡散してしまったのであった。

しかしだからといって、地上に帰ることはできない。膨大な資金を使い、仲間に助けられ、それに何より、ソ連とレースをやっている。たかがウ○コのトラブルで帰りたいと言えないし、管制部も許さないだろう…(?)。どんな環境でもミッションを完遂してこそ、アストロノーツなのだ。(この時の地上管制部とのやり取りは、オフレコになっているとかなんとか)

地上に帰還し、会見に臨んだ2人。席上、この件に関して記者が感想を聞くと、

「君は、トイレの中で一週間過ごしたことがあるか」

…ムッとした顔で、そう言い放ったそうである。

余談だが、当時の宇宙船は「空飛ぶ男子トイレ」と呼ばれていたそうである。例えばアポロ宇宙船など、月へ行って帰ってくるまでの約10日間、3人の野郎たちがフロにも入らず過ごしていたのである。大西洋に着水したカプセルのハッチを開けた回収員の中には、あまりの臭さに悶絶しかけた者もいたという。

ちなみにアポロでも、大は袋の中にするようになっていた。ただ、司令船以外に月着陸船という“別室”があるので、そこですることができたというだけでも幸いである。


アポロ計画が終わった後、実現化したのが、アポロのハードウェアを流用した宇宙ステーション計画だった。それは「スカイラブ」としてよく知られている。

スカイラブは、サターンXロケットの第3段の内部に居住ハードウェアを組み込んで出来上がったものである。もともと大きなロケットであるから、その内部も巨大で、かなりゆったりとした居住空間ができあがっていた。(左・スカイラブ全景。右・居住区画部分のカットアウェイ。2段構成になっていて、トイレは図の下段、就寝室の横にある。大きいサイズ



ところが、問題はトイレの設置場所だった。それは就寝室の横にあったのだが、公開されている図を見る限り、ドアがない。それはまぁ、まずは我慢したとしても、問題はその構造だ。

右の写真が、そうである。これを初めて見た人は、一瞬よくわからないかも知れないが、しっかりみると、ひとつのことに気づく。

そう、床に見える足止めはハッタリで、便器は壁に埋め込んであるのだ!

足止めは二組見えるが、トイレ用は奥の組である。これは小を足すとき、ここに足を引っかけて、足下の装置からホースを引き、それを自分の一物にあてがい、吸引してもらう。ところが大は、90度回転ジャンプし、ベルトで膝を固定し、黒い2つのハンドルを握って尻を便器にあてがうという、まるで鞍馬のような(?)、書いている筆者も実はよくわかっていない高度な“器械体操”を要求される。ちなみに便は専用のバッグに分離回収され、これは医学調査用に持ち帰ることになっていた。

もちろん、宇宙へ出れば無重力で、上も下もない。基本的にどんな格好もありなわけで、空間の有効活用としてこの形になったのだろうが、常識の感覚からすれば滑稽だ。しかも小を足すときは、胸の前に便器を拝む格好になる。それにどう見ても個室ではない…これはもはや図と全く違うではないか…。だがこれを使いこなしてこそ、アストロノーツというものだ。

「これを設計したヤツは、自分がクソをする姿がわかっていないのだ!」

これを見た飛行士の一人は、こう言い放ったそうである…。


ところで、ソ連のトイレはどうだったのだろう。ソ連は早い段階から排泄関連の開発には力を入れていたようで、60年代初期の頃には大は袋の中にするようになっていたものの、70年代の宇宙ステーション「サリュート」「アルマヅ」そして80年代の「ミール」では、きちんとした便器が備えられていた。しかもミールでは尿は回収し、電気分解の要領で酸素を発生させる装置まで完成させたのである。この技術は現在の国際宇宙ステーションにも活用されているが、しばしば故障を起こすのが“玉にキズ”だ。

