堅い月面 チリなし

「軟着陸の技術については、ソ連科学アカデミー会員、故セルゲイ・コロレフ氏が大きな貢献をした」

…ソ連科学アカデミー総裁であり強大な権力者であり、科学技術に関して西側への窓口を担当していたミスチスラフ・ケルディッシュは1966年2月10日、ルナ9号の月面軟着陸および写真撮影成功を発表するにあたり、このような一声を放った。

コロリョフ最大の夢は、月の征服であった。ルナ1、2、3は彼とその部下達が作ったものであり、2号での月面到達、3号での裏側写真撮影を成し遂げると、今度は月面軟着陸と写真撮影を狙い、1963年に4号を飛ばしたが失敗。続く5、6、7そして8号を65年の1年間で打ち上げどれも失敗に終わったが、しかしこの連続技は、コロリョフの強い執念の表れだったといえる。

だがその彼も、翌66年1月にこの世を去った。多くの人々が悲しみに暮れ、混乱した。

当宇宙開発史でもしばしば触れているように、ケルディッシュはコロリョフのパトロンであったが、盟友でもあった。他の政治局員たちにはなかなか理解されない宇宙科学ミッションを、心から支持した擁護者でもあった。きっと彼も、コロリョフの死を大いに悲しんだことだろう。

ここでは、ルナ9号による史上初・月面軟着陸達成を振り返ってみることにしよう。


1966年ともなると、宇宙開発に対するメディアの扱いは、最初期の頃よりも落ち着いたものになってくる。米ソはスペースレースを繰り広げていたわけだが、それ自体が当たり前になってきたこと、そして、その他に報道すべきニュースが増えてきたことなどがその理由ではないかと、筆者には思われる。特にルナシリーズに関しては、1年間で連続4回の失敗のこともあってか、9号の打ち上げ報には「ああ、またか」というような軽さが感じられる。これは1月31日に打ち上げられたが、翌2日の新聞紙面には小さく事実が報じられただけだった。ここで引用するほどの量もない。

それから数日間、何の報道もなかったが、4日早朝、事態は大きく前進した…ついに軟着陸に成功したのだ。これを報じる夕刊は一面トップで、昨日までの“無視”は全く無かったかのように、大々的に扱ったのであった。

  ソ連「月9号」軟着陸を達成

  
今暁、逆噴進 制御に成功 あらしの海中央へ 機器正常、通信保つ

モスクワ支局四日発】ソ連の自動ステーション「月9号」は、モスクワ時間三日午後九時四十五分三十秒(日本時間四日午前三時四十五分三十秒)逆噴進ロケットの制御に成功、月の「あらしの海」へ軟着陸し人類の宇宙開発、特に月探究とその探検に新しく画期的な窓を開いた。

タス通信の発表によると、月9号を通じて、月と地球の間には通信連絡が保たれているとのことで、これによって今後数々の未知の科学データが送られてくるものと期待されている。

ソ連は昨年五月の「月5号」以来、六月、十月、十二月と相次いで四個の月ロケットを打上げ、月面への軟着陸を目ざしてきたが、その都度失敗に終わっていただけに、五回目の今度の成功は非常な喜びをもって迎えられている。

【モスクワ三日発=タス】ソ連の月ロケット、月9号はモスクワ時間三日午後九時四十五分三十秒(日本時間四日午前三時四十五分三十秒)ライナー、マリウス噴火口西方のあらしの海の地域に軟着陸した。

月の表面に到着した月9号との無線連絡は順調に行われている。無線の周波数は一八三・五三八メガサイクルである。同ステーション上の機器は正常に動いている。次の月9号との連絡時間はモスクワ時間四日午前零時十五分(日本時間同六時十五分)である。

【モスクワ三日発=ロイター】ソ連は三日夜、月ロケット「月9号」の歴史的な月軟着陸に成功したが、これは月へ人間を送り込む競争で重大な一歩を踏み出したといえよう。今回の試みはソ連が昨年五月に「月5号」で初めて月への軟着陸を試みていらい五回目のもので、その成功はソ連科学者の新たな勝利であり、人間の月旅行に関する競争でソ連が大きく先んずることになった。米国の第一回月軟着陸実験は五月にサーベイヤー(月探測器)を用いて行われる予定になっている。

「月9号」は重さ約一・五dと推定され、一月三十一日に打上げられていた。

        

  
月征服へ第二歩 惑星間飛行の時代へ ソ連専門家談

【モスクワ四日発=タス】ソ連の著名な天文学者マセビッチ博士は四日、月9号の軟着陸成功について次のように語った。

今回の月への試みは大成功裏に終わった。さきに行われた月の裏面撮影は月征服への第一歩であり、今度の軟着陸はそれにつぐ、きわめて重要な第二歩である。われわれは月の表面とその化学的構成、内部構造、月が冷たくなっていった経緯などいろいろのことを研究したいと思っているが、今後さらにさまざまな器械を月に送り込むことによって、これらの点を明らかにすることができるだろう。

【モスクワ三日発=タス】タス通信の科学記者は月9号の月面軟着陸の成功について次のように論評している。

一、月9号は最初の月面での調査研究室であり、ソ連科学技術陣の最近の成果の重要性はいくら高く評価してもしすぎることはない。人間の月面着陸の準備と並行して遠距離の惑星間飛行の習得が成功裏に進められている。ソ連ロケットの月面着陸は人類が惑星間飛行の時代の入り口にいることを意味している。

一、今後数年間における宇宙研究のこの面での呼びものは、人間の月着陸と地球への帰還だろう。米国の科学者達は一九七〇年までに月へ米国人を送り込めると考えているが、ソ連科学者は他の天体への操縦飛行の複雑さを考慮して、厳密な期限でみずからの手をしばることはしていない。

一、月9号との無線通信は順調に行われており、これまで科学者たちをわきたたせてきた月に関するナゾの一部を解きあかしてくれるだろう。月との直接の連絡がないかぎり解決するのが困難な多くの問題が現在山積している。たとえば月の期限と年齢についても多くの見解があり、もしそれが地球から分離したものとすれば生命の原始的な形態が存在する可能性があるとの説も出されている。

  
写真電送を二度受信 英天文台

【ジョドレルバンク(イングランド)三日発UPI=共同】英国のジョドレルバンク電波天文台当局が三日明らかにしたところによると、同天文台は同日、月に軟着陸したソ連の月9号から送られてきた写真電送電波を二度にわたり受信した。

ラベル台長によると、この電波は恐らくテレビカメラで撮影され、ファクシミリで送られてきた写真のもので、この電波から写真を再現できるチャンスは五分五分という。ラベル台長はまた四日午後にも、月から送られる電送電波を受信してみると語った。

“逆噴進46秒後に着陸”

