灼熱の惑星に挑む(2)

ベネラ4号は金星大気を降下する中で通信が途絶したが、ソ連の惑星探査機で初めて、機器の不具合で失敗しなかった探査機となった。次のロンチウィンドウは1969年1月であったが、早速、3MVタイプのベネラが準備されることになった。

それは「V−69」ミッションと呼ばれた。金星が想像以上に過酷である環境であり、着陸カプセルの大幅な改良が必要であることははっきりしていたが、技術陣は誰もが意気揚々としていた。棚上げになっていた「M−69」ミッションが再開されていたが、「V−69」も並行して進めることができると確認された。


「ベネラ5号」「ベネラ6号」

「V−69」探査機は2機準備されることになった。母船のスペックは前号を踏襲することになったが、着陸カプセルには大幅な設計変更が必要であった。これに関し、当初、設計局は2つの意見に割れた。

それは、地表への着陸を一気に目指すか、もしくは大気層をより深く降下し、次のミッションへ繋げるデータを取得するかの2者であった…しばし議論が続いたが、結局後者を選択することとなった。

着陸カプセルは約320℃の温度と40気圧程度の圧力に耐えるよう設計された。一方突入時に受けるGは450Gまで耐えられるように設計されたが、これは、69年の打ち上げでは探査機に速い速度が要求され、結果として金星大気への突入が高速になってしまうからであった。

さらに、搭載される科学機器にも改良が加えられた。例えば化学分析器はより精度の高いものに改められ、気圧計は3レンジ(0.13−6.6気圧、0.66-26気圧、1−39気圧)で測定できるものが採用された。高度計は45km、35km、25kmの3種類の降下高度を検出するように設計されたが、これはベネラ4号の高度計問題を受けての対応だった。

「V−69」はベネラ4号と同様、金星の夜の域に突入することになっていたが、光度を測定する光電管が搭載されていたのは興味深い。金星の夜の域では時折、正体不明の“輝き”が観測されており、「アシェン・ライト」(Ashen Light)と呼ばれている。最初に観測されたのは17世紀中頃で、3世紀半たった現在でもその正体ははっきりしていない。「V−69」では、その“輝き”の直接検出が試みられたのである。

また、電池切れ問題に対応するため迅速に降下すべく、パラシュートのサイズが大幅に縮小された(12平方m。4号の約4分の1)。右は探査機の全景で、パラボラアンテナと太陽電池は折りたたまれている。総重量は約1.1トンで、うち着陸カプセルは405kg。

余談だが、1968年3月下旬、「V−69」ミッションに関する会議の直後、ババキンの主席補佐であったウラジミール・ペルミノフはユーリ・ガガーリンと出くわしている。ミリタリーコートに身を包んだガガーリンはちょうど誰かを待っていたところのようで、ペルミノフは冗談交じりに彼に話しかけたという。

「ユーリ・アレクセービッチ、君に金星宇宙船の船長席を確保しているよ」

この言葉にガガーリンは返答せず、暗い笑みを浮かべ「たぶん次ですね」と答えただけだったという。

このほぼ1年前、ソユーズ1号の事故があり、ソユーズ計画は暗礁に乗り上げていた(開発史6参照)。また彼自身、既に宇宙飛行士のリストから外され、何度にも渡る交渉の末、戦闘機での訓練飛行に許可が下りたばかりだったのである。

この数日後、訓練飛行中の事故で帰らぬ人となった。


1969年1月5日、1号機が打ち上げられ「ベネラ5号」と命名、全世界に発表された。またその5日後の1月10日、2号機が打ち上げられ「ベネラ6号」と発表された。両機ともパーフェクトな打ち上げと軌道投入で、予定されていた探査機全ての軌道投入に成功した初めてのケースとなった。これは勿論、モルニアロケットが向上していることの証であった。

両機はその後も順調に飛行を続けた。同年3月と4月には火星探査機「M−69」を2機とも失うという辛い出来事に見舞われたが、金星へ順調に飛行を続けるベネラが慰めになったかもしれない。

同年5月16日、約131日間の飛行の後、ベネラ5号は金星へ到達した。ここまでに交わされた交信セッションは73回であった。

管制部はコマンドを送信した。距離37000kmの地点でカプセルを留めるバンドが解放され、カプセルはまっすぐに金星へ突っ込んでいった。大気圏突入時の速度は秒速11.2km、突入角は65度で、加わるGはベネラ4号の1.5倍に達した。

