レッドチェイサー2

初版: 09.03.2003

先月27日、太陽系第4惑星・火星が、地球に再接近した。地球のすぐ外側の軌道を巡るこの惑星は約2年おきに地球との距離が最も近くなるのだが、軌道が完全な円ではないため、時として非常に接近することがある。今回は約6万年ぶりに最接近したものであるが…たぶん、6万年ぶりに火星が見えると勘違いした人が多いよなぁ(笑)。

さて、この2年おきの接近は火星探査にも非常に有利だ。地上から望遠鏡で見ると大きく見えるし、何より、探査機を送り込むには好都合の位置関係になる。この時期に投入すると、半年で行けるのだ。今回も、米・欧州そして我が国の探査機、計4機が向かっており、年末・年始にかけて到着する予定となっている。なお今回は、ロシアの参加はない。(「レッドチェイサー」参照) 

敢えて言うまでもなく、ロシアは宇宙大国だ。今でこそ経済苦境で苦しんでいるが、旧ソ連時代、惑星探査にも力を入れ、特に金星探査に関してはほぼ独壇場だった。精巧なマシンを製造し、気圧が地球の90倍で温度が400度を超えるこの惑星へ送り込み、今日、百科事典に載っているようなデータを収集したのは、彼らだった。

ところが、火星に関しては目立った実績をあげることはなかった。金星の悪条件に対してずっと容易いはずなのに、である。

旧ソ連(以後、ソ連)は1950年代末には火星を意識し、最初に探査機を飛ばしたのは1962年11月の事だった。それはマルス1号と名付けられ、火星の傍をかすめ、また、地球より外側の宇宙空間に関する情報を集めるのが目的だったが、翌年3月、地球から1億キロのところで交信が途絶えた。打ち上げ直後から姿勢制御ガスにかすかな漏れが生じていたのだったが、ついにガスが切れ、アンテナを地球に向けなくなったのだ。ちなみに同年7月、火星から20万kmのところを通過したとみられている。

1969年、ソ連は火星と地球が接近するこの年にあわせて新しいプロジェクト“M-69”を組み、探査機を作ったが、打ち上げの段階で失敗。なお、1964年に米国が打ち上げたマリナー4号が接近に成功、史上初めて近接写真を送信してきた。米は69年にも2機を送り、写真撮影に成功している。ソ連は、大きく水をあけられてしまった。

1971年、火星探査の好期が訪れた。時既に70年代、未熟とはいえハードウェアの発展も進み、人間が月に降り立った直後のこの機会は、「米・ソ火星争奪戦」の様相を呈していた。同年5月8日、米はマリナー8号を、19日にソ連がマルス2号、28日にマルス3号を、そして30日には米がマリナー9号を打ち上げた。まるで水面下で示し合わせていたかのように、である。

ソ連にはもはや、世界を、特に米をアッと言わせるには先に火星面へ着陸機を降ろすしかなく、それ故マルスには着陸機が搭載された。一方、マリナーはまだ、火星の周りを周回させるだけのものであった。ただ、ソ連はM-69の失敗により、未だ無事に火星に到達させることすらできておらず、そんな中で着陸も目指すのだから、無理をしていたのは間違いない。マリナーが総重量400キロだったのに対し、マルスは着陸機だけで360キロ、総重量2トンを超えるバカでかいものとなってしまった(写真・上部の傘の中に着陸機が入っている)

今回はソ連も、それまで以上に本気で攻めたて、その甲斐あってか、両マルスとも無事、火星軌道へ到達した。71年11月21日、マルス2号の着陸機が火星大気をめざして切り離されたが、制御がうまくいかず、パラシュートが開く前に火星面にクラッシュした。つぶれたとはいえ、火星面一番乗りは、確定した。続く12月2日、マルス3号が着陸機を切り離した・・今度は、全てがうまくいった。

着陸機は順調に大気を降下、パラシュートを開き、火星面に着陸した。全ては高度に自動化されており、一種芸術的とも言えるプロセスをこなした。あとはカバーを開き、カメラが火星面を撮影、地球に送信するだけだった。

ところが、撮影を終え、送信を始めてから僅か15秒足らずで、全ての信号が途絶えてしまった。マルスは火星面の僅かな画像を伝えただけで、その後二度と息を吹き返すことはなかった。下の写真はその、火星面上で史上初めて得られた画像である。当時西側には、「15秒などと言うが、どうせ一番乗りを主張したいソ連のでっち上げだろう」というものもいたという。因みに信号が途絶えたのは、火星面で発生していた砂嵐によるものであるというのが有力である。一方のマリナーは両方とも無事火星軌道に入り、膨大な量の写真とデータをもたらした。

2年後の1973年、この年はソ連だけの挑戦だった。しかも、地球と火星の位置関係の問題から、着陸機と信号を中継する周回機を別々に送り込む必要があり、結局、4機(マルス4〜7号)を立て続けに打ち上げる羽目になった。なお、この時パスした米国は、後に「バイキング」と呼ばれることになる、本格的な土壌分析と生命体の確認も目指した大型着陸機の開発に入っていた。だが、ライバルが4機を同時に上げたのには流石に驚いたという。

確実性を狙ったソ連の野心だったが、しかし、結果は同じだった。6号と7号に着陸機が搭載されていたが、両者ともうまく機能せず、データは得られなかった。4号と5号は先に到着し、6、7号を補完する手はずだったが、4号は軌道投入に失敗。結局、5号だけがかろうじて火星の周りを回ったものの、得られたデータは僅かであった。

このレースは75年、米のバイキング着陸機が大成功を納めて幕を閉じた。失敗続きのソ連も、それなりに成果を得てはいたものの、全てはバイキングの前に忘れ去られてしまったのであった。

その後、再び着陸機が火星面へ降り立ったのは1996年、米のマーズ・パス・ファインダー探査機で、エアバッグによる着地と、小型のリモコンカーが話題を呼んだのをご記憶の方も、多いだろう。

…こう観ていくと、火星に関しては米国が優れているように見えるが、実はそうでもない。失敗も続いている。

92年、米のマーズ・オブザーバーは、到着3日前に突然信号が途絶えた。98年のクライメット・オービターは火星大気へつっこむ形でバラバラに壊れた。これは、メートル法とヤード法の2つの単位を混同した、エンジニアチームのミスが原因であった。99年に送られたポーラー・ランダーは、着陸機は無事に切り離されたものの、予定時刻になっても信号は来ず、着陸がついに確認されなかった。予定より早いエンジン停止で、クラッシュしたものと考えられている。

ちなみにロシアも96年、欧州各国と協力して大型探査機を送り込もうとしたが、打ち上げロケットの不調で落下、太平洋の藻屑と消えた。その後同国はリベンジを働きかけたが、この一件が決定打となり、今年の欧州主導の計画には声がかからなかったと言われる。

結局のところ、米・ソ連/ロシアあわせてこれまで30機近くが火星を目指したが、まともな成果をあげたのは10機足らず。中には「呪われている」と冗談を言うエンジニアもいるが、実は本心ハラハラだろう。現在飛行中の4機は、どうなることやら。

※マルス3号の画像はTed Stryk氏のご厚意です。Acknowledgement to Mr. Ted Stryk for Mars-3 landar image. URL http://pages.preferred.com/~tedstryk/index.html