【ジョドレルバンク三日発=AP】ソ連の月9号追跡を続けていた英国のジョドレルバンク電波天文台のラベル台長は三日、ソ連の月9号の軟着陸成功について「月9号の成功は、宇宙開発競争でソ連を優位に立たせる歴史的な成果だ」と伝えた。

月9号が月面に近づくにつれて速度を変化させた模様は、月9号の発信する電波の周波数が月9号の速度変化にともなって変わるドップラー効果を測定する通常の方法によって確認された。同天文台は着陸時間が夜中以降になるものと予想していたので、送信が午後七時五分に止まったのに驚いたが、計算をやりなおした結果、軟着陸成功を確認したものである。

月9号から送られた写真信号も同天文台で受信したが、また同夜九時すぎから、タス通信の予告通り月9号からの送信がはじまったが、その音は規則正しい調子から、“音楽的な”音まで、各種にわたっていた。

ラベル台長は月9号の意義について、さらに「月9号によって得られる情報のおかげで、一九六〇年代に人間を乗せた宇宙船が月に着陸するようになることも考えられるようになった。月表面についての科学知識も、これでぐんと広がるだろう。ソ連が選んだ月9号の着陸地点もよく考えてある。同地点では今後十四日間、太陽が照りつづけ、その間太陽電池の充電も続くわけだ。太陽がかげったあとでどうなるかは全然、見当がつかない」と解説した。

【注】AFP電によれば、ジョドレルバンク天文台発表の逆噴進ロケットの点火はグリニッジ標準時で午後六時四十四分十秒(日本時間四日午前三時四十四分十秒)で、ロケットはその四十六秒後に月に着陸した。

  再び米を抜き返す ソ連、5度目の執念実る

【解説】ソ連の自動宇宙ステーション月9号は、とうとう月面への軟着陸に成功した。去年三月、ウォスホート2号で、レオーノフ中佐が初の宇宙遊泳をおこなったあとは、一転して宇宙開発のホコ先を月にしぼり、月5号(五月九日)、月6号(六月六日)、月7号(十月四日)、月8号(十二月三日)と続けざまに月ロケットを打ち上げ、軟着陸一番乗りに“異常”なまでに熱を入れてきた。

アメリカは、月へ探測器を送りこむ「サーベイヤー計画」を進めるため、まず月面の詳しい地図をつくろうと「レンジャー計画」で月へロケットを送り、月面の撮影に成功したのちは、去年は「ジェミニ計画」による長期飛行や、ランデブーに力を入れた。これらは、いずれも将来の「アポロ月旅行計画」へ直接つながる技術の開発を目的としたものであった。

しかし、ソ連はアメリカと対照的に、月への軟着陸に執念を燃やしつづけた。月5号のときは、それまでの前例を破って「月面の雲の海に軟着陸する予定である」とまで事前に発表して、自信のほどを示した。しかし、これも逆噴進ロケットの点火のタイミングを誤って軟着陸できず、つぎの月6号は飛行途中での軌道修正に失敗して月から大きくそれ、月7号も逆噴進ロケットによる減速がうまくいかなくて失敗している。

月8号は「飛行の最後の初段階は今までの月ロケットより、はるかに良好に制御されたようだ」(ジョドレルバンク天文台ラベル台長)とみられ、米国でもフォン・ブラウン博士らは、ソ連は軟着陸の技術を殆ど完成したようだといっていた。月9号の成功は、いわば時間の問題だったわけだ。

重さの点から考えて、ソ連は月4号のときから、すでに月への軟着陸を試みていたと考えられるふしもある。その時から数えると月9号は六回目の試みであり、一歩ずつ、計画的に進んできた形だ。

ことに月8号が成功寸前で失敗した経験は、こんどの月9号に十二分に生かされ、装置の改良が行われたのであろう。

これまで、月面は厚いホコリにおおわれているとか、宇宙船の重量を支えるだけの堅い岩があるとか、さまざまな議論がかわされてきた。月9号の軟着陸成功は、これに大きな解決の手がかりを与えたことになる。

うまくいけば月9号はテレビカメラで周囲一`四方を撮影し、地上に送ってくる月面風景が期待される。月8号に積んだテレビカメラは、高さ一_の物体までうつす性能のものだったといわれていたから、月9号でも同様と思われる。また土壌成分や温度などの資料も送ってくるかもしれない。これらの結果は、将来、人間が月旅行を安全に行うために、ぜひとも欲しいものなのだ。

アメリカは、次の計画で月探測器「サーベイヤー」を飛ばし、こういった科学観測を実施する計画だった。

「サーベイヤー」は去年の秋に打上げられる予定だったが、準備が遅れ、五月頃になりそうだ。しかも重さは一dたらずで、ソ連の月8号などの一・五dよりも軽く、また最初の四回は、装置の作動をテストする予備的なものであるといわれる。

(以下略)


                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月4日(金)夕刊 一面】


ここでは引かなかったが、米ジョンソン大統領、それにわが国の佐藤首相が祝電を送っていることが報じられている。

軟着陸成功は日本時間で4日早朝のことであり、朝刊には勿論間に合わなかったものの、逆に夕刊では充分な情報量がもたらされた。上に掲げたのは一面であるが、ほぼ全面を記事に充てている。「探査機が月面に軟着陸したこと」、「探査機との交信が正常に継続されていること」が伝えられ、過去4回の試みの末、やっと成功したことが素直に称えられている。なおその4回とはルナ5号から8号までを指し、ルナ4号はカウントに入っていない。だが記事中では4号のことにも言及され、今日ではそれも軟着陸を試みたものとして解釈されている。

興味深いのは、ソ連の関係者が、人間の月面着陸に言及していることだ。タスの科学記者が「人間の月面着陸の準備と並行して遠距離の惑星間飛行の習得が成功裏に進められている。」と喋ったのは注目に値しよう。これはその様式からして記者が口を滑らせたものではなく、声明としてきちんと用意された文章。この発言の次には、期限を切らないと念押しているのもそれを裏付け、印象的だ。

また、ジョドレルバンク天文台が通信の傍受に成功していることが目を引く。この一報を聞いたソ連関係者はどう思っただろうか。まさかジョドレルバンクが先に出してしまうことになると、予想しただろうか…。

2面では、「軟着陸の困難を打開」と題して、それまでより一段高いハードルを超えたことが解説されている。それは、逆噴射シーケンスがついに成功したということだ。

  軟着陸の困難を打開 ソ連 月9号

  
点火技術やっと克服 作動した逆噴進装置

解説】月ロケットが、地球の周囲を回る軌道から打ち出されるときのはじめの速度は、秒速約十一`だが、地球を遠ざかってゆくにつれて、だんだんスピードは落ちる。月の引力圏(地球から半径六万六千`の距離)に入るときには、秒速一`程度になっているが、さらに月に近づくにつれて、こんどは、逆に月の引力に引き寄せられてスピードが加わる。「月2号」が月面に命中したときには秒速三・三`だったという。この速度はほぼ、地表付近の音速の十倍(マッハ10)に当たる。