カプセルが遷音速まで減速した頃、サブパラシュートを展開。続いてメインシュートが引っ張り出され、同時に地球へのシグナル送信も開始した。

カプセルは正常に機能し、データを取得していく…温度と圧力、化学組成の送信は毎秒1ビット。これが地球で受信され、記録されていく…。

… 6.6気圧・温度177℃ … 14.8気圧・266℃ … 27.5気圧・327℃ …

突入から約53分後、シグナルは途絶えた。取得された測定値は温度が70ポイント、気圧が50ポイントであった。

通信が途絶する直前、カプセル内の温度は13℃から28℃に跳ね上がっていた…恐らく、気密が破れたものと思われる。また、途絶の4分前、光電管がそれまでの値の4倍の光度を記録していた。これは、金星で初めて検出された雷光の可能性がある。

ベネラ5号は地上から18kmの地点でクラッシュしたと見られている。27.5気圧・327℃が最後に取得された数値となった。

一方、翌17日、ベネラ6号が突入、約51分間の降下の後、シグナルが途絶えた。ひとつ残念だったのは、6号の光電管は故障し、機能しなかったことである。それ以外は全て正常に機能した。

ベネラ6号は地上から22kmの地点でクラッシュしたと考えられている。直前に取得された数値は19.8気圧・294℃であった。ただ、もっと深く降下していたという説もあり、それによると、地上まであと10kmに迫っていたという。

両機で取得された大気の化学組成は、ベネラ4号で取得されたそれと殆ど同じであった。つまり、極端な二酸化炭素リッチが改めて証明されたのである。3機で得られたデータは詳細に分析され、最終的な結果がリリースされた。

二酸化炭素 97%
   窒素    2%以下
   酸素    0.1%
  水蒸気  11μg以下/リットル

この時点で、金星に生物がいると主張するものはもはや皆無に近かった…。

次の金星ロンチウィンドウは1970年8月であったが、ここでは金星面への着陸に挑むことになった。ただ、前3機のベネラで、大気が予想以上にぶ厚く、かつ高温であることが証明され、カプセルの更なる仕様変更は不可避であった。


「ベネラ7号」

ラボーチキン設計局のババキン局長と補佐のペルミノフは、更に強固なカプセル設計に着手した。彼らは、科学者の示す大気モデルを殆どあてにしていなかったようである…モデルで示された地表気圧は100気圧程度とされていたが、彼らは180気圧・温度530℃程度まで耐えられるものを目指していた。(右・準備中のV−70。カプセルはまだ搭載されていない)

これを実現するため、潜水艦の設計技師が呼び寄せられたという。カプセルの外殻は180気圧まで耐えられるような卵形に形作られ、内殻はチタンを用いた完全球で構成された。内殻と外殻の間には衝撃を吸収する素材が挟み込まれ、高圧、そして高温に耐えるよう頑丈な造りになった。

当然だが重量は増し、490kgとなった。

パラシュートは、これまた克服すべき大きな問題の1つだった。というのも、大きすぎると降下速度が遅くなり、地表に到達する前に電池切れを起こしてしまう。ところが逆に小さすぎると、速度が付きすぎ、ハードランディングになってしまう。

そこで、パラシュートは2段階で展開するように工夫された。遷音速でパラシュートは展開されるが、その時点ではシュートの一部がワイヤーで縛られており、フルオープンしない。そして速やかに降下し、温度が上昇するとワイヤーが解け、全体が展開、速度を落とすようになっていた。

さらに、母船は大気上層ギリギリまで接近し、カプセルをリリースすることになった。こうすると、パラシュート展開高度自体を下げることができたからだ。

下は、カプセルの外観とカットアウェイで、右図はパラシュートが折りたたまれキャップが被せられた状態で描かれている。一方、左写真はキャップが外れてパラシュートが展開した後のモックアップで、中央にコニカルアンテナが見え、手前に高度計のアンテナが下を向いている。カプセルは4本のワイヤーでパラシュートに吊り下げられて降下する。

         

