失われたアーク

初版: 07.12. 2006 追加: 08.02. 2007

太陽系第8惑星・海王星。占星術では、魚座の守護星。木星や土星と比べると地味な感じがするが、彗星やカイパーベルト天体の進化に大きな役割を演じていると考えられている、重要な惑星である。

天王星の発見(1787年)後、その軌道が計算からずれることを逆に利用し、イギリスのジョン・アダムズとフランスのユルバン・ルベリエが独立に未知の惑星の存在を予言した。1846年9月23日夜、ドイツののヨハン・ガレはルベリエの計算を基にベルリン天文台にて観測を行い、新惑星・海王星を発見した。最新の星図を頼りに望遠鏡でみずがめ座を覗く彼は、数分もたたぬうちに新天体の存在を認知した。

海王星は木星や土星、天王星と同様、環を有する。土星のそれは17世紀から知られていたが、1977年に天王星、1979年に木星に環が発見されると、海王星にも環があるのではないかという推測がなされるようになったのは、自然なことであった。

ところが、海王星の環の捜索は易しいものではなかった。土星の環は小さい望遠鏡でも見えるが、天王星の環は当時の大型望遠鏡でも観測が困難で、天王星が恒星の前を横切る(「掩蔽」=えんぺい)際に恒星の輝きがチカチカと点滅したことによって確認されている(ちなみに木星の環はボイジャー1号による)。これと同様の捜索法が海王星に対しても行われた。

1980年代の10年間、50に達する恒星の掩蔽に対し100を超える観測が行われた。だが、集まるデータはどれも、環のただならぬ姿を示唆しているものであった。

惑星に環が存在する場合、ざっと言えば、惑星本体が恒星を隠す前後でも恒星が1回ずつ“瞬き”を起こす・・つまり、計3回だ。ところが海王星の場合、2回しか瞬きが起こらないケースが続出したのである。中には瞬きが殆どわからないものもあった。「そもそも環が薄いものだったら瞬かないかも知れない」「いや、環が大きく傾いているため、環が一度しか恒星を隠さなかったのでは」等、様々な議論が起こったが、結局、不完全な環、すなわちリングではなく“アーク”(弧状)をなしているのだろうという説が大方の見解になった。

では、残りの弧、いわば「失われたアーク」はどこへいったのか?

真相は、1989年のボイジャー2号の接近を待たねばならなかった。1986年、史上初となる天王星接近を果たした同探査機は海王星へと舵をきったが、その航路は海王星の真上、つまり北極上空を通過するコースが採られた。これは、海王星大気と衛星トリトンの詳細な観測を有利に進めるために加え、横にどこまで広がっているかわからない環(もしくは弧)への衝突を避けるためでもあった。


1989年8月、海王星へ接近したボイジャー2号は、その環の正体を明らかにした。下は同年8月26日に撮影された環の全体像で、2本の比較的明るく細い環と、その間に広がる淡い環、また、惑星本体に近い所に別の淡い環が写っている。全体として非常に暗く、撮影の際は長時間露出が必要であったため、惑星本体は(露出オーバーのため)マスクがかけてある。
           

海王星は、完全な環を有していた。環をなす粒子は非常に小さく、センチメートル以下のものが占めていると考えられている。これは、土星のそれがバス〜一軒家程度の大きさであることを考えると、極めて対照的なスケールだ。またその粒子自体が非常に暗く、これは粒子表面に炭化水素化合物が存在するためと考えられている。

ちなみに、この環の成分は今でもわかっていない。ケイ素や氷の含有量などがわかれば、粒子の起源、すなわち環の成因に迫ることができる。「彗星が海王星に接近した際、潮汐力で崩壊、環を形成した」と考える研究者もいるが、正確なところはまだ誰も知らない。

解析の結果、全部で5本の環が存在することが明らかとなり、内側から「ガレ」「ルベリエ」「ラッセル」「アラゴ」「アダムス」と名付けられた。このうち明るい2本は「ルベリエ」と「アダムス」である。各名称はもちろん、先に登場した人物らにちなんでいる。(ちなみに、「ラッセル」はトリトンの発見者、「アラゴ」は海王星発見時のパリ天文台長)

では、89年以前に観測されてきた“2回のまたたき”は何だったのだろうか?この謎も簡単に解けた。右はボイジャーが違う角度から撮影した映像であるが、結論は一目瞭然である。つまり、粒子の密度に大きな濃淡があるということだ。

