土のにおい

初版: 02.04. 2006

地面の匂いというと、土のそれがある。特に、雨が降り始めたときに湧き立つあの独特の匂いは印象的だが、では果たして「月の土」の匂いはいかがなものなのだろうか?NASAは最近、月の土の匂いに関して面白い記事をリリースしている。

月の土、それは…

手触り − 雪のように柔らかいが、溶ける気配がないのが不思議な感じ
 味 − 悪くはない (アポロ16号 ジョン・ヤング飛行士の弁)
匂い − 使用済みの火薬のような匂い (アポロ17号 ジーン・サーナン飛行士の弁)

匂い … 一体、どんな匂いなのか?

アポロの飛行士は皆、月の土の匂いを嗅いでいる。勿論、月面上では直接、鼻をあてることはできないが、月面活動を終え、着陸船に戻り、宇宙服を脱いだとき、その表面に付いていた土やダストに触れている。もちろん彼らは船内に入る際、それらを払い落としてはいるものの、完全に取り除くことはできないのだ。

彼らはヘルメットを脱いだとき、その土ぼこりの匂いや、口に入った味などを体験するというわけである。

(右・アポロ17号で月に降り立ったジャック・シュミット飛行士。真っ白いはずの宇宙服が灰色になってしまっているのは、月面の土ぼこりのため)

月面の土や岩石に関して、いきいきとした報告をもたらしたのは、最後の月着陸となったアポロ17号に搭乗していたジャック・シュミット飛行士だ。彼は地質学者であったため、土や岩石に対するアプローチが他の飛行士と異なり、皮肉にも、科学者の視点で有益な収集を行った最初にして最後の飛行士となってしまった。

「早速ニオッてきやがったぞ」

最初の月面活動を終え着陸船に戻り、ヘルメットを脱ぐやいなや、ヒューストンに第一声を放った彼。後年、「ヘルメットを脱いだとき、土ぼこりにはすぐ反応したよ。鼻が腫れてしまったものだ。」と語っている。本当に腫れたかどうかは怪しいが、それほどまでに激烈だったということだろう。

数時間後、その匂いは静まった。「その後の船外活動の後は、さほど匂いは感じなかったよ。免疫ができていたんだろうね」と語る彼。彼は匂いに関しては特別に敏感な男で、ヒューストンでは石油化学工場から漂う臭いに気が狂いそうになり、煙草の臭いにも気をつけねばならぬほどだった。

だが、他の飛行士達は、「そのような匂いはしなかった」と異口同音に言う。これについてシュミット氏は、こう言いながら笑う。

「他の飛行士達も、土の匂いは嗅いでいたはずだよ。だが、もしそのような匂いの症状を認めたら二度と飛べないのではないかと、パイロットとして一考したんじゃないかな」

つまり、他の飛行士達は、「嗅覚系に異常ありとみなされるのを恐れた」と見ているのだ。身体に異常があれば、地上勤務を言い渡されかねない。学者であるシュミット氏と異なり、軍パイロット出身の飛行士達にとっては注意深くならざるを得ない、かもしれない。シュミット氏は、他の飛行士が匂いについて多くを語らない理由を、以上のように推察する。

だが、はっきり伝えた飛行士達はこう語る。アポロ16号で飛んだチャーリー・デューク飛行士は当時、「本当に強いニオイだ。火薬の味がするし…火薬のニオイもするよ」と無線で伝え、17号のサーナン飛行士は「キャビンのどこかで火災が起こったかのようなニオイだ」と言っている。

勿論、月の土ぼこりと火薬の成分は全く異なる。火薬は硝酸セルロース(硝化綿)やニトログリセリンが主成分であり、そのようなものは月面では見あたらない。

では、土ぼこりは何でできているのだろうか?

それは、主成分はケイ酸ガラスであり、月面にたたきつける極微少隕石によって形成された物質であるという。この、何十億年も続いてきた微少隕石のインパクトが表土を叩き、粉々にするのだ。土ぼこりはまた、鉄やカルシウム、マグネシウムを多量に含んでいるという。(ケイ酸ガラス…石英ガラス、かな?@管理人)

そう、火薬とは全く異なるのだ。ではなぜ、火薬の匂いがするのか?そのはっきりとした答えは、まだ誰も知らない。

宇宙飛行士ドン・ペティ氏は次のような可能性を指摘する。

「砂漠の上に立っていると想像してください。何か臭うでしょうか?そう、何も匂いはないでしょう。しかし、雨が降るとどうでしょう…匂いが立ちこめてくるはずです。」

地表から水が蒸発する際、土にくっついていた化学分子も一緒に拡散させ、それが鼻に達し、匂いとして感じる現象。これと似たような現象が月でも起こったのではないかというのだ。

「月は、そう、40億年もの間、砂漠みたいなところですからね。極端に乾燥しています。そんな環境の土ぼこりが着陸船の船内に入り、エアと触れることで、匂いが拡散したのではないのでしょうか。」

一方、NASAジョンソン宇宙センター・月サンプル研究所のゲーリー・ロフグレン氏は、「太古の昔から月に降り注いできた太陽風の匂いではないか」と考えている。太陽風、すなわち太陽から吹き付けるイオン流が土の中に固定され、それが船内にもたらされ、匂いを醸し出すというわけだ。

ちなみにシュミット氏は、化学反応によるものと考えている。土ぼこりが形成された際に不完全な化学反応が生じており、それが人間の鼻に入ることで、反応が再開するというものだ。

匂いを巡る説は、さらに続く。もう1つの可能性としては、土ぼこりが船内酸素と反応して“燃えて”いるのではないかというのだ。“燃える”というのは、酸化するということ。土ぼこりの酸化は速度が遅いため炎も煙も出ないが、しかし、あたかも使用済みの火薬のような香りを漂わせるのではないか、という説である(ちなみに火薬は、燃える前と後では匂いが異なることに注意。月の土ぼこりは、燃えた後の火薬の匂いである)。

地球に帰り着いたとき、土は匂いを発さなかった。この説に基づけば、既に長時間エア(酸素)にさらされてしまったので、化学反応が終了してしまっていると考えることができる。

ただ、この説は当初、ありえないと考えられた。土のサンプルは真空を保ったままで閉じこめることのできる特殊な容器に詰められて持ち帰られたからだ。だが、細かいとがった角が容器に傷を付け、封が完全にできず、気密が破れていたと言われており、これは酸素や水分の侵入を許したとされる。地球に帰還するまでの3日間で、どれほどのサンプルがさらされたのかはわからない。

(右・サンプル格納容器を手にするアラン・ビーン飛行士(12号)。キャップの部分に砂がついたら、完全密封は難しいかもしれませんね)

シュミット氏は信念を語る。「我々は、月面で土の研究をしなければならない」と。月面の上でのみ、全体像を掴むことができるのだと。なぜ匂うのか?着陸船や月面車、それに人間にどのように反応するのか?そして、どんなサプライズが待ち受けているのだろうか?

【Reference】
NASA・The Vision for Space Explorations “Apollo Chronicles: The Mysterious Smell of Moondust
          http://www.nasa.gov/mission_pages/exploration/mmb/30jan_smellofmoondust.html