内部には観測機器と高度計、送信機、バッテリーが搭載されており、冷却ファンで温度が一定に保たれる。カプセル全体は母船からの切り離しの前に、−8℃に冷却される。

観測機器であるが、温度計と圧力計だけが搭載された。これは、殻のぶ厚さのため、内部に殆ど余白がなかったためである。

外側は真っ白に塗装され、赤字で「CCCP」とだけ描かれたデザインはクール。これが2機準備された。


1970年8月17日、第1号機が打ち上げられた。プロセスは全て順調で、無事、金星遷移軌道へ投入されたことが確認されると、モスクワ放送は「ベネラ7号を打ち上げた」と発表した。一方、2号機は5日後に打ち上げられたが、パーキング軌道からの離脱に失敗、「コスモス359号」と命名されて終わっている。

ベネラ7号は10月2日、地球から1700万kmの地点で軌道修正を行ったが、不十分であったため、11月17日に再度の軌道修正を実行。打ち上げから120日後の12月15日、金星へと到達した。

なお、飛行中に強い太陽フレアを観測したが、これは月面で走り回る「ルノホート」でも検出されている。金星到達までの間に交わされた交信セッションは124回で、金星到着の3日前にカプセルの電源がオンにされた。

ベネラ7号のカプセルがリリースされた。目標はそれまでと同じ、地球から見て中心の、金星の夜側の地点である。速度は秒速11km、突入角は70度で加わるGは350G、温度は11000℃に達したと見られている。

ところが。

モスクワ放送は何も報じない…翌日も…そのまた翌日も…人々は待ち続けた…しかし、突入に成功したのか否か、そもそも「ベネラ」という言葉自体、聞こえてこない。「ひょっとして…」最悪の結果を予想する声も出てきた。

モスクワ放送が口を開いたのは、3日後であった。

「ベネラ7号カプセルは金星へ突入し、35分間シグナルを送信した。その後、壊れた模様である…」

これ以上のことは報じられなかった。その裏側でカプセルは、“大変な状況”に見舞われていたのである。

金星突入が始まり、パラシュートが展開されたとき、温度は25℃、圧力は0.6気圧で、想定通りであった。その13分後、パラシュートを束ねているワイヤーが解け、フルオープンになった。ところがその6分後、パラシュートが裂け、数分間左右に大きく揺れた後、パラシュートが機能しなくなり(もつれたか?)、そのまま自由落下に突入したのだ!

自由落下に入ったとき、温度325℃、圧力27気圧。カプセルは真っ逆さまに落下し、地表に秒速17m…時速60km…で叩きつけられてしまった!

シグナルは最後の1秒間だけ強く放たれ、以後、何も受信されなかった。

管制部ではその後も受信が試みられたが、どうしてもシグナルを拾うことができなかったという。その上悪いことに、送信系の一部が故障を起こしており、取得されたデータは温度のみであったのだ。

…発表できるいい話が何もない。モスクワ放送が3日も黙っていたのは、無理もない。

「なんだ、やっぱり着陸は無理だったのか」

世間の人々はそう受け止め、ベネラ7号は日々織りなされる社会情勢の中に消え失せてしまった…。


しかし。

事態が急展開したのは、それから1ヶ月が経過しようとしていた頃だった。それは、オレグ・ルジガという電波天文学者がシグナルを再分析しているときだった。

受信された信号はテープに記録されているが、ルジガがなぜそれを再分析しようと思い立ったのかは分からない。彼は後にベネラ15号、16号ミッションで使用された地表レーダーの開発を担当していることから、関連研究の一環でそれに興味を持ったのかも知れない。ただ理由が何にせよ、これが“奇跡”に繋がるとは、彼自身思いも寄らなかっただろう。

シグナルの解析は、ノイズとの格闘である。

そこには、ベネラの状態変化に伴うドップラー変化などが記録されている。彼は丹念にそれを追いかけていたが…最後の段階で、それまで誰も気づかなかったシグナルが入っていることに気づいた。

地表激突後にも、微弱ではあるが、間違いなくシグナルが記録されていたのだ!

更なる解析で温度データの復元に成功し、その値は475℃を指していた。シグナルは明らかに、一定のポジションで発信されている…つまり、金星の地表から発せられていたのだ!

