“スプートニク犬”の真相、45年目に明らかに

1957年10月4日、史上初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ、世界中を驚愕させた旧ソ連は、僅か1ヶ月後の11月3日、再び衛星を打ち上げた。その「スプートニク2号」には犬が乗せられており、地球を回る軌道を初めて生物が飛んだことで知られている。旧ソ連はこれまで、この犬は1週間程生きたとしてきたが、先月末、実際は僅か数時間しか生きなかったことが、研究者によって明らかにされた。

この、世界で初めて生物を宇宙に送り出したスプートニク2号には早くからいくつかの“うわさ”がつきまとってきた。「実は犬は数日で死んだのではないか」というものや、「“突貫工事”で作られた衛星だったのではないか」というものだ。

10月4日、スプートニク1号の打ち上げに成功した技術者達は、当時の指導者・フルシチョフ書記長へ成功の第一報を電話連絡した。その時彼はちょうど就寝するところだったといい、「そうか、おめでとう。よかったな」と、“淡々と”答えてベッドに入ったという。大国の指導者自身、人工衛星の“意味”がわかっていなかったといえる。

ところが一夜明けて、西側のメディアが天地をひっくり返したように大騒ぎしていることを知り、事の重大さに気づいたフルシチョフ。責任者をモスクワへ呼び、次の衛星をソ連10月革命40周年記念日である11月7日にあわせて打ち上げることを協議、休暇に出ていた技術者達を呼び戻したという …“突貫工事”説の背景の1つだ。1990年代、ソ連崩壊によりソ連の宇宙開発の実態も明らかになってきたが、この件について当時の技術者達は、「ガラクタを集めて1ヶ月で作り上げた」と語っているとされてきた。

だが、スウェーデンの旧ソ連宇宙開発史研究家スヴェン・グラーン氏によると、これは“解釈(翻訳)のズレ”による誤解だという。「作り上げた」ではなく「最終仕上げを行った」がより正しいといい、「ガラクタ」も「個々の部品」が正しい訳だという。「全くゼロから1ヶ月で行うのはどだい不可能。実は早い段階から2号の開発は進められてきたのだが、完成予定が大幅に繰り上げられた」というのが真相だと語る。

ところでこの衛星に乗せられた犬、広くは「ライカ犬」と呼ばれて知られているが、“ライカ”(Laika = “吠える”の意)は犬種ではなく、名前。シベリアンハスキーの雑種で、性別はメス。「もともと捨て犬では?」と出生にもかねてから噂があったが、これはどうやら事実のようで、モスクワ市街を歩いているところを拾われたものらしい。他、「ロシアの犬であること」「見栄えのいい犬」という条件があったという噂もあるが、この真相はよくわからない。拾われた後、関係者に“クドリャフカ”(Kudryavka = “ちっちゃな巻き毛ちゃん”)と名付けられたが、後に改名され、ライカとなった。

犬は3匹が候補にあげられたが、事前テストの結果、ライカに決定された。打ち上げ予定は11月3日に設定されたが、ライカはその3日前にケージにセットされたという(上写真)。電子機器で囲まれた内部でライカは半固定状態にされ、ある程度の自由はあったものの、振り返ることはできなかった。酸素や温度は適正に保たれ、食事等は自動的に給仕されるようになっていた。ただ、排泄処理は特に施されなく、いわゆる「垂れ流し」だったらしい。

ちなみにメス犬が選ばれたのは…オスは「片足をあげる」から。意味わかりますよね!?(笑)

また、生きて回収することはミッションに入っておらず、まさに“特攻”。やはり後日、西側の愛護団体から抗議もあったという。食料は7日分積まれていたが、昔、「最後は毒入りの餌で安楽死させられた」という話を聞いたことがある。生きて帰れないだけで既に酷いのだが、事実なら、せめて最後は餓えの苦しみから解放しようという“最大限の配慮”だったのだろうか。

11月3日・日本時間午前11時30分42秒(現地時間早朝)、旧ソ連中央アジア・チュラタン発射場(=バイコヌール宇宙基地)から打ち上げられた。打ち上げから軌道まではほぼ一直線に上昇するのだが、その間、ライカの脈拍や血圧が地上にいるときの3倍にまで達したことが記録されている。だが、周回軌道に乗り、無重力状態になるとやがて落ち着きを取り戻し、通常値に戻っている。

打ち上げは順調で、全てうまくいっているように見えたが、1つだけ不良があった。軌道船を覆っていた耐熱シートの一部が剥がれるというアクシデントが発生したのだ。この影響でカプセル内の温度が異常高温になり、ライカの生命に重大な影響を与えるのではという指摘がなされ、これは当時、ソ連国内でも報道されたという。だが当局者は「1週間生存した」と主張してきた。

…右がスプートニク2号の外観(カバーが半分外してある)。下部のドラム缶状の部分にライカが入り、上の球体の部分などに酸素などが積まれている。また、一般に伝えられる「耐熱シートがはがれた」という状態がよくわからないが、ひょっとしたら正に右のような状態になったのかもしれない。もちろん、カバーで完全に包まれて飛行する予定であった。

この出来事の詳細が明らかになったのは、旧ソ連崩壊後のこと。温度上昇に関しては、軌道に乗ったとき既に40℃に達していたといい、結果、生存日数も2日ぐらいだっただろうと、近年では見積もられていた。ところが先月末、米・ヒューストン市で開催された世界宇宙会議にて、モスクワ生医学研究所のディミトリー・マラシェンコフ氏は、「せいぜい、6時間程だった」と最新の調査結果を報告、多くの研究者にショックを与えた。

報告によると当時、2号の信号を受信できたのはロシア上空を飛行している間だけだったが、4周目にはいるところで信号を受信したところ、既に何の生体反応も確認されていなかったことが判明したという。1周約100分だったので、約6時間後には息絶えていたことになる。

当時現場で一部始終を見ていた、“ちっちゃな巻き毛ちゃん”と可愛がったであろう飼育関係者達は、どのような面持ちであっただろうか。【CNN/Reuters/他】

(関連記事としては、こちらもご覧下さい。ライカ以前に飛んだ犬たちの物語です→ スペース・ドッグ

※謝辞:軌道図(下)提供はグラーン氏のご厚意によるものです Acknowledgement to Mr. Sven Grahn for the permission.

[資料] スプートニク2号軌道図

中央アジア・チュラタン発射場から東向き(図・右側)にうちあげられたのが日本時間午前11時30分(図中、
Launch at 0230:42UT”がそう。“UT”は世界標準時=日本時間−9)。地球は自転しているので、平面の地図に
航跡を書くとずれていく。上の場合、左側にずれていき、各軌道上には通過時刻が記してある。また、つぶれ
た点線円は、モスクワの管制センターで電波を受信できる範囲を示している。

On this orbit data from Laika started to be garbled?”と記してある軌道は地球3周目で、既にライカに不調が
出ていた可能性を指摘。“On this orbit no intelligible data〜”は、ライカの生命データがもはや受信できなかっ
たことを示している。

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