月には空気がないから、こんな猛スピードを減速するために、地球上でやっているように、パラシュートを開いたり、グライダー方式を使ったりといったことはできない。どうしてもロケットを自分の進行方向にふかし、ブレーキをかけなくてはならない。そのとき一番難しいのは、ロケットを正しく月面へ向けて、適当な時機に点火することである。

そのためには、月9号の姿勢を、うまく制御する技術や、地上からの電波指令でロケットに点火する技術がむずかしい。姿勢制御よりも点火時機の調整のほうがむずかしいとされている。さきに打上げられたソ連の「月5号」「月7号」の失敗は、ともに点火のタイミングを誤ったからだといわれている。

点火時期を決するには、飛行機が着陸するときに使うようなレーダー電波高度計で、月9号から月表面までの高さを測定し、自動的にロケットが働くようになっている。ところが月面は空港の滑走路のように平らで堅いとは限らず、レーダー電波で距離をはかることがむずかしい。

月面の平らな“海”といわれる部分が、実際どんな地形なのか、堅いのかやわらかいのか、ホコリが厚くおおっているのかどうかは、レンジャー7号以来、アメリカの月ロケットで一万七千六百枚の写真が撮影されていながら、結局、結論は得られていない。

米国コーネル大学教授トーマス・ゴールド博士は「月の海は、地球のサバクみたいなものだ。サバクとはいっても、砂よりもっとツブの小さいホコリの平原だ。このホコリの厚さは二、三`もあって、底の方はかたまっていても、上層は柔らかいだろう」といっていた。

最近では、ソ連のゴールキー電波物理学研究所のトロイツキー博士が、去年秋にカリフォルニア工科大学で開いた国際会議に出席し「月の表面は六bの厚さのチリのような物質の層である」と発表しているのが、ソ連の学者が月面の研究成果を公表した最も新しい資料だ。

だから「月8号」のときも、軟着陸はしたのだが、アンテナもろともチリの層の奥深く突っ込んでしまったのではないか、という観測がモスクワから流されたこともあった。

(以下略)

                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月4日(金)夕刊 2面】


記事の後半で月面の状態に言及されているのは、とても興味深い。この時点で最新の説は、月面にはダストが数キロも積もっているというものだったのだ。レンジャーが月面に迫りつつ写真撮影を行っても、それでもなお研究者の間では結論がでていなかったのだ。

この説に則って、ルナ8号は埋まってしまったと考えられたこともあったというのが、面白い。

続く3面では早速、専門家を呼んで座談会が開かれている。

  すばらしい「月9号」の成果 専門家三氏の座談会

新しい月面探測の時代が、いまはじまった。ソ連の月9号が、ついに月への軟着陸に成功、人類の目と耳にかわって、史上はじめて、月の風景を“見まわした”のである。

数度の失敗にもこりず、やっと成功した軟着陸に、どんな意義があるのか。四日早朝、天文学やロケット工学の専門家三人を朝日新聞東京本社に招いて、話し合ってもらった。

出席者

前東京天文台長 宮地政司氏(天文学)
東京工大教授   岡本哲史氏(ロケット工学)
東京大学助教授 小尾信弥氏(天文学)

  
テレビ写真に期待 “情報”どっととれよう

宮地 ソ連はいつもアメリカに先がけてやりますね。最初の人工衛星も人間衛星もアメリカの計画が発表されていながら、ソ連が先を越した。レンジャーをみても、月の写真を撮影する技術はアメリカの方がうまいようだが、皮肉なものだ。米ソの競争をまのあたりに見る感じだ。

岡本 ソ連が月の軟着陸をねらったのは、重量が一気にふえたところからみて、月4号からだったと思う。とにかく表向きは月(ルナー)5、6、7、8、9号と五つ試みたわけだ。

小尾 レンジャーも写真をとるだけに六回失敗している。この点から考えても大成功だ。

宮地 技術的にもたいしたものだ。逆噴進ロケットに点火するタイミングだけでも難しい。

岡本 ロケットが積んでいる燃料は制限があるから、長時間、噴射するわけにはいかぬ。

小尾 地上からいくら精密に観測しても地球から月までの距離を正確に出すことは難しい。探測器自体が月へ接近しながら、電波を出し、月面からの反射波を受けながら距離をはかり、接近してゆくわけだ。ソ連はこれまで四回、失敗しているが、これは仕方がない。地球上だって“三度目の正直”といいますからね。(笑い)

(中略)

  まだ多すぎる秘密 ロケットも想像つかぬ

宮地 機械は、やはり単一の仕事しかできぬ。土の性質はどんなかぐらいのことはわかる。さらにそれを進めてテレプッペ(遠隔操作人形)なら、地上からの信号を受けてかなりのことがやれよう。ここで人のいかねばならぬ意味は少ない。

小尾 しかし臨機応変の仕事は人間でなければできない。危険性との板挟みになるが。

宮地 ある程度の危険をおかさねば進歩はありえない。月はできてからそのままの姿を、何十億年も続けてきたわけだから、私も行って見たいと思いますね。(笑い)

小尾 いけるところまでいくというのが人間の本能でしょう。

(中略)

    探測器の形なども不明

岡本 こんどはかなりデータがとれただろうから、その整理に時間がかかるので次の打上げまでには、すこし間があるのではないか。(ここで、英国のジョドレルバンク天文台が逆噴進ロケットは午前三時四十四分十秒から四十六秒間、噴射したという発表の通信が入る)

四十六秒間連続の噴射ではなく、たぶん断続的にやったのだろうと思う。探測器の形については、ソ連は、なにも発表していないし、わからない。

月ロケットだけじゃなく打上げロケットを写した写真でも、二段目、三段目のつぎ目が露出したようなのがあって、こんなものでいいのかと気になるが、これも実際に使うのかどうか想像がつきませんからね。ウォストークだって、球形の写真が発表されているが、これだと方向性がなく、不安定で、なにか別の工夫をしていると思うのに、なにも発表していない。秘密が多すぎる。

(以下略)


      

                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月4日(金)夕刊 3面】


この座談会では活発な意見交換が行われている。レンジャーの写真成功を“見る”=目ができたということとすると、ルナ9号の成功は“さわる”=手ができたということであり、両者の違いの大きさが論じられている。月面に地震計を置いて数ヶ月も観測してみると内部の様子や火山の有無がわかるということ、岩石の組成調査では直接調べることに格段の意義があるということ、などなど。