下は、シグナルのドップラースペクトルである。カプセルから放たれる信号のドップラー偏移は、機体のモーションを推定する上で非常に重要なデータとなる。

 

パラシュートが引き出され(Parachute Deployed)てから約13分後、パラシュートがフルオープン(Parachute Unreeded)するが、ガクンとなる波形の変化は降下速度が遅くなったことを意味している。その6分後、パラシュートが裂け(Parachute Ripped)、その後の変化は急激な速度上昇を示す。続く波状波形はカプセルが左右に大きく揺れていることを表しており、間もなく自由落下(Free Fall)している。(補足1参照)

ただし、物理で用いる“自由落下”の概念とは厳密には異なるようだ。上の波形から考えると、一定の加速で増速しながら(=本来の“自由落下”)激突したのではなく、大気抵抗と浮力、そして重力が釣り合った状態の“等速”で落下しているようである(類似例としては、雨滴)。

そしてルジガは、落下後は途絶えたと思われていたシグナルに、続きがあることを見出したのだ。

細かく見ると、激突の瞬間、強度レベルは3%に急降下し、次の瞬間1秒間だけ100%を回復、そして再び3%の状態で以後23分間継続していたのである。

恐らく、側面で地上に激突し、バウンス、放り上げられたカプセルはアンテナの中心を1秒だけ地球に向け、再び横向きに転がったものと解釈されている。アンテナが横向きになったため、受信強度が極めて弱くなったのだ。

誰もが驚喜した。ベネラは生きていたのだ!強烈な高温高圧、そして衝撃に耐え、横たわってもなお、電波を発信していたのだ。

「壊れたと考えられていたベネラ7号は、ハードランディングではあるが着陸に成功し、弱いながらも電波を発信していた!地表は475℃の灼熱であった!」

モスクワ放送、それにプラウダ紙がトップで報じた。世界はまさかと思ったが、それは本当だったのである。

圧力の実測値は取得できなかったが、温度と大気モデルより92気圧と推測された。この値にも、世界は改めて驚かされた…数年前まで想定されていた圧力の、3倍もの高圧だったのだ。

これは、ラボーチキンの面々を大いに奮い立たせた。火星探査ミッションでは困難が続いていたが、金星に関しては、現在のハードウェアで着陸可能であることが証明されたのだ。

次のロンチウィンドウは1972年3月である…ミッションには「V−72」とコードが付けられた。


「ベネラ8号」

地表気圧が90気圧程度で温度が470℃前後ということを受け、カプセルにベネラ7号程の重厚さは必要ないことが明らかとなった。設定された耐圧は105気圧とされ、その分余裕のできたスペースには観測装置が追加されることになった。

具体的には、風速計や光電管、ガンマ線スペクトロメーターやガス分析器(補足2参照)、アンモニア検出装置である。このうち、ガンマ線スペクトロメーターは土壌の組成分析を行う。カプセルの重量は495kgになった。

アンモニア検出装置が搭載されたのは、当時、大気に広がる雲の成分がそれであるという説があったからである。

なお、「V−72」は昼間の域への着陸を目指すことになった。光電管で昼間の明るさを測光するのが重要な目的のひとつであったが、これはいずれ、カメラを搭載した着陸機を送り込むことを念頭に置いてのものだった。

下はベネラ8号(左)と7号(右)を並べたものである。一見同じものに見えるが、よく見るとトップのコニカルアンテナの形状が大きく異なっている。8号のコニカル(円錐)はとがっていて、7号のそれはドーム型になっているが、これは目標地点の違いを大きく反映しているものである。

       

7号の場合、地球から見て金星の中心である夜の域が着陸地点に選ばれていた。つまり金星から見ると地球は天頂にくるわけで、その方向に強く電波を放射するように指向性が持たせてあった。ところが8号の場合、着陸地点は金星の昼の域、つまり地球から見ると縁の方になるのだが、逆に金星に立つと地平線に近い低空に地球が見えることになる。そのため、指向性を緩め、地球の方向へも充分な電波が放射されるようになっているのだ。

下は金星へ着陸した「V−72」カプセルの想像図である。カプセルの脇に、パラシュートと、ケーブルで繋がれた小さな物体が描かれている。

   

カプセルから伸びるケーブルの先に取り付けられた物体であるが、これは無指向性アンテナである。昔、筆者はこれを、地表を分析するセンサーと思っていた…私の記憶が確かなら、「知られざる世界」(開発史29参照)のナレーションでもそんなことを言っていたような気がする…。

このアンテナは、念を入れて取り付けられたものであった。着陸のショック、あるいは強風でカプセルが横転しても、地球へ確実にシグナルを送るための策であった。

ガンマ線スペクトロメーターや光電管、アンモニア検出装置の窓は上部に並べて配置されている。

次の図は、着陸カプセルの断面図である。以前の着陸カプセルも似たような構造であったが、それまでの経験を踏まえて設計された、“完成された姿”と言えるだろう。

            