1982年5月から12月まで、宇宙ステーション「サリュート7号」に第一次長期滞在クルーとして滞在した一人、ワレンティン・レベーデフは、滞在中に記した日記を“Diary of a Cosmonaut”というタイトルで出版している。彼は率直な日常を公開することで、宇宙飛行士といえども普通の人間なのだということを訴えたかったという。この貴重な記録を通して、水回りのことも見えてくる。サリュート7号にはシャワーがあったこと。それは月1で使用し至極の時間であったこと。シャワーが壊れて修理に難儀したこと。最新の大容量水タンクがあったことで、プログレスが運んできた水をチャージしたこと。それを汚水を混ぜたと思って、500リットルをパーにしたかとヒヤリとしたこと…などなど。

7月13日の日記によると、彼は就寝中にもよおして目が覚めた。眠い目を擦りながらシステムに向かうと、「トイレ、満タン!」のランプがついていたという。小は定期的にタンクを空にしなければならなかったのだが、それを忘れていたのだ。

仕方ない、空になるまで待つしかないが、それは1時間もかかるものだった。

「これがもし自分の家なら、庭に出てやっちゃうのだが」

…彼はそう書き残している。

また、6月25日には短期滞在クルーがソユーズT−6宇宙船でサリュート7号を訪問した。この短期滞在クルーは、フランス人ジャン・ルー・ジャックマリー飛行士を含む3名で、ソ連お得意のインターコスモスミッション。フランスと交流が深かったソ連は、ジャックマリーを西側の人間として初めてソユーズに乗せたのだった。

ステーション到着から3日後、ジャックマリーはレベーデフにひとつの質問をした。

「ワレンティン、君が最初に宇宙で大きい方をもよおしたのはいつだったのかな?」

レベーデフはやや驚いたように答えた。

「それってつまり、ここへ来てからまだ一度もだしていないの!?いますぐ出した方がいいよ!」

ジャンは食欲はあるが、便意は全くなかったという…どうやら便秘になってしまっていたのだ。

レベーデフたちはジャンに、生薬であるダイオウの根を勧めたりした。これは下剤として用いられるが、下剤が常備してあったことから、排便が如何に重視されていたかがわかるし、それに、便秘に陥る飛行士も多かったのだろう。ところがジャンには全く効かず、レベーデフ達はさじを投げてしまった。6日目のこと、レベーデフはジャンに言った。

「俺たちにはどうしていいかわからないよ。もう、(排便は)地上へ帰ってからでいいんじゃなかろうか。こんなのは君が初めてだよ。」

しかし、それから間もなく、ジャンに通じがきた!誰もがホッとし、みんなでお祝いしたのだという。

(右の写真は、ミールの居住モジュールの全景。これは90年代中期〜末に行われた「シャトル・ミール共同ミッション」にて撮影された一枚(1997年撮影)。食卓があり、その手前で飛行士が本を読んでいるが、この右横がトイレ。だがこの頃すでにこのトイレは使われず、別のモジュールのそれが利用されていた。理由は簡単、食卓のすぐ目の前であったからである。【photo: NASA】)


ボストークのエピソードについても触れておこう。実はボストークでも、シェパードのようなことがあったのだ。

1963年6月、宇宙飛行士ワレリー・ビコフスキーとワレンチナ・テレシコワは、ボストーク5号および6号の搭乗員として、最後の備えに余念がなかった。彼らは立て続けに打ち上げられ、同時に地球を周回しながら、アメリカをアッと言わせるのが目的であった。

予定では、ボストーク5号が同月6日に、それに続いて6号が打ち上げることになっていたが、トラブルに見舞われ、1週間も遅れることになった。そうして、どうにかこぎ着けたのが、14日の事だった。

この日、ビコフスキーは、そのバックアップ飛行士のボリス・ボリノフと共に、バスに乗り込んで射点へと向かった。これはそれまでの飛行士達とまったく同じプロセスで、両者ともオレンジの宇宙服に身を包み、射点に到着し、最後のチェックで異常がなければ、ビコフスキーだけがエレベーターで上り、カプセルに入るというものだった。ただし、打ち上げまで何があるかわからないから、バックアップのボリノフもバスの中で待機する。