また、この時点では探査機の形が公開されていない。とにかく秘密が多すぎるということを嘆いているが、しかし、この時既にボストーク宇宙船の形、それに打ち上げロケットの一部の形状が公開されていたのは興味深い。「…二段目、三段目のつぎ目が露出したようなのがあって、こんなものでいいのかと気になるが…」というのは、コアステージと上段の間をつなぐトラス構造を指すと思われる。スマートな円筒のアメリカのロケットに比べれば、あまりにも大ざっぱに見えたのだろう。

ところで、話が逸れるが、上の座談会の中で、人間が月へ、宇宙へ行くことに対する本質的な答えが出ていると思わずにはいられない。宮地氏と小尾氏のやりとりのなかに、それはある。

宮地 機械は、やはり単一の仕事しかできぬ。土の性質はどんなかぐらいのことはわかる。さらにそれを進めてテレプッペ(遠隔操作人形)なら、地上からの信号を受けてかなりのことがやれよう。ここで人のいかねばならぬ意味は少ない。

小尾 しかし臨機応変の仕事は人間でなければできない。危険性との板挟みになるが。

宮地 ある程度の危険をおかさねば進歩はありえない。月はできてからそのままの姿を、何十億年も続けてきたわけだから、私も行って見たいと思いますね。(笑い)

小尾 いけるところまでいくというのが人間の本能でしょう。


これを最初に読んだとき、筆者はルナ9号のこと以上に驚いた。テレプッペとは、今で言う二足歩行ロボットを指すのだろう。それを利用した月探査でも充分であることは断りつつも、よりフットワークの軽い探査はやはり人間でなければできないということ、そして人間が月へ行くということの理由を、「いけるところまでいくというのが人間の本能」とサラリと明解に表現しているのが気持ちいい。「ある程度の危険を冒さねば進歩はありえない」という言葉は、心にずしりと響く。

これこそ、フロンティア精神ではないか。

日本政府は2009年6月、宇宙基本計画を了承した。それは内容盛りだくさんで、了承に先立ち計画案が公開され、パブリックコメントも募集されたのだったが、案に「二足歩行ロボットによる月探査」と明記されていたのに議論沸騰したのであった…「ロボットではなく、人間が行かないと意味がない」、「なぜ二足歩行ロボットなのか」等々。詳細は割愛するが、決定本文では二足歩行ロボット“等”によるロボット探査を、有人探査を視野に入れて行うことが謳われる結果となった。

ロボットでも成果は得られる。しかしそれ以上を臨むなら、やはり人間が行くほかはない。人間が月や宇宙へ行く理由として、上の2人のやりとり以上のものは必要ないだろう。だがフロンティア精神へのコンセンサスが得られにくい日本では、基本計画で示されたことだけでも、あるいは、有人飛行への何らかの前向きな意志が見え隠れするようになっただけでも、大きな前進なのかも知れない。

話を戻そう。7面には今回の成功に対する、著名人のコメントがでている。

  この月に手が届いた 

「お月さん、ごきげんいかが」−長い間、夜空の一角に見上げてきたお月さんの顔を、四日、とうとう人間はそっとなでてみた。素顔はチリまみれか、つるつるなのか、青いのか、赤いのか−軟着陸に成功したソ連の月ロケット「月9号」から送られる電波に乗っていろいろなことが、文字通り手にとるようにわかってくるだろう。他の天体と地球をはじめて、じかに結びつけた軟着陸成功の意義は大きい。一九六〇年代のうちに、われわれの仲間がその足で月面を踏むという夢が、これでぐっと身近になった−

        


  神秘性にとどめ 胸には新しいときめき

作家 星新一さん

人間にとって月ぐらい神秘的な存在はなかったのではなかろうか。わが国では天女やうさぎの住む場所と思われていたし、ヨーロッパでは満月の夜にはオオカミ男が荒れ狂うと信じられていた。

古い和歌には「月みればちちに物こそかなしけれ」というのがあった。昭和の初期には「月が鏡であったなら」という歌が流行した。月こそ人間のあこがれであり、恐れであり、夢であり、救いであり、空想の焦点であった。

ギリシャ時代の哲学者は、月面も地上と大差ないと勝手な説を述べていた。近世になって、大望遠鏡でのぞいたら翼のある月人の住む都市を発見したと、大変なデマを飛ばして楽しんだ変な科学者もあった。またSF(空想科学小説)では月が絶好の舞台とされていた。

月に到着すると妙な装置があって、調べようとしてもどうしてもこわれない。苦心してこわしてみると、それが非常ベルで宇宙人が押し寄せてくるという話というのがある。月にロケットが着陸したとたん、みるみる消える。待ちかまえていた鉄を食うバクテリアのせいだったという話もある。

私もいろいろ空想をした。月の噴火口は火山だ隕石口だとの論争が続いているが、第一期文明人のミサイル実験の標的のあとだったのではないかと思ったりした。その前には、月の裏側にはとんでもない落書があるかもしれないと期待したものだ。天地創造の時、天使がいたずら書をし、神様が困ってついに片側しか人間に見せないようにしたのではないかと。

これらの空想は絶えることなく現在までつづいてきた。それが今日を境に一線が引かれるのである。なんとなくつまらないような、それでいて胸のときめくような、複雑きわまる気分としかいいようがない。

  想像絶する意義

国立科学博物館 村山定男 天文主任

おそらくこんどは軟着陸用の装置に重点をおいていると思う。しかし、月面の物質の分析、放射能、温度などを測定する装置が一つでも二つでも積まれていれば、月に関する七不思議がかなりわかることになるだろう。

こんどの軟着陸成功で、はっきりしたことは一応人間が降りることができるということだ。一・五dというのだから、着陸用のロケット装置が途中ではずされたとしても、少なくとも何百`のものが月の表面に三本足で立っていられることを証明した。また、写真撮影をおこなっているとみられるので、月面の起伏の傾斜状態、レンジャー(アメリカの月探測器)でみた“穴ぼこ”のスケール、岩石のころがっている状態などがはっきりするはずだ。

もしこれ以上月面の物質を調べる器財を積んでいるとして、たとえば岩石の放射能をしらべるだけでもそれが隕石性のものか、がわかるので、非常に大きな意義がある。また温度の変化を調べたり、宇宙から月に降ってくる物質を調べたりしているとすれば、将来月に人間が降りたとき、どんな状態、環境にさらされることになるかがわかる。

とにかく米国のランデブー成功といい、今度の軟着陸成功といい、その意義は非常に大きい。われわれは宇宙計画のことを前もって知りすぎているので「ああ、やったか」という程度の感じしかわかないかも知れないが、いずれにしてもこれらのこと自体が想像を絶するほどの重大な意義がある。

(中略)

    月は誰のもの?