(1)上部カバー (2)ドラッグシュート (3)メインシュート (4)高度計アンテナ (5)熱交換機 (6)蓄熱装置 (7)内部断熱材 (8)自動コマンド装置 (9)蓄熱装置 (10)ショックアブソーバー (11)外部断熱材 (12)送信機 (13)球形内殻 (14)整流器 (15)送風ファン (16)冷却パイプ (17)無指向性アンテナ (18)パラシュートコンテナ (19)上部メインアンテナ (20)アンビリカルケーブル (21)アンテナフィーダー (22)上部カバー固定・爆離ボルト (23)テレメトリーユニット (24)水晶発振器 (25)インターフェース

卵形の外殻の内側に球形の内殻、そしてその内部に各種機器が備えられている。このスタイルはほぼ前号を受け継ぐが、大きな違いは(16)冷却パイプの存在である。

この冷却パイプからは液体窒素が注ぎ込まれ、外殻と内殻の間を強制冷却するものであった。窒素は分離の前に母船から供給され、カプセルを予冷する。「V−72」にもそれまでと同様、内部に冷却装置が備えられていたが、外部からの液体窒素による強制冷却はこれが初めての試みであったようだ(ベネラ7号でも予冷が加えられていたと伝えられているが、内部に液体窒素を流す方式ではなさそうである…詳細はわからない)。

「V−72」探査機もまた、2機準備された。


1972年3月27日、第1号機がバイコヌール宇宙基地よりモルニアロケットで打ち上げられた。全ては正常で、金星遷移軌道へ投入されると「ベネラ8号」として世界に発表された。

一方、第2号機は4日後の3月31日に打ち上げられたが、お決まりのごとく、上段の不具合で地球周回軌道を離脱できず、「コスモス482号」と命名されて終わった。この衛星は地球を周回し続け、滑稽なことに、同7月、予めプログラムされていた突入モードが起動、搭載カプセルを切り離した。勿論、突入先は地球大気…。

この2号機は金星の夜の域へ着陸することが目指されていたという。昼と夜との温度差などを比較するためであった。

打ち上げから117日後の7月22日、ベネラ8号は金星に到達した。この時、地球からの距離は1億800万kmで、金星は夜明け前の空に輝いていた。

着陸機には母船からの充電と予冷が加えられた。その後、突入の1時間ほど前に母船から切り離され、一直線に金星を目指して突っ込んでいった。

カプセルは高度67kmで大気圏突入を開始、約60kmでパラシュートを展開し、30kmでフルオープンした。ベネラ8号のパラシュートは、更に小さくなり、面積は2.5平方m。畳でいえば、たった1.5畳だ!

一方、観測機器は高度50kmで作動を開始した。圧力や温度、光度などを計測、地球への送信が始まった。刻々と降下を続けるベネラ。数千m級の山々や深い盆地を眼下に望みつつ、水平に流されながら降下を続けていった。

管制部では、誰もが固唾を飲んで見守る…。

「0 0 1 0 1 1 0 1 0 0 1 0 0 1 1 …」

レートは遅いが、確実なデジタル信号だ。観測データのストリームだ!

しかし、何より彼らが目指していたのは、完璧な着陸だった。

ベネラ7号の着陸は、運に助けられたとも言える。

今回こそは、リアルタイムでしっかりと着地を確認したいものだった。

「システム正常」

「内部温度、圧力、規定内」

… …。


突入から53分後、ベネラ8号は地表に着陸した。「ドーン!」と響き渡った音を、金星人は聞いたはずである。得体の知れない金属球に、駆け寄ったかも知れない … だが、そんな文明の存在を信じるものはもう誰もいない。

地球で受信されるテレメトリーは、確かに地表に到達したことを示していた。

温度も気圧も、一定値から動かない。

完全着陸にこぎ着けた瞬間だった!管制部では喝采が響き渡ったことだろう。

カプセルは着陸後、更に63分間も信号を発信し続けた。最初の13分間は上部コニカルアンテナから送信され、続く20分間は地上に転がる無指向性アンテナから、最後の30分間は再びコニカルアンテナから送信された。そしてそれらは、しっかりとした強度で受信された。