これが地球では弧として認識されていたことになる。

このような“こぶ”は少なくとも4つ存在すると考えられており、成因としては、そのすぐ傍に位置する小さな衛星の影響と考えられている。このような衛星はよく「羊飼い衛星」(シェパード・ムーン)と呼ばれ、土星や天王星の環にも存在することが知られている(下・補足参照)。環は形成されてから日が浅く(…とはいえ1万年程度は経過していると言われるが)、まだ安定した形に落ち着いていないと考える研究者もいる。

下はそのこぶを強調したものであるが、それぞれに「リバティ」「イクォリティ」および「フラターニティ」と名付けられている。訳は「自由」「平等」「博愛」となるが、これらはそう、フランス革命で謳われた近代民主主義の原理だ。

1989年はフランス革命200周年にあたり、それにちなんで名付けられたのであった。

            

どうせなら、アダムス・リングとルベリエ・リングの名称も逆にしたほうが、フランスつながりでまとまってよかったのに、と思われなくもないがどうだろう(笑)。

ちなみに上の方で掲げた環の全体像では、こぶが出ていない。全体像は右半分、左半分を別々に撮影して並べたものであり、各サイドを撮影する際、ちょうどこぶ達は反対のサイドに位置していたのが理由である。

※ 補足

羊飼い衛星はいろいろある。左下は天王星・ε環であるが、これを細く絞り込んでいる二つの衛星「コーディリア」(内側)と「オフィーリア」(外側)は有名な例。両者は1986年、ボイジャー2号の接近の際に発見され、当初それぞれ「1986U7」、「1986U8」と仮符合がつけられた。これらの存在は接近以前に予言されていたもので、この発見は予測と現実が見事に一致した、惑星探査の真骨頂の1つ。

        

一方、右上は土星・F環で、土星周回探査機「カッシーニ」によって撮影されたもの。これも天王星ε環と同様、2つの衛星によって細く絞り込まれており、それぞれの衛星は「パンドラ」(内側)、「エピメテウス」(外側)と名付けられている。この2つ衛星はF環に複雑な濃淡を生じさせている(下)。部分的には、1本が2本に分かれ、ねじれてさえいる。両者とも1980年のボイジャー1号接近時に発見されている。

      

また、アークは、海王星以外にも存在する。例えば下は2005年5月、カッシーニ探査機によって撮影された土星・G環の映像で、45分間隔で撮影されたもの(大きいサイズ)。矢印の先が僅かに濃くなっているが、これがアーク。なぜこのような密度の高い領域が生じているのかまだわかっていないが、ひとつには、サイズ数百メートル程度の非常に小さい「ムーンレット」(微衛星)が関わっている可能性もある。

      

【Photo reference】 JPL Planetary Photojornal http://photojournal.jpl.nasa.gov/index.html

【追加情報】 関連事項でリリースされた話題を下に追加しています。

〔追加 08.02. 2007〕

土星のGリングの形成に関する新説が雑誌「ネーチャー」に記載された。

リングの成因やその構造については不明な点が多かったが、衛星が深く関係していることが近年の観測でより明確となってきている。例えばEリングについては、衛星「エンケラドス」の氷噴出が“材料”の供給源となっているという具合だ。(下・土星のリング系。リングは発見された順にABC…と名称が付けられている。Eリングには衛星「エンケラドス」、Fリングには「プロメテウス」と「パンドラ」、Aリングには「アトラス」という具合に、リングと衛星の関わりは深い。)

            

Gリングは土星リング系で最も外側に位置する非常に希薄なリングで、微少な氷粒子で形成されていると考えられている。だが近接する衛星は発見されておらず、この氷粒子の由来など謎になっている。

土星周回探査機「カッシーニ」は2004年から観測を続けているが、Gリングに“アーク”が存在するのを確認していた。アークとはリングの中で部分的に特に濃い場所で、際だった“弧”として見られる。Gリングの場合、リングを構成する粒子が衛星「ミマス」の重力的な作用を受け集中することで、アークになっていることがわかっている。

                 

ドイツ・マックスプランク研究所の研究員Elias Roussos氏は、このアークに着目した。土星の磁気圏がアークをスイープする際に粒子の一部を“引きずり”、拡散させていくことでGリングが出来上がっているという。

研究チームは、コンピュータシミュレーションを行ったところ、確かにそのようなアークが生じることを確認している。一方、2005年にカッシーニがアークを観測した際、荷電粒子の減少が認められていた。チームはこれを、アークに存在すると見られる未検出の物質が吸収しているためと解釈。「カッシーニのカメラでこれまでに捉えられた以上の粒子がアークに詰まっていると考えられます」とRoussos氏は語っている。

詳しくはこちらへ【NASA 08.02】