ところが。彼がカプセルに入ったあともトラブルは続いた。まずはハッチを閉める段階で異常が見つかり、中に入ったビコフスキーは一度出ることになった。改修が終わり、再度カプセルに入り待機していると、今度はロケット上段のジャイロに不具合が見つかった。このときカウントダウンは残り30分を切っており、打ち上げを翌日に延期してはどうかという話があったというが、ユニットを交換してしまうことで対応することになった。

この前後がよくわからないのだが、カウントダウンを一旦止めて、交換作業が始まったものと思われる。ところがビコフスキーは何時間もカプセルの中に閉じこめられることになり、シェパード同様、トイレに行きたくなったのだった。

「射点ではすでに5時間も待たされ、普通の、人間の生理現象に襲われていた。思えば朝食で、ティーを飲み過ぎたものだった。この時の私は、宇宙船のハッチが開くのをひたすら待ち望んでいたよ。ただそれだけだった!」

…彼は後に、こう述懐している。トラブルが長く続いてどうしようもないと、一旦カプセルの外に出されたり、あるいはその日の打ち上げは中止とされるものだった。

ちなみにバスの中のボリノフは、ひたすら待っていた。予定時刻を過ぎても打ち上げられる様子がない…彼は後に、こう述べている。

「私はビコフスキーと同じように飲み、同じように食べた。彼は打ち上げの2時間前にカプセルに入り、私はバスの中のまま…。ところが、予定の2時間が経過しても、リフトオフしない。そして私はバスの中に座ったまま。するとだ、医務官がやってきて『気を抜くな。まもなく交代だ。ビコフスキーは飛ばない…君が飛ぶのだ!』と告げたのだ。私はそれから30分待った…そうすると医務官が再び現れ、『よし、交代を始める。用意しろ!』と告げるではないか。私は用意を始めた。」

「私はバスから出ることを許されなかった。さらに30分が経過し、交代という理由がわかった。無線系にちょっとした不具合が見つかったというのだ。」

「しかし、『あと30分待て』といわれながら、ついに5時間も待たされてしまっていたのだ。しかも結局、彼らはそのまま、ビコフスキーを打ち上げてしまったのだよ…。」

通信系統のトラブルもあり、なかなかリフトオフにこぎ着けなかったようである。恐らくビコフスキーはその間に用を足すことができたのだろう(彼の「5時間も待たされ」の部分がちょっと考えるのだが)。対するボリノフの方は、ひょっとしたら気を抜かないようにするためだけに、「もうすぐ交代だぞ」と言われ続けたのでは…恐らく上層部には、さらさらそんなつもりはなかったのでは…?

ところで、彼にまつわるエピソードは、これでは終わらない。打ち上げから9時間5分後、次のような報告を地上に寄せた。

「たったいま、宇宙で初めてストゥク(衝撃)を感じました!」

衝撃…いったい何が起こったのか。この一方はコロリョフにも伝えられ、現場は緊張したという。何か機器が壊れたのか、それとも隕石が命中したのか…あげくには、地球外生物の攻撃まで言い出すものがいたという。

管制部は改めて報告するよう、問い返した。すると、

「宇宙で初めてウ○コをしたということです」

と返事がきたではないか。つまり、彼は“ストゥル”(ロシア語で便器、つまり大をしたということ)と言ったつもりが、無線が明瞭でなかったせいか(?)、“ストゥク”と管制部が聞き間違えていたのだ!

そこにいた一同、切れた緊張と同時に大爆笑に包まれたという。だが恐らくビコフスキーは、何で彼らが笑っているのかわからなかったことだろう。

帰還後、ボストークの排泄設備が使いにくく、気持ちのいいものではなかったと報告している。だがどんな場合でも任務を完遂してこそ、アストロノーツ…いや、ロシアの場合はコスモノーツというらしい…である。

(右・ビコフスキーが地上へ帰還した翌20日のイズベスチア紙【筆者所蔵】。この日は6面刷りで、彼とテレシコワの偉業がこれでもかと報じられている。もちろん、ストゥルの話はなさそうだが…笑)