また、取得された一連の科学データも非常に有意なものばかりであった。

ガンマ線スペクトロメーターによる岩石分析により、8号が着陸した場所には花こう岩が広がっているように思われた。一方、高度計の反射波の分析により得られた地表の密度がやはり、花こう岩のそれに近いものであった。この結果は、地表には玄武岩が広がっているとする説と対立することになったが、後年のレーダーマッピングミッションで花こう岩が正しいことが判明している(補足2参照)。

一方、光電管は大気に広がる雲に関する重要なデータをもたらした。地上50kmから35kmにかけて光度は減少を続けたが、これはぶ厚い雲を通過していることを示していた。地上35kmから下では減光の割合は小さくなり、雲の域を抜けたことが明らかだった…霧のようなものも漂わず、ほぼ透明であることもわかった。

また、地上では穏やかな風が吹いていた反面、上層の風速が非常に速いことも判明した。地表の光度は非常に暗く、1km先のものが見える程度の明るさしかなかった。ただしこの時、金星地表で見た太陽は地平線から5度しか昇っていない、いわば“早朝”であったことは留意すべきだろう。

加えて、ガス分析器の測定より、雲の正体がおぼろげながら見えてきた。硫黄酸化物が検出されたのである。

ベネラ8号で得られたデータの概要は、以下の通り。

圧力  93気圧
温度 470℃
風速 100m/秒   (高度48km〜)
    40〜70m/秒 (高度42〜48km)
     1m/秒    (地表〜高度10km)

 大気組成
二酸化炭素 97%
  窒素     2%
 水蒸気    0.9%
  酸素     0.15%
アンモニア   0.01〜0.1%(地上32〜44km)(補足3参照)

地表密度  1.5g/cm3

現在では「スーパーローテーション」と呼ばれている、大気の運動速度が惑星の自転速度よりも速い現象の存在がはっきり認識された(そしてそのメカニズムは、今なおよくわかっていない)。また、以前のベネラデータと比較して、金星の昼夜で殆ど温度に差がないことも明らかとなった。そう、まんべんなく、惑星全体が“高温圧力釜”なのである。


ベネラ8号は大成功であったが、しかし同時に、3MVタイプ探査機の終焉も意味していた。軟着陸が達成され、大気の組成もかなり詳しくわかった以上、同じことをこれ以上繰り返す必要はなかったからだ。また、3MVタイプの着陸機では、カメラなどを搭載するのは無理であったのである。

探査機による直接探査の開始からほぼ10年。ベネラ計画は新たな局面へ向けて動き始めていた…。


※謝辞
ベネラ7号の温度計測データやその他の詳細は、“Soviet exploration of Venus”のDon P. Mitchell氏よりご提供頂きました。Don氏はベネラ研究の第一人者で、素晴らしいサイトを運営されています。
Special thanks to Mr. Don P. Mitchell, for much of information and permission to quote and reuse.

※補足1
当時はエアポケットに入ったための急降下と考えられていた。だが2003年、地上3kmでパラシュートが外れ、その後は自由落下した可能性が高いという説が発表されている。本文はこの説に従ってまとめてみた。

※補足2
金星地表は、現在では、その大部分が玄武岩で覆われていることがわかっている。後のベネラ探査機でも検出されるのは玄武岩ばかりであったが、レーダー探査によりベネラ8号の着陸地点が山腹であることが判明、そこがたまたま平野を覆う溶岩(=玄武岩質)よりも古い地層であったためではないかと考えられている。

※補足3
アンモニアはリトマス紙の原理で検出する類のものであったが、試薬が硫黄酸化物に汚染された可能性が高く、実際はこの値の数百倍であったと見られている。


【Reference】どの資料も詳しくわかりやすく、推薦です!

Encyclopedia Astronautica (c)Mark Wade http://www.astronautix.com/
NASA NSSDC Space Science Data Center Master Catalog http://nssdc.gsfc.nasa.gov/
“Soviet exploration of Venus” http://www.mentallandscape.com/V_Venus.htm
Научно-производственное объединение имени С.А. Лавочкина http://www.laspace.ru/rus/
“The Ashen Light” http://www-ssc.igpp.ucla.edu/personnel/russell/papers/ashen/
“Soviet Veneras and Mars”, Kerzhanovich, Viktor and Pikhadze, konstantin, 2003
             http://trs-new.jpl.nasa.gov/dspace/bitstream/2014/37338/1/03-2619.pdf
“Russian Planetary Exploration” by Brian Harvey, Springer Praxis, 2007