国際空法協会日本委員(元最高裁判事) 真野毅さん

今後、月はいったいだれのもの、という議論が起こってくるだろう。国際法からいうと、今までだれも持っていない“無主”の土地を一番先に占有した者がその所有権を取得することになっている。空間の問題でも、ペナントを打ち込んだり、着陸したりすることで先に占有したと主張すれば、所有権が確立するというのが現在の法理だ。空間の問題でもこの法理をあてはめれば、月や火星が地上の一国の所有に帰するということになる。

それでは困るので、条約を結んで適当な所有権の整理をしようというのが、今の“空法”の研究者の一般的な考え方だ。

                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月4日(金)夕刊 7面】


ルナ3号が月の裏側を撮影したとき、SF作家やファンらは大事な舞台を失った。今度は月面への軟着陸成功である。その表面は固い岩であることがほぼ確実となり、これは人間の踏み込みも許すものだ。科学探査もさらに進むことになろう…作家・星新一氏は神秘性にとどめが刺されたと語るのと同時に、新たにわき起こる胸のときめきに、複雑な心境を吐露している。

一方、村山定男氏は、科学者の視点から、今後にとても大きな期待を寄せていることがわかる。しかし法律家の真野毅氏は、「では月は一体誰のものか」という、もっと現実的で権利的な視点でこのイベントを見ている。

このように、三者三様の見方がでるところが、ルナ9号の社会に与える影響力を物語っているといえる。

ところで、紙面にコメントを寄せているのは4人なのだが、実はあとひとり参加している。それは藤子不二男氏で、「オバQ」として登場しているのだ。

1964年から少年サンデーで連載の始まったオバケのQ太郎はこのころ、絶頂を迎えていた。TVアニメに連載誌に子どもたちは釘付けになり、レコードは売れに売れ、この年のレコード大賞を取っている。ところがそんなオバQは、オバケのくせに、空気がないところではヘルメットを被るほかなく、逆噴射で月面に降りるしかないという。こんな、オバケなのか人間なのかわからない愛すべき彼に、「オバケだって空気がなければこうするよりしようがないさ」と言わしめているのがとても面白く、かわいらしく、思わずにやけてしまう。


ルナ9号の信号受信を発表していたジョドレルバンク天文台は、“傍受”の立場にありながら何のためらいもなく、本来ならソ連が発表すべきファーストイメージをリリースしてしまった。それは翌5日の朝刊に掲載された。

  驚異的な月の写真 英天文台受信 表面の岩もはっきり

【ジョドレルバンク(イングランド)四日発=AP】英国のジョドレルバンク電波天文台は四日「ソ連の月9号から画期的な月の写真を受信した」と発表した。同天文台によると、それらの写真は月面の岩をはっきりうつし出しているという。これらの写真は月9号からファクシミリで送られてきたもので、写真には岩のほか、平らな月の表面や、月9号の影も写っている。ラベル同天文台長は「これらの写真は天文台がこれまでにキャッチしたものの中で、最も驚異的な写真である」と語った。

         

                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月5日(土)朝刊 一面】


ところが。4日、千歳発羽田行き全日空機が墜落するという衝撃的な事故が起き、これが紙面を大きく独占することとなった。日本で最初の大型ジェット旅客機墜落事故であり、乗客もほぼ満員。その殆どが札幌雪まつり帰りの観光客で、当時史上最悪の旅客機事故として世界中で取り上げられた。この事故がきっかけで、日本を運航する全機にボイスレコーダーとフライトレコーダーが搭載されることになったのはよく知られている。

当然だが、メディアはこの報道に全力を注いだ。新聞紙面にもそれは表れており、この朝刊1面〜3面はすべて関連記事と写真、そして社会面(16面)もそうであった。もしこの事故がなかったら、ひょっとしたら月面の写真が一面を飾っていた、かも知れない。実際は上に見るように、右隅にさわりが載せてあるだけだ。

写真は5面の国際面の一角に掲げてあるが、写真のみで解説無し。夕刊では改めて写真が掲載されているが、ここでは朝刊と異なり、2人の研究者による対談が添えられている。

  これが月世界 「月9号」から写す

英国ジョドレルバンク天文台が四日、ソ連の「月9号」からの信号を傍受して作りあげた二枚の写真について、東大の古畑正秋教授(天文学)と同片山信夫教授(地学)に話し合ってもらった。

        

月面写真は、本家のソ連が発表したものではないため、撮影の諸データがほとんど不明で、解釈、判定が非常にむずかしい。同教授の対談の結果@電送されてきた二枚の写真は、着地後にうつした近景写真(左)と、着地後ないしはその直前にうつした全景写真(右)であると思われる。A月面の地形は、これまでわかっていた規模のクレーター(火口)を最小単位としてできあがっているのではなく、もっと小さいアワ状地形でおおわれている。B近景写真に「月9号」の一部またはそのカゲがうつっているところなどから、数aくらいまでは判別できるようだ(従来は米国のレンジャー7、8、9号が二十五aほどのものを観測したのが最小)ということなどがわかった。

両教授の対談は次の通り。

片山 全景写真は飛行中に撮影したとも、着陸してから撮ったとも見える。

古畑 いや詳細がよく出すぎているくらいだから、飛行中の撮影ではあるまい。こちら(近景写真)は、明らかに着陸してからだ。

片山 月の曲率は地球より小さいから見まわせる範囲はうんとせまい。大体地球の十六分の一くらいだ。だから、全景写真の手前がかなり小さなものまで写っているのも、決して不自然ではない。

古畑 月探検の場合、大きなクレーターの中に立つと、全然外輪山が見えないはずだ。探検のとき、方向がわからなくなって困るのじゃないか、といわれているくらいだ。

片山 全景写真の縁(ふち)の方は、地平線でなく山のりょう線らしい。まん中がへこんでいるから、なだらかなりょう線の孤立した丘が重なりあっている感じだ。現在までに厳密に測量した結果とも一致している。

古畑 望遠鏡で見ると、いやに鋭い山がそびえているみたいだが、これは錯覚で、本当は斜面はなだらかなことがわかっている。地平線は、りょう線だと私も思う。

片山 近接写真の黒い細長いものは、ロケットか何かの影だね。これから考えると、数aぐらいのものまで写っているようだ。

古畑 太陽はうんと低いので影が長い。

片山 遠景写真の突起のようなものも、高い山ではない感じだ。

古畑 二枚とも、ハワイのハレアカラ火山の“溶岩原”に似ている。この小さなアワのようなデコボコは、これまでは撮影されなかった細かいもののようだ。

▽アバタと奇岩が見える

片山 全景写真の右上などに明るくも暗くないハーフ・トーンの部分がある。英国ジョドレルバンク天文台のラベル台長は「ホコリの層は数aくらい」といっているが、「ロケットが埋まってしまう」ほどでなくても、ハーフ・トーンの箇所がホコリではない、とはまだいえないのじゃないか。

古畑 近景写真はホコリが写っていないようだが、逆噴進ロケットがホコリを吹き飛ばした跡を写したのかもしれないし…。

片山 穴のあいた小さなアバタのようなものが密集して写っている。ヒダのようになってみえるのも、よく見るとそのアバタがつながってできたものだ。全景写真のかなり大きなくぼみ(十数個)くらいが、これまでレンジャーが写した“最小単位”だったのではないだろうか。

古畑 これまでのレンジャー写真では一つしか見えなかった突出した奇岩が、たくさん見える。ここにはやわらかいホコリという感じはない。

片山 奇岩のでき方に二通り考えられる。一つは落ちてきたイン石が風化して、かたい部分が奇岩として残った。また地下から粘性の高い溶岩が突き上げてきてできた場合には、もっとスケールが大きいはず。火山岩の中の柔らかい部分がこわれたとも見られないこともないが…。

古畑 レンジャーの写真の小さいぶつぶつを見たときは、イン石によってできたものと思ったが、こんどのは違うようだ。

片山 溶岩なら流れがあるはず。アワがブツっとわれたような感じもするが、月の表面は発泡してできたという説もある。

古畑 近景写真の中央部の雲のようなモヤモヤはホコリのようだ。小石より小さいだろう。

片山 カゲの線がはっきりしているから、ピンボケではあるまい。とするとモヤモヤはホコリということになる。

古畑 近景写真のこのモヤモヤがわかりにくいね。

片山 なにか細い感じなのだが、もともとのものなのか、着陸したときできた二次的なものなのか、問題だ。

片山 二次的なものでないとすれば、風化作用でできたものではないだろうか。気温変化だけでも、かなりの風化作用があるだろうから。

(中略)

古畑 二人とも、この段階では“放談”というところだね(笑い)。

    写真発表、英が先越す 暗号なかった電波信号 大きさなどはソ連の発表待ち

【解説】ソ連の「月9号」がうつした月面写真を英国の科学者が受信して発表した。ジョドレルバンクの電波望遠鏡で「月9号」からの電波を受け、それを英国の新聞「デーリー・エキスプレス」社から提供されたファクシミリ装置(模写電送装置)にかけたら、写真になったという。

米国のレンジャー月探測器は、テレビ方式で月面写真を写したが、ソ連は一九五九年十月の月裏側写真の撮影も、その方式で行われた。つまり、いったん特別なフィルムで写真をとり、探測器のなかで現像し、それを小型の写真電送装置で電波信号になおして地球へ送る。

この電波信号には特別な“暗号処置”はほどこされていなかったとみえ、英国でも、たやすく画像に戻すことができた。写真発表の点で、ソ連は英国に先を越されたわけだが、ソ連は科学的な検討を加え、解説をつけて発表しようと考えているのではなかろうか。英国が発表した写真だけでは、うつっているものの大きさなどが、あいまいであり、ソ連の正式発表が待たれる。

なお「月9号」が軟着陸した「あらしの海」の地域では、ちょうど太陽がのぼったばかりで、今月十八日ごろまでは昼の状態が続く。「月9号」の太陽電池はこの間、発電を続けることができ、したがって月面の観測も続けることができると予想されている。

                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月5日(土)夕刊 5面】


2人の対談は、声が聞こえてきそうだ。あれやこれやと語り合ったことだろうが、紙面で掲載されているのはその一部だろう。ただ詳しい尺度も何も判らない中での対談だから、この時点では“放談”にしかならないと、古畑氏がオチをつけているのが面白い。

この時点では、ルナ9号が太陽電池で駆動すると考えられていた。上の記事の最後から、そのことが伺える。

さて。本家・ソ連は、イギリスのスクープの翌日に発表した。それはわが国では、7日の朝刊に大きく掲載された。

  月9号の成果 ソ連発表 

  堅い月面、チリなし 一−二_の物体も判別 計器、ロケット 別に着陸 

ソ連のタス通信は五日、月9号の構造や飛行経路の詳細を発表した。この発表によって、月接近のさいの減速方法や、月9号の重さなどが明らかにされたほか、テレビなどの観測装置を積んだ「自動ステーション」は、着陸の直前に逆噴進ロケットから切り離されて別なところに降りたことなどが公表された。

        

タス通信の要旨次の通り。

一、月9号がうつした写真では、一ないし二_の詳細まで識別できる。最初の写真に見える、長い髪を引いている石の大きさは約十五aで、ステーションから約二メートルのところ。ステーションから地平線までの距離は約一・五`。

一、月の表面はきわめてでこぼこで、数多くのくぼ地と高地がある。ステーションが、月面に“沈んだ”形態はほとんどないことからみて、月の表面は十分堅いことがわかる。月の表面にはチリはまったく見られない。

一、月9号の総重量は一・五八三dで、自動ステーション、エンジン機構、月への飛行を制御する装置の三つの部分からなっている。自動ステーションの本体は、エンジン装置から切り離されて、その近くに着陸した。

一、着陸のさいには秒速数bのスピードまで減速された。

一、自動ステーションには三百六十度の方向をうつせるテレビ装置と、月面地形写真を地球へ送る送信機が積んである。自動ステーションの本体には、ステーションが月面上に固定されたあと自動的に伸びるアンテナ、緩衝装置、着陸のさいテレビ装置が損傷しないような金属製の花びら状保護板が積み込まれている。

一、ソ連の自動ステーションの月面着陸によって、人類の月への到着と、科学観測所が月面につくられる日が近づいた。

  英発表のは不正確 ソ連科学者が指摘

【モスクワ五日発=タス】ソ連のブラゴヌラボフ科学アカデミー会員(大気圏外開発利用委員会議長)は五日、英ジョドレルバンク天文台がソ連の自動ステーション月9号からの写真をソ連の公表に先立って発表したことについて「こうした著名天文台がソ連の科学関係組織に連絡し、画像の正確な再生に必要な情報を求めることなしに、大急ぎで月面写真を公表したことは驚くべきことだ。きっとなにかセンセーショナルな動機があったのだろう」と評論、さらに次のように述べた。

画像を正しく受信するには水平線と垂直線の測定尺度を知る必要がある。英天文台の受けた写真信号の再生はうまくいっているが、不幸なことに同天文台はこうした要素を考慮していないために、写真の水平方向の長さが約二・五分の一に縮んでしまった。

  尺度の不明 当初に強調 英ラベル台長談

【マンチェスター(英)五日発=ロイター】英ジョドレルバンク天文台のラベル台長は五日、同天文台公表の月9号の月面写真はねじまがっているとのソ連の言いぶんにこたえて次のように述べた。

われわれはこれらの写真について科学的な分析はなんら行わなかった。私のつけたコメントは一般的なもので、しかも尺度および月9号上の装置にかんするその他の技術データの詳細はソ連だけが知っていると述べておいた。とくに私は縮尺にかんしては全くわからないことを強調しておいた。

また天文台のスポークスマンは同日「月9号の写真は国際的にも重要なものだから直ちに発表するのは当然だ」と述べた。

   三番目の写真発表 モスクワのテレビ

【モスクワ六日発=タス】モスクワのテレビ放送は六日、月9号がさる四日朝放送した三番目の新しい写真を発表した。

この写真は月9号の北に当たる月面の一部で、送信中カメラは月の地平線にむかって傾き、太陽は月の地平線上約七度の高さで東の方にあった。

   月9号 
調査計画は完了

【ソビエト・ニュース=東京】六日のモスクワ放送によるとタス通信は「自動ステーション月9号による月調査計画は成功裏に完了した」と次のように発表した。

五日モスクワ時間十九時から二十時四十一分(日本時間六日午前一時から二時四十一分)まで自動ステーション月9号との間に無線連絡が行われ、これにより自動ステーション月9号も所定の月調査計画は完了した。

                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月7日(月)朝刊 一面】


ソ連は、ジョドレルバンクの行為に対し、露骨な非難ではないが、明らかに怒りに満ちたコメントを発表している。そのイライラっぷりを表す一文は、恐らく練りに練られた、相手を追い詰めるような物言いだ。しかもこれは、ブラゴヌラホフという上級クラスの人物による発表であるから、もはや事実上の公式非難といえよう。これに対するラベル台長の返答には、筆者は何となく“防戦試合”を感じるのだが、どうだろう。「何も行っていない。詳細は何も知らない。重要なものだから出したのは当然だ」というのが精一杯。ひょっとしたら「しまった…」と、後悔の念がよぎっただろうか?

一面以外にも3面でタス通信全文と更なる画像が掲載されているが、ここでは割愛する。翌8日の朝刊では3面にパノラマ写真が公開され、9日朝刊では「月9号を推理する」と題して、これまでわかったことと、やっぱりわからないことが整理されている。それは総括であり殆どが既出のものだが、目新しいものも少しある。以下はそのひとつである。

  月9号を推理する ナゾを残すソ連発表 

(中略)

  熱膨張説とめり込み説

五日に月9号がとったパノラマ写真から、地平線と月9号の位置が、その一日前の四日にとった写真とずれていることがわかった。これは一日の間にカメラの軸の角度が傾いたことを意味している。

動いた原因としては、最初、軟着陸したときの姿勢そのものが東側へ大きく傾斜し、かなり不安定だった。そこへ、テレビカメラの回転などで、振動したかもしれないし、月面の温度上昇で、ステーションの一部分が熱膨張したりで動いたのではないだろうか。もうひとつは、月面が、もろい物質でできているため、しだいにめりこんだという見方もある。

                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月9日(水)朝刊 5面】


移動しない探査機の場合、カメラが写す風景はそれこそ“同じ窓の外”の類だ。最初は衝撃的なものでも、時間が経つと飽きも出てくる。だが同じように見える風景でも、そこに変化があれば面白い。ルナ9号は殺風景な姿を電送してきたが、予想以上に電池が持ち堪えたため、撮影を繰り返すことができ、その結果、僅かな変化を捉えたのであった。そしてそれを、科学者たちは見逃さなかったのである。

残念なのは、この探査機がバッテリー駆動であったことだ。当初、専門家らは太陽電池駆動と考えていたが、ソ連が運用を停止を発表したこと、また、発表された探査機のイラストをみて、太陽電池が搭載されていなかったことを悟った(このことは、翌日の会見ではっきり発表されることとなる)。これがもし太陽電池駆動であれば、もっと長期間活動することができ、岩や地形に生じる影が刻々と変化していく様が捉えられたことだろう。それは一般向けにも、科学的にも、とても興味深いものになっていたと思う。


連日、世間を沸かせたルナ9号だったが、いよいよ幕を閉じるときがきた。10日、ソ連科学アカデミーは公式会見を行い、それまでに得られた科学的成果を発表した。それは11日の朝刊で詳しく報じられている。

  月9号観測の詳細 記者会見内容 

【モスクワ十日発=タス】ソ連科学アカデミーのケルディッシュ総裁らソ連科学者は十日、モスクワの科学者クラブで各国外交官の出席のもとに内外記者団と二時間半にわたって会見し、月(ルナ)9号の成果について語ったが、その内容は次の通り。

        

  新鉱物ありうる 月面、生成後に変化 放射線量は一日三十_ラッド 

一、つぎの最も重要な段階は、惑星間飛行の実現である。はじめは、科学器具を備えた自動装置を他の天体(複数)に飛ばし、続いて将来は人間が飛ぶのである。

一、軟着陸の技術については、ソ連科学アカデミー会員、故セルゲイ・コロレフ氏(一九〇六−一九六六、応用数学者、スプートニク、ウォストークの設計者)が大きな貢献をした。(以上ケルディッシュ総裁)

一、自動ステーションのカメラは宇宙飛行士の目と全く同様に、月面の風景をとらえている。直立した人間が足下の部分を識別できるのと同じ程度に、見分けることができた。

一、“自動宇宙飛行士”は、さまざまな太陽高度の時期に数回、月面を“走査”した。このような条件でうつされた一連のパノラマ写真によって、自動ステーションのまわりの風景模型を作りあげることができる。ただし、深い穴(複数)の底には、自動ステーションが動いている間、太陽光線がささなかったので、穴の深さだけは、不明のまま残された。

一、パノラマ写真の二度目の送信と三度目の送信の間に、自動ステーションは動いた(注、位置または姿勢を変えた)。その結果、テレビカメラの傾きが角度にして数度変わった。またその間に、カメラ自身もその位置を数センチ変えた。これにより、立体写真効果を利用する機会が生まれ、自動ステーションから見える物体までの距離が測定できることになった。(AP電によればカメラは月面から六十aの高さであった)

一、(カメラの解像力について記者団に説明するため、とくにパノラマ写真の左にある光学的な尺度に注目するよう指示があったのち)この尺度の大きさは、マッチ箱程度であり、このコードは厚さ一_である。

一、受信された信号を解読した結果、月面の放射線の強さは、主として宇宙線によるものであることがわかった。線量は一日当たり三十_ラッドである。この放射線は、宇宙線が月の表面に降り注いだ結果起こりつつある核反応によるものと信じられる。(以上、物理学者アレキサンダー・レベジンスキー教授)

一、自動ステーションから送られてきた写真を解析した結果、月面、少なくとも“海”の部分は、玄武岩の溶岩でできており、ふつう荒っぽい構造の凝灰岩ではできていない。

一、月の表面は二次的なもの(注、生成後、変化を受けたもの)で、激しい温度差、宇宙じん(ちり)の落下、太陽放射線など、さまざまな要因によって溶岩が変化して生じたものと思われる。

一、この結果、月面では全く新しい鉱物を発見することができると思われる。

一、写真には、ホコリの層は写っていないが、月面の全表面についての結論を出すにはきわめて慎重でなければならない。自動ステーションのテレビ装置で撮影された月の“小さな(ミクロ)起伏”は、地球からの観測によってよく知られている“大きい(マクロ)起伏”を想起させるもので、ただ数千分の一に縮小したに過ぎない。大きい起伏と小さい起伏の同一性は、月の表面にさまざまな形をつくり出してきた要素の共通性を物語っている。(以上アレキサンダー・ビノグラードフ教授)

  太陽電池 積まず ステーション重量百`

一、(二回目と三回目の交信の間に、月9号の位置が変化したことに関する質問に対して)この理由は月の表面の変形によるものだ。その変形の理由が何であるかをのべることは困難であるが、多分、ステーションが不安定な小さな石の上に着陸したのか、あるいは月面が若干押しかためられたのかもしれない。このようなほんのわずかな変形は月面の温度変化やステーション自体のある種の機械的な衝撃によって起こりうるものである。

一、ステーションには太陽電池は積んでいなかった。なぜならばステーションの任務は月面写真を撮ることと、宇宙線を測定することに限られていたので、太陽電池を積んでゆく必要がなかった。

一、宇宙飛行士は月面におり立つこともできるだろうし、また月面でかなり長い時間作業をすることも可能だろう。

一、月への人間飛行のために必要な科学的諸研究は、現在進められているけれども、人間飛行の予定時期を、いま決定することはまだむずかしい。

一、(月9号に積まれた軟着陸装置があれば、今後他の宇宙船が着陸することも保証できるかというチェコスロバキアの特派員の質問に対して)技術的には百パーセント可能である。しかしながら、偶発的な事故の起こりうることはある。

一、(人間飛行の場合、月面着陸に続く主要な問題は何かという質問に対して)やっかいな問題はまだいくつも残されているが、月から地球へいかにして帰還するかということも、軟着陸同様の大問題である。この場合、宇宙船は毎秒八`メートル(第一宇宙速度、つまり地球の周囲を回る衛星船の速度)ではなく、毎秒十一`メートルという第二宇宙速度で地球に接近しなければならないだろう。

一、地球の周りの待機軌道から月へ向かって打ち上げられた月9号の総重量は約一・五dで、ステーション自体は百`グラムの重さであった。

一、(月からの帰還に当たって解決されるべき問題は何かという質問に対して)問題は二つある。ひとつはステーションを月面からいかにして持ち上げるかであり、第二はそのステーションをいかにして大気圏まで持って帰って、地上に着陸させるかということである。

一、原則的にいって、月9号と同じようなステーションが、火星または金星に着陸することも考えられるが、これは非常に難しい課題である。

一、月9号と同じ自動ステーションをもう一つ月に送ることは興味深いことだが、この計画についてはいま討議されている。

一、(月はある時期には国際法の観点から注目されているが、との質問に対し)私は月の上ではすべての軍事行動を禁止したいと思う。ソ連は、地上での軍備に反対しており、月の上についてもなおさらそうである。

一、(自動ステーションを月へ送り、それを地上に回収する計画はあるか、との問いに対し)それは興味のあることだが、そのような飛行はまだ計画されていない。宇宙飛行士を月に短時間滞在させることは、彼が地球へ帰ってくることよりは容易である。また、月の表面から地球の写真をとることも技術的には可能だが、一度にすべてのことが出来るわけではあるまい。

一、(月の土壌や待機の最初の見本、月の温度やその他の測定値が得られるのはいつか、との質問に対し)それには多分、数十ヵ月は必要であろう。

一、(宇宙開発における米ソ科学者の競争をどう思うか、という質問に対して)この分野では、競争でなく協力をするべきだと私は思う。ソ連の金星2号と金星3号は計画通りに飛んでおり、地上との連絡も規則的に保たれている。両ステーションは三月一日ごろ金星に接近するだろう。両ステーションの金星軟着陸は計画していない。月から地上に送信された写真の精度が高かったのは、積載された機器の包装がよかったからである。月面のパノラマ写真は全部で六千の走査線で送られ、送信の所要時間は一時間四十分であった。

一、(宇宙ステーションが軟着陸した場所の領土権を主張するのかという質問に対して)ソ連は所有権を主張しない(以上ケルディッシュ総裁)。

(以下略)

                       【朝日新聞 昭和41年(1966年)2月11日(金)朝刊 5面】


会見の冒頭挨拶はソ連科学アカデミーのケルディッシュ総裁によって行われ、それは上に記された通りである。彼は開口一番、次の段階は他の天体に衛星を飛ばし将来は人間が飛ぶと言い放ち、続いて、コロリョフへの賛辞と続けたのだ。

筆者はこれを初めて読んだとき、とても驚き、そして感動した。一番に他の天体への野心があることを全面に押し出し、続いて、前月にこの世を去ったコロリョフを称える…月へ、そして他の惑星へ乗り込むことは、彼の最大の夢だった。その夢へいよいよ手が届こうかという時に、その人はもういない。声明では「コロリョフは軟着陸の技術に貢献した」ということで称えられているのだが、それは名前を出すための単なる理由付けであり、このミッション成功そのものがここで彼に捧げられているのは間違いないだろう。

これは、亡き盟友にケルディッシュが捧げる、最高の弔辞に思えてならない。

会見では、質疑応答もかなり行われたようである。会見は2時間半に及んだというから、それ相当のものだったと思う。いくつもの質問が飛んでいるが、しかしこれは事前に提出されていた質問に答える形式のものなのだろうか、あるいは予め質問者が決まっていたのだろうか、それはわからない。ただ、かなり注意深く、抑えめに返答が行われているのが感じられる。

また、科学的な成果については、「地表を玄武岩」と結論づけているが、これは写真の分析だけで判断されたものという。つまりそれが本当に玄武岩なのかを裏付ける直接の証拠はないわけで、後日、この辺を巡っては賛否が分かれたようである。

ルナ9号の騒ぎは、こうして終わった。このミッションの持つ意味はとても大きい…それは技術の困難を乗り越えたこと、地球以外の天体の組成を調べる道筋が開けたということ。月は堅い表面を持っており、近未来の人類到達に強い後押しをしたということ、それまで曖昧だった領土権の問題が現実味を帯びてきたということ。おまけとして、成果を横からかっさらって発表することの道徳的問題、など。

このミッションの成功は、世間一般の人々に、月をより身近なものに感じさせることになった、大きなマイルストーンだと筆者は思う。


【Reference】どの資料も詳しくわかりやすく、推薦です!

朝日新聞(詳細は各記事ごとに明記)