最後に、日本人の場合を取り上げよう。日本人飛行士では、未だトイレにまつわるエピソードは見あたらなさそうだが、代わりに飛行士選抜試験でスゴい検査が科せられていた。

1995年、宇宙開発事業団(当時)は日本人宇宙飛行士の募集と選抜を開始した。この時、野口聡一飛行士が選抜されたのだが、この選抜試験に挑戦した一人にウェブサイト「5thstar」管理人氏がいる。氏はその体験談をサイト上で公開しているが、それによると、2次試験では筑波に一週間缶詰にされて、医学・心理学検査を徹底して受けたのだという。

その検査の中で、「24時間蓄尿検査」というものがあったという。選抜メンバーはみな、「24時間おしっこをガマンせい!」という類のものかと思ったそうだが、実はなんと、「丸一日分の尿をポリタンクに全て集めろ」という内容だったという。この時の一部を引用させて頂くと…

「…昼間はまだいいとして、24時間、ということは、宿泊先のホテルに帰るのも、夕食にみんなと連れ立って出かけるにも、いつもポリ容器と一緒。医療検査で同じ班になった16,7人がぞろぞろとポリ容器をぶらさげて、中華料理屋に入っていくさまは、一種、独特の趣がある。店の人は「こいつらいったい何を店に持ち込んできてんねん」といぶかったに違いないが、まぁ知らぬが仏。…」

(とにかく爆笑モノの全容はhttp://www.geocities.jp/astroalumni/5thstar/taiken95.html#chikunyo

筆者は初めてこれに目にしたとき吹き出しながら読んだのだが、ふと、「ひょっとしたら医学的云々は単なる口実で、じつはこの極端に恥ずかしい試練に各人がどれだけ耐えられてどれだけの成果をあげられるのか見ていたのではないか」などと邪推してしまった(脚注参照)。

ちなみに氏によると、このテスト、98年の選抜時もあったそうで、その時は“畜尿キング”(脚注参照)が登場したのだそうだ(笑)。だが、2008年の選抜では、全量保存ではなくサンプリング調査へとトーンダウンしたのだとか。(氏は98年の試験ではファイナリストまで進まれた)

上の体験談で描かれているのだが、合格の可能性が少しでも上がるというのであれば、蓄尿だろうが何だろうが誰もが燃えるのだという。ひょっとしたらむしろそれが必要な資質のひとつなのかもしれないし、それを思えばジェミニで男同士でウ○コをしあうのも“普通のこと”なのかもしれない。便秘の仲間に通じがきたら、皆で大喜びする…これもごく自然のことになるのだろう。


ごく簡単ではあるが、初期の宇宙飛行士たちの奮闘ぶりを振り返ってみた。平凡な私たちの日常では笑い話のネタとして扱われてしまいそうだが、しかし真摯に捉えると、改めて彼らは英雄だなぁと思わずにはいられない。それは、ただただ宇宙を飛びたい一心、それがあるからこそ、できることなのだ。しかもそれは口先だけの半端なものではない、どんな障害をも乗り越えてやろうという、運命に対する決意のようなものなのである。


注:氏によると、受験生は必ずこのネタで盛り上がるので、最も溜めた人に5thstarでは「畜尿王」、98年では「畜尿キング」の称号を贈ったとのこと。「家畜のように尿を生成する」ということからつけたダジャレで、“畜”尿となっているのがミソ。また、検査はちゃんと医学検査を目的としたもののようとのことです。

※謝辞

宇宙飛行士選抜体験記紹介についてはウェブサイト「5thstar」管理人氏より許可を頂きました。御礼申し上げます。

ジェミニの写真は「妄想設計局」主宰・有明氏より頂きました。御礼申し上げます。

【References】 どれもオススメです!

“Skylab Drawings and Technical Diagrams”, NASA History Division
                    http://history.nasa.gov/diagrams/skylab.html
“SP-400 Skylab, Our First Space Station” Chap.5 The first Manned Period
                    http://history.nasa.gov/SP-400/ch5.htm
“Diary of a Cosmonaut: 211Days in Space”, Valentin Lebedev, Bantam Books, 1990
“Spacesuits - The Smithsonian National Air and Space Museum Collection”, Amanda Young, 2009
“INTO THAT SILENT SEA”, Francis French and Colin Burgess, Univ. of Nebraska